■虚ろな器 (うつろなうつわ)-05.外界 (2015年04月05日UP)
昼休みも半分終わり、大部分の生徒がお盆を返却し、卓でお茶を飲んでいる。
授業の話や、昨日のTVの話をして寛ぐ姿は、普通の学校の普通の学食の風景と、何ら変わる所がない。
志方達もお盆を返しに席を立った。
返却口から洗い場の様子が見える。エプロン姿の生徒男女計六人が、食器を洗っていた。さっき管理人から聞いた「食堂の当番」だ。
志方はお盆を落としそうになり、辛うじて返却台の上に着地させた。
皿が飛んでいる。
宙に浮いた水が、食器を弄んでいた。花柄エプロンの女子生徒が、指で空中に文字を書くような動作をしている。その動きに合わせて原生生物のように蠢く水が、食器にこびりついた米粒や食べ残しを分離し、油を浮かせていた。
水は意思を持っているかのように動き、手の形を成す。水の手が、汚れを剥ぎ取り終えた食器を台の上に重ねて置いていた。
「あぁ、あれ? 実際に魔法を使える子も何人か居るんだ。あの子は、うちのクラスの委員長〈柊(ひいらぎ)〉さん」
「へぇ……」
呆然と見とれている志方に〈樹〉が説明した。
「〈柊〉さん、成績いいから、慣れるまで、勉強教えて貰えばいいんじゃないかな」
「この前、『誰かに教えたら、自分も実はよくわかってなかった所がわかるから、どんどん聞いて欲しい』って言ってたし、遠慮しなくていいと思うよ」
同級生二人が、本人の許可なく勝手に安請け合いする。
食器を洗い終えた濁り水が、三角コーナーに食べ残し等を吐き出している。その傍らでは、エプロンを着けた生徒達が、スポンジに洗剤を付けて普通に食器を洗っていた。
〈柊〉委員長は、利発な顔立ちだった。濃い緑の瞳に強い意思の光を宿らせ、汚れを排出する水に鋭い視線を向けている。明るい栗色の髪は艶やかで、緩やかに波打っていた。
魔法はともかく、外部生の〈樹〉君もさ、普通教科の成績はいいんじゃないのか? って言うか、副委員長はどうなんだよ?
女子に勉強を教えて貰うのは、流石に気恥ずかしい。委員長だからと言って、付き合ってる訳でもない女子に、そんな事は頼めない。副委員長の〈雲〉を見ると、洗い場に羨ましそうな目を向けていた。
「食堂の当番は、給食のおばちゃんが、外の面白い話をしてくれたり、お菓子くれたりするから、僕は楽しみだな」
志方は家で洗い物などした事がない。家事はせいぜい、ゴミ捨てと自室の掃除くらいのものだった。
皿洗いで昼休み後半が潰れるのは、勘弁して欲しかったが、言えそうにない空気を感じ取り、口をつぐんだ。
横で〈樹〉がお茶の用意をしている。薬罐から番茶を六人分淹れ、席に戻った。
「僕ね、ここしか知らないから、外の事、凄く興味あるんだ」
志方は〈雲〉のキラキラした目に困惑した。中学生も期待に満ちた眼差しを向けている。
「休みの日にさ、どっか行ったりしないのか?」
〈樹〉を除く五人が、一様に首を振る。
「山は雑妖や雑霊だけじゃなくって、土着の神様や魔物とかも居て、危ないんだよ」
「街は?」
オカルト系の危険情報に、思わず横目で山を視る。食堂の窓からでは、距離があり過ぎるのか、〈雲〉が言うモノ達は、何も視えなかった。
「街は遠いし、人がいっぱい居るから、良くないモノもいっぱい居て、山より危ないんだよ? 買物実習でしか行かないよ」
「いや、あのさ……卒業したらさ、どこで生活する気だよ?」
買物実習とやらも気になったが、ひとまず置いて重要な部分にツッコむ。幼稚舎から居るらしい四人は途端に口籠り、互いにチラチラ顔色を覗った。
高等部からの外部生〈樹〉が、気楽な調子で言った。
「そんな心配しなくても大丈夫。魔力と霊視力がなくても皆、普通に暮らして行けてるし、直接何かしてくるモノなんて、滅多に居ないよ」
「うん。僕達もスルースキル上げるように、努力はしてるんだけど、難しくて……」
副委員長〈雲〉が頭を掻く。他の者達も首を縦に振った。
志方は生まれてこの方、ずっと味わわされて来た恐怖や不快感を思い出し、鳥肌が立った。〈樹〉も所詮、他の者達と同じで、霊視力を持つ者の苦しみがわからないらしい。
こちとら、そんな暢気に構えてらんないんだよ。
「何も視えなきゃさ、向こうもスルーしてくれるんだろうけどさ、視えてる事に気付いたら、絡んでくる奴ってさ、結構居るぞ?」
「この喩えで伝わるかわかんないけど……霊視力のある子って、ヤンキーにガン飛ばしてるのと、同じ状態なんだよ。だから、見て見ぬフリって言うか、明白(あからさま)に目を逸らしたら、逆に『何、目ぇ逸らしてんだよ?』って、もっと怒らせるかもだし、えっと……」
〈樹〉が志方の目を真っ直ぐに見て言った。自信なさ気に言葉を切り、反応を待つ。志方は〈樹〉の目を見詰め返して、頷いた。
そっか、生きてても死んでても、所詮は人間だもんな。因縁つけて絡んでくる奴ってさ、そもそも、まともじゃないってコトか。
雑妖にも当て嵌まるか不明だが、少なくともヒトに関しては充分に納得できた。
他の四人が志方の反応に驚く。〈樹〉は話が通じる事に安心して続けた。
「恐がったら、それを面白がって、余計に酷い事してくるのも居るから、えーっと……気にしないって言うか、平常心って言うか……そこに何も居ないものとして、やってくのが一番いいんじゃないかな?」
「あぁ、それ、小学校ん時にさ、坊さんにも言われた」
夏休み、祖父母に山奥の古刹へ連れて行かれた事がある。そこで、自身も霊視力があると言う老僧に、ほぼ同じ事を言われた。
母の反対で、その寺にそのまま預けられる事は回避できたが、二泊三日、修行のような事をさせられた。
だが、対処法を教えられたからと言って、そう簡単に実践できる訳ではない。
「外じゃ聖職者まで、そんなコト言うんですか……」
〈杯(さかずき)〉が、恐ろしいモノを見る目で志方を見た。
何となくムッとして付け加える。
「いや、坊さんも視える人でさ、色々修行した結果、いちいち気にしない、平常心が一番いいって結論出したんだよ。凄ぇ爺さんだったしさ、相当苦労してそうだったしさ……」
あれっ? 俺、何で坊さん擁護してんだ?
ほんのりと怒気を含んだ声音に〈杯〉が慌てて謝る。
「あ、すっすみません、そんなつもりじゃ……」
「あー、いいよいいよ、別に怒ってないからさ。って言うか、ここってどんだけぬるいんだ? お前ら、そんな温室育ちでさ、卒業してから大丈夫なのか?」
四人が顔を見合わせ、黙り込む。
志方は管理人の言葉を思い出し、彼らの将来が心配になった。
結界に守られて暮らす彼らは、自分や老僧が経験してきた苦労を知らない。
目が合った雑妖や雑霊に絡まれ、呪詛の言葉や、どうにもならない愚痴を吐かれ、小さな災いを呼び寄せられる。
彼らが飽きるまで、四六時中監視され、時には夢の中にまで侵入された。
志方が小さな災いに見舞われれば、爆笑され、奴らに怯えれば嘲笑された。
勉強の邪魔も散々されてきた。例えば、志方が計算している耳元で、無関係な数字や公式を囁き続け、計算を間違えれば、元々愚かだから間違えたのだ、と嘲笑うのだ。
自分と同じ霊視力を持つ者、それも同年代で、これから同じ学校で学ぶ者。
同類相憐れむ……いや、ちょっと違うな……?
志方は自分が何故、初対面の彼らの行く末を案じたのか、よくわからなかった。自分が世話焼きタイプではない、という自覚はある。変な因縁を結んで、他人(ひと)の厄介事に巻き込まれないように、なるべく他人と距離を取ってきた。
普通に遊び友達は居たが、それだけだ。相談に乗ったり、こんな風に進路について真面目に話し合った事はない。
お茶を飲み干した〈樹〉が、それぞれの物思いに沈む五人に声を掛け、立ち上がった。
「そろそろ行こう。五時間目、始まるよ」
気が付くと、食堂内の人影は疎らになっていた。