■汚屋敷の兄妹-真穂の12月 02.家族 (2015年08月16日UP)

 「米治(よねじ)……転んでしもうて、立てんのよ……」
 米治叔父さんが、お祖母ちゃんの足を見る。左足が有り得ない部分で曲がっているのが、毛玉だらけのフリース越しにもわかった。
 叔父さんが、大袈裟に驚いて見せる。
 「あッ! 足が折れてるッ! 真穂(まほ)ちゃん、これ、祖父ちゃんに渡して、俺は病院行く」
 「病院? 大袈裟な。そんなもん、唾付けときゃ治る。ほっとけ」
 お祖父ちゃんが、笑いながら言った。私はミニ酒樽を受け取って、米治叔父さんを見た。叔父さんは、お祖母ちゃんを抱きかかえて立ち上がった。
 「お袋、偶には俺にも親孝行させてくれよ。年寄りの骨折は寝たきりになりやすいらしい。病院行った方が早く治るし、俺が医者代出すから、注射が怖いなんて子供みたいな事言っとらんで、病院行こう」
 「米治や……」
 米治叔父さんは、お祖父ちゃんに聞かせる為に殊更、大声で言った。お祖母ちゃんにはそれ以上喋らせず、玄関に向かう。
 私は酒樽をお祖父ちゃんに渡して、色んな物を飛び越えて外に出た。お祖父ちゃんは何も言わず、コタツに戻った。

 外はもう真っ暗で、玄関灯に照らされた息が、白く曇って消える。
 前の農道には、叔父さんのワゴン車が停まっていた。真知子(まちこ)叔母さんが扉を開けて、叔父さんがお祖母ちゃんを後部座席に乗せている所だった。
 私は、通学靴を履いて、叔父さんが通った雪道を走った。
 「叔父さん、叔母さん、ありがとう。ゴメンね」
 「何言ってんの、真穂ちゃん。困った事があったら、いつでも呼んでね」
 「俺にとっても親なんだから、真穂ちゃんが気にする事なんて何もない」
 ここ、歌道山町風鳴地区(うどうやまちょうかぜなきちく)は、日之本帝国(ひのもとていこく)の典型的な農村地帯。一応、インターネットは繋がるし、ネット通販「密林」の配達も三日遅れくらいで届くけど、少子高齢化が進んだ過疎地だ。救急車は山ひとつ越えて来るから、片道一時間以上掛かる。そもそも、ここには病院がない。
 私が小さい頃、お祖母ちゃんは左手の小指を骨折した。
 その時も、お祖父ちゃんがさっきみたいに言って、自然治癒させたせいで、指の骨は曲がったままくっついた。お祖母ちゃんの左小指は、動かない「飾り」になってしまった。もし、足が飾りになったら、寝たきり一直線。こんな家じゃ介護できないけど、お祖父ちゃん達はきっと、「金の無駄だ」って、老人ホームにも入れてくれない。
 「ついでに、他にも悪いとこないか、診て貰うが。入院、長引くかも知れんげな」
 「真穂ちゃん、もう大きいから、お祖母ちゃん居なくても大丈夫ね?」
 「うん。私は大丈夫」
 「真穂ちゃん、すまないけど、ゆうちゃんのご飯、作ってやってくれんが?」
 元気いっぱい、大丈夫宣言した私に、お祖母ちゃんは申し訳なさそううに言った。
 「うん。いいよ。ゆうちゃん、アレルギーとか大丈夫だっけ?」
 「あぁ、大丈夫だよ。好き嫌いしないイイ子だから、何でも残さず食べてくれるが」
 アラフォーのニートは、何でも残さず食べるだけで「イイ子」扱いなんだ。
 ちょっとムカついたけど、顔には出さず、見送った。

 部屋に戻って、お兄ちゃんにメールする。
 お兄ちゃんは、家を出て都会の大学に行ってる。
 お祖父ちゃんとお父さんに「次男の癖に生意気だ」って、大学進学を反対されたから。
 お兄ちゃんは家出して、遠くに住んでる母方の親戚に頼んで、保証人になって貰って、アパートを借りた。高校の先生達も、ウチがアレな感じの家だって知ってるから、お祖父ちゃんとお父さんにバレないように、受験の手続きをしてくれた。
 奨学金を貰って、バイトして、大学行って、一度も帰省していない。

 お母さんは、私が小さい頃、お父さんに殴られて怪我をした。真知子叔母さんが病院に連れて行ってくれて、そのまま入院。肋骨が折れて、腎臓も傷がついて血尿が出て、重傷だったらしい。
 退院する時、ウチには帰らず、実家に帰った。私とお兄ちゃんを連れて離婚したがってるけど、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんとお父さんに反対されて、実現しないまま、何年も経ってしまった。
 二人も嫁に逃げられるなんて、世間体が悪いから、絶対、離婚しない。
 お祖母ちゃんは、「ゆうちゃんだけでも可哀想なのに、ケンちゃんと真穂ちゃんまで、片親になるなんて可哀想」って、反対してる。
 お兄ちゃんが、学力は充分なのに大学に行かせて貰えないのとか、私がゴミ屋敷でお祖母ちゃんと一緒にコキ使われてるのとか、ゴミを捨てさせてくれないのに、「掃除がなっとらん」って、怒られるのは、可哀想じゃないらしい。
 お祖母ちゃんは、長い間こんな暮らしを続けたせいで、感覚が麻痺したんだと思う。
 お祖父ちゃんとお父さんは多分、絶対、きっと、百パーセントお見舞いに行かない。
 キレイな病院で二人から離れて、少しでもまともな生活と感覚を思い出して欲しい。
 お兄ちゃんの返信は、ちょっと意外な内容だった。

 Re:おばあちゃんが骨折
 本文:おばあちゃんには悪いけど、チャンスだ。
 今年は帰省しないで、大掃除しよう。
 真穂が出て行った後、おばあちゃんが困らないように、全部捨てよう。
 ジジイとオヤジ、二人だけで島に行くようにするから、ちょっと待っててくれ。

 お母さんの実家は、師国(しこく)沖の離島で、漁師の網元。
 連絡船は一日一往復で、歌道山町(うどうやまちょう)からだと、電車とバスと船を乗り継いで、二、三日掛かる。乗り継ぎのダイヤが噛み合ってなくて、待ち時間が長いから。電車も、歌道山町から最寄り駅までは、車がないと行けない距離。ガソリン代が高くつくから、不便でも電車を使う。駅から船着き場は、バスの始点から終点まで。
 お祖父ちゃんとお父さんは、毎年、お兄ちゃんと私を連れてお母さんの実家に行く。お母さんが居ない事で、どれだけ迷惑してるか、文句を並べて散々飲み食いして、お金をせびって帰る。お兄ちゃんが家出した後も、しつこく私を連れて行く。
 「殴ったら逃げられる」事を学習したのか、子供には物理的な暴力を振るわない。
 母方の親戚は、お兄ちゃんと私が、もっと酷い目に遭わされたら可哀想だと思って、あまり強く言えない。
 ゆうちゃんはお留守番。っていうか、部屋から出てこない。私は一度も、ゆうちゃんの顔を見た事がない。お兄ちゃんは小さい頃、見た事があるって言っていた。
 毎日、昼と夜、お祖母ちゃんが部屋の前にご飯を持って行ってる。お祖母ちゃんは、「ゆうちゃんが出て来てくれない」って、毎日しょんぼりしてる。
 ご飯を持って行かなきゃ、その内、おなか空かせて出て来るのに。お祖母ちゃんがそうやって甘やかすからだって、何回も言ってるけど、お祖母ちゃんは、可哀想ばっかり言って、甘やかしまくってる。ゆうちゃんの世話があるから、お祖母ちゃんもお留守番。
 所謂、ひきこもりと言うアレだ。
 放っておいたら、何日で音を上げて出て来るか、試してみたい気はする。
 でも、お祖母ちゃんと約束しちゃったから、仕方ない。
 何かテキトーに、余り物でも与えとけばいっか。

 次の日、学校から帰ったら、真知子叔母さんからメールが二件来た。

 Re:左足折れて右手ヒビ腎臓も悪い足のしゆじゆつの後で検査です長引きます
 Re:家の事がんばつてこまつたらいつでもメールしてねいつでも助けに行くからね

 件名に用件、本文は空。改行は勿論、句読点も、拗音撥音もない。そんなメールなのに、叔母さんの気持ちが有難くて涙が零れた。
 震える手でお礼を返信して、溜め息を吐く。
 お祖母ちゃんが具合悪いのは、案の定、だ。
 でも、これで、大掃除を決行しやすくなる。
 お祖母ちゃんが居ると、「お父さんに怒られるから」って、ゴミを捨てさせてくれないから。今の内にゴミをまとめておこう。
 ゴミ袋は、台所と廊下と庭の倉庫に、箱単位である。
 お祖父ちゃんとお父さんが、畑に出ている間にまとめて、家の裏にでも置いておこう。最近は寒いから、ビニールハウスの雪下ろしと、冬野菜の収穫だけして、すぐ帰って来る。
 朝ごはんとお弁当も用意しないといけないし、少ししか作業できないけど、何もしないよりはマシ。
 たったひとつでもいい。
 ゴミを捨てたい。

 夜遅く、お兄ちゃんからもメールが来た。

 Re:おばあちゃんが骨折
 本文:話がついた。島の人達、協力してくれるって。
 こっちが片付いたら、母さんも離婚の裁判始めるってよ。今、弁護士と相談中。

 もっと早くに離婚できてればよかったけど、私達が人質になっていて、今までズルズル来てしまった。私達がいなければ……って思わない日はなかった。

01.澱み←前  次→03.工作
↑ページトップへ↑

copyright © 2015- 数多の花 All Rights Reserved.