■汚屋敷の兄妹-賢治の12月26日〜12月28日 27.対面(2015年08月16日UP)
十二月二十七日。
朝食後、さて、行くかって時に、近所の人が酒持ってやって来た。
ノリ兄ちゃんが王子様だと知って、ゴマすりに来たらしい。ノリ兄ちゃんは、「僕、お酒飲めないんです」って素で断った。それでも強引に勧めて来るのを、マー君と叔父さんが引き受けてくれた。
俺達はその隙に本家へ向かった。
リフォームしたかと思うくらい、キレイになった台所で、クロエさんに簡単な朝食を作ってもらう。食材は分家のを少し分けてもらった。
食器は、箱に入ったままだったキレイな物。フライパンは新品同様の粗品一個。鍋も、手付かずの粗品で、片手鍋と両手鍋、土鍋が一個ずつ。
それ以外、何もない。ちゃんと換気扇も回る。昨日の蟲地獄が嘘のようだ。
土鍋で米を炊いて、お歳暮の出汁を使って出汁巻き卵を焼く。
美味そうな匂いで起きて来るかと思ったけど、ニートは動かなかった。
「今日は、お父さんの部屋と、居間の隣の部屋を集中してやります。今日からは、オマケみたいなものだから、気楽にお願いします」
真穂がぺこりと頭を下げ、俺もそれに倣った。
ノリ兄ちゃんの命令で、クロエさんが朝食をお盆に乗せて、二階に上がる。
俺達は、二手に分かれて部屋の物出しを始めた。
もう三日目だからか、みんな要領よく運び出す。
今朝はノリ兄ちゃんと双羽さんが庭で待機。三枝さんが中の作業を手伝ってくれた。
居間の隣も、居間と同じ十畳の和室だった。真穂と藍ちゃんに任せる。
何年も窓を開けていないせいで、埃や黴の胞子と湿気で、空気そのものが物理的に重い。その中に雑妖が満員御礼。
物を出して窓を開けただけで、かなりの雑妖が消えた。
オヤジルームは、雑妖で中の様子が物理的に見えない。
三枝さんが呪文を唱えて剣を振る。雑妖が一掃された。
雑妖が居なくなり、視界が拓けた。居間の隣同様、いつから換気していないのか、ヤニと埃、黴の胞子と湿気で、空気そのものが濃密な毒だ。
レベル低い系の週刊誌と、使用済みティッシュ、脱ぎ散らかした服と煙草の吸殻、スナック菓子や菓子パンの袋、ペットボトルが山盛りになっている。辛うじて布団だけが平ら。年単位で干していないから、汗と皮脂が饐えた臭いを放っている。
壁際は全て箪笥で、押入れの襖の前にも箪笥がある。それで何で、足の踏み場もないどころか、服が山になっているのか。布団周辺は膝の高さ、部屋の奥は俺の胸くらいの高さに盛り上がっている。
俺は何も考えずに掛け布団をめくった。
「うわぁあぁあぁッ!」
ツネ兄ちゃんが悲鳴を上げる。三枝さんも息を呑む。
丸々太った五センチ級のGが、十匹近く一斉に走った。四方八方に散り、ゴミや雑誌、脱ぎ散らかした服の山に逃げ込む。その動きにつられたのか、驚いたのか、部屋中から、カサカサ、カサカサ、音が聞こえた。
心底、土足でよかった、と思った。
Gが居なくなった敷布団は、ホントにもう、いつの昔から干していないのか、人の形にへこんで黒ずんでいる。皮脂と黴だろう。黒い粒はGの糞。マスクをしているのに、ヤニと饐えた臭いが、鼻の奥すら通り越して、喉の奥にまでへばりつく。
枕には抜け毛とフケ、寝煙草の灰が散り、焦げ跡がついている。試しにこっちも、ちょっと蹴ってみた。またまた、Gの群が周辺のゴミ山に逃げる。ずれた枕の下には、小さな蛆の集団がいた。頭、枕、布団から適当な湿気とフケと皮脂、食べこぼしなんかも供給されるから、居心地がいいんだろう。
よくこんな所で寝られるもんだ。
人間の屑ってフレーズはよく聞くけど、ゴミ屋敷を作る奴は何て呼べばいいんだろう。
ウチは別に貧乏じゃない。寧ろ、貯金も山も土地も持ってて、どっちかっつーと、金はある方なんじゃないか? なのに、なんでこんなゴミ溜めに住んでるんだろう?
こんなのと血が繋がってると思いたくない。
色んな意味で女子供に見せられん状態だから、俺とツネ兄ちゃん、三枝さんでやる。
俺が知る限り、オヤジは通帳とか、重要な物を触らせてもらってない。ジジイに小遣いもらってた。
ここに貴重品はない筈だ。
部屋を埋め尽くすゴミをスコップで一気に、袋詰めする。何かする度に虫が逃げ惑う。
親父の部屋の縁側サイドの半分は、母さんの部屋だった。幼い頃、俺と真穂もこの狭いスペースで過ごした。記憶よりずっと狭い。
襖は一枚が辛うじて半分開くだけ。それ以外の場所は箪笥で埋め尽くされている。押入れはあっても使えない。
その箪笥も、半分以上がゆうちゃんの母親の物だ。祖母ちゃんが「もしかしたら帰ってくるかもしれんが。置いといたげて」と処分させてくれない。
俺と真穂の服も残っていた。もう小さくて着られないが、祖母ちゃんが「下の子ができたら、お下がりにするが」と捨てさせてくれなかったものだ。
箪笥と衣裳ケースに囲まれて、布団一枚敷くのがやっと。布団は片付ける場所がなく、万年床。
今、布団の上は古雑誌で埋め尽くされていた。オヤジ好みの下衆な大衆誌だ。
俺達の暮らしをゴミ捨て場にされたみたいで、軽く殺意が湧いた。ここにクズオヤジが居なくてよかった。あんなクズでも一応、人間の形してるから、殺したら俺が殺人罪に問われてしまう。
俺は、下品なグラビア誌を紐で束ねた。
衣裳ケースの底から、俺と真穂名義の郵便貯金の通帳が、一冊ずつ出て来た。とっくに満期が過ぎている。時効かもしれないが、一応、持っておく事にした。
アルバムと通帳と印鑑と貯金箱の他は全部捨てた。
母さんはとっくに、ここでの暮らしを捨てている。
全部、要らない物なんだ。
ゴミ袋を容赦なくゴミ山に積む。箪笥とかの大物は、三枝さんに魔法を掛けてもらって、庭に出し、一応、ブルーシートの上で中身を確認する。
「お兄ちゃん、何これ、怖い」
真穂が震える手で、古びた封筒を差し出した。農協の封筒だ。中をチラ見して、心臓が止まりそうになった。
札束が入ってる。
ツネ兄ちゃんに言われて、中身をブルーシートの上に出した。百万の帯封二本と十七万円と五千円と小銭が六百十一円。払戻票の控えも入っていた。
払戻は、俺が生まれる三年前の日付けだ。
「定期が満期になったのを現金で持って帰って放置……か。豪快だなぁ」
ツネ兄ちゃんが呆れて笑う。
これだけあれば、真穂を公立に進学させるくらい、楽勝なのに。ジジイの金銭感覚がマジでわからん。
封筒に戻す。後で祖母ちゃんにどうするか聞きに行く。
祖母ちゃんを分家で引き取っても、ジジイに連れ戻されるかもしれない。老人ホーム代の足しにでも……
気を取り直して、選別作業を続けていると、クロエさんが出て来た。後ろにヘドロの塊がついてくる。
ヘドロの塊は周囲を見回し、俺達の所で視線を止めた。顔も何もわからない。雑妖が何百匹もしがみついていて、本体が見えない。
俺は思わず、シートの上に立ち上がった。
クロエさん、後ろーッ……!
ツネ兄ちゃんが、マスクを外して、ヘドロに笑顔を向けた。
「そんな不審者を見るような顔をしないでくれる? 経済だけど、忘れた?」
「ツネちゃん、オバケ怖いから、もう本家には来ないんじゃなかったのか?」
やや間があって、ヘドロが見下した声で言った。いや、寧ろお前がオバケだ。
「今年はそのオバケ達を何とかする為に来たんだ」
ツネ兄ちゃんは、オバケにちゃんと返事をしている。ひょっとして、これ、ニートのゆうちゃんか? ツネ兄ちゃんだけに相手させるのは申し訳ないから、俺はニートに近付きながら、マスクを外した。
「俺の事はわかるかな?」
ヘドロは返事をしなかった。俺は吐き気を堪えて言葉を吐き捨てた。
「従弟はわかるのに、自分の弟がわかんねーとか、何なんだよ、アンタ」
「えっ?マジ?ホントに誰かわかんないの?」
「じゃあ、私ら、もっとわかんないよね?」
真穂と藍ちゃんが、呆れ返って半笑いになる。
「あ、でも、私はホントに初めましてだから、ちゃんとご挨拶しとこっと。私、ゆうちゃん達の従妹、分家の長女の山端藍。大学一年生です」
藍ちゃんが律儀に自己紹介して、ぺこりとお辞儀する。真穂もそれに倣った。
「ずっと同じ家に住んでるのに『初めまして』って言うのは、絶対、おかしいと思うんだけど……一応、ね。ゆうちゃん、私は妹の真穂、高三です。……声だけは、知ってるよね?」
「い、いや、つーか、今年は離れ小島に行かなかったのかよ?」
「俺らは大掃除するから残った。今年はジジイとオヤジだけで行ってる」
不愉快極まりない。お前も大掃除に参加しろよ。ゴミニート。
「え? 同居の弟妹とホントに初対面なのか? ゆうちゃん、一体、何年ひきこもってたの? ケンちゃんって今、大学四年生だぞ?」
ツネ兄ちゃんが呆れつつ、ニートの一番痛い所を的確に突いてくれた。ザマァ。