■虚ろな器 (うつろなうつわ)-29.臭気 (2015年04月05日UP)
二軒目は、一軒目より大きな家だった。建増ししたのか、明らかに壁の古さが異なる部分がある。駐車スペースの隅に、手押しポンプの小さな井戸があった。
忘れないように、屋根と戸袋から掃除する事になった。
〈渦〉が難なく屋根を水で丸洗いした。
【灯】を持った〈樹〉が引戸を開ける。ここも、玄関に鍵がついていなかった。
最後まで住人が居たのは、この家だったらしい。埃は少なく、雑妖もあまり居ない。
「これ……何の臭い?」
「くさーい」
流れ出た臭気に、〈火矢〉と〈渦〉が、一歩退がった。他の面々も顔をしかめている。
志方はマスクを外して、嗅いでみた。
鼻の奥から脳天に突き抜けるような刺激臭。全力で後悔し、マスクを着ける。動物の排泄物の臭いだ。それも、尿の臭いがキツい。
無人になってから、雑妖だけでなく、野生動物も侵入したようだ。
志方達は、この世の物にも注意を払いつつ、雨戸を開けて回った。
家中開けて回ったが、雑妖以外には何者も居らず、拍子抜けする。
戸袋を掃除する為、縁側の雨戸を外した。中で何やら、ごそごそ物音がする。〈樹〉が、ポーチのベルトから【灯】を外し、戸袋を覗いた。
臭気が、マスク越しでも鼻に痛い。
「これ、リアル生物だ。俺にも見える」
「えっ……ちょっと……何が居るの?」
「さぁ……? わかんない。何か、すげーいっぱい、ちっちゃいのがギュウギュウ詰めんなってる」
〈火矢〉が軍手を着けた手で、自分の両肩を抱く。〈樹〉は首を傾げた。
突然、時ならぬ月光に照らされた小動物は、戸袋の中でもぞもぞ身じろぎしている。
「鼠か?」
「いや、何か、もっと上に居るし、カタチが……鼠みたいだけど、鼠っぽくないような気がする」
一緒に覗き込む志方の予想を、〈樹〉は首を傾げながらも、否定した。
「じゃあ、銀条ちゃんにも、見てもらおー」
皆の返事も待たず、〈渦〉が白蛇を小動物の巣に侵入させた。
戸袋から、何かが一斉に飛び立った。
「ギャーッ!」
数人が、思わず悲鳴を上げた。
明るい夏の空を鼠のような何かが、ひらひらと逃げ惑う。
空を見上げ、〈榊〉がポツリと呟いた
「なんだ……蝙蝠か……」
白蛇に驚いた蝙蝠の群れは、一匹残らず、山林の薄暗がりに避難した。正体がわかってしまえば、何の事はない。
戸袋に一匹も残っていない事を確認し、〈樹〉が振り向いた。
「あ、でも、これ、妖怪よりヤベーよ。ダニとか病原菌とか、いっぱい持ってるもん」
「じゃあ、ここは魔法で念入りに洗って、汚れはすぐに焼こう。ゴミ袋に入れて持ち歩くの、危ないよね」
班長がポンプを押しながら呪文を唱え、井戸から直接、バケツ二杯分の水を起ちあげた。
志方は、心底、残念な物を見る目で〈渦〉を見た。
にゅるりと戻った使い魔の銀条を労(ねぎら)っている。黙っていれば、さながら、森に佇む儚く淡い光の妖精だ。だが、言動が残念過ぎる。その美しさを帳消しにして、借金を背負う程の残念さだ。
〈火矢〉が落ち枝を拾って、地面にバケツの直径程度の円を描いた。中心に何かの象徴も描く。枝を中心に立て、志方が知らない呪文を唱えた。
興味津々で見る志方に、〈樹〉が説明してくれた。
「焚火の魔法だよ。呪符の【炉】より火力が強いんだ」
「へー、教えてくれて、ありがとな」
志方が礼を言うと〈樹〉は、えへへ、と照れ笑いを浮かべた。
詠唱が終わった瞬間、火柱が上がった。〈火矢〉が枝から手を放す。倒れた枝に魔法の炎が燃え移る。膝の高さの火柱は、きっちり、円内に納まっていた。円内の枝は燃えているが、外にはみ出した部分は、煙すら上がらない。
戸袋を洗浄した水が、火柱の上を漂い、円内に汚物を排出した。瞬く間に灰になる。水に塩を混ぜ、〈雲〉は戸袋の浄化に取り掛かった。
「ここ、あんまり汚れてなかったけど、雑妖とかどうだった?」
「ん? 少なかったよー」
「じゃ、物理掃除は俺、やっとくから、魔法使いさん達は、ちょっと休んでてくれよ。さっきからいっぱい術使って、疲れたろ?」
「んー? どうしよっかなー? もーすぐお昼だしー?」
〈樹〉の申し出に〈渦〉が〈火矢〉を見た。〈火矢〉は、班長の〈雲〉に話を振る。
「皆でした方が早いと思うけど、疲れてるって言えば、疲れてるし、どうすんの?」
「うーん……ごめん、僕はちょっと休ませて……二人も無理そうなら休んで、いけそうなら、そっち手伝って」
大きく息を吐きながら、戸袋の浄化を終えた〈雲〉は井戸端にしゃがんだ。
「遠慮しないで、休んでてくれよな」
「私達は掃除に慣れておる。任せよ」
〈樹〉と〈榊〉が請け合って、玄関に入った。志方も慌てて後を追う。〈火矢〉は少し考えて、班長の隣に座った。
「私もちょっと休ませて」
「うん、いいよー。私、あっち行って来るねー」
〈渦〉は箒を持って家に入った。
この家には、カマドウマも妖怪も居なかった。蜘蛛が数匹居ただけで、家財道具も残っておらず、難なく片付いた。
窓を拭きに出ると、二人は柿の木陰に移動していた。足元には、円を描いただけの簡易結界が張ってある。
「中、終わったよ。後は窓だけ。大丈夫?」
〈樹〉がバケツと雑巾を手に二人に近付く。
「あー、ごめんね。すっかり任せちゃって」
「いいよー、もー大丈夫ー?」
「うん。お陰様で、大分、元気になったよ、ごめん」
班長がうなだれるように頭を下げた。〈樹〉が雑巾を振って、頭を挙げるように促し、志方も言った。
「いいって、いいって。元々、そう言う役割分担だし」
「後、四軒もあるんだし、温存しといた方がいいって」
「〈渦〉ちゃんもちょっと休んでて。私、代わるから」
「ん? いいのー? ありがとー」
屈託のない笑顔で〈火矢〉と入れ替わる。〈火矢〉は立ち上がりながら腕時計を見て、感嘆した。
「えっ? ウソ!? はやーい! お昼までまだ結構ある……!」
「この家、物理的にも霊的にもキレイだったから」
志方も時間を見た。
十一時二十六分だ。
「だから、〈火矢〉さんも、まだ休んでてくれていいよ」
「ん、ありがと。でも、誰かが仕上げなきゃいけないし、私、充分元気になったから」
一軒目の窓は、志方と〈火矢〉の二人で拭いたが、こちらは魔力のない三人と〈火矢〉。人数が倍になると、流石に作業は早く進んだ。
最後の一枚を拭いていると、エンジン音が聞こえた。志方が振り向くと、村の東側から、パトカーと徳阿波県警と書かれたワゴン車が入って来るのが見えた。