■汚屋敷の兄妹-賢治の12月25日 14.廃棄(2015年08月16日UP)

 マスク、ゴム手袋を装備。俺、真穂、ツネ兄ちゃん、クロエさんが、ゴミ袋を手にして横一列に並ぶ。戸を外した玄関口の三分の一は、バカでかい傘立てが塞いでいた。双羽(ふたば)さんの入る余地がない。
 「では、私は別の作業をしましょう」
 双羽さんはゴム手袋を外し、水に命令した。雪解け水がふわりと浮かび、玄関の天井を這う。埃塗れの蜘蛛の巣、煤、砂埃、黴が洗い流される。表面を流れてるんじゃない。高圧洗浄みたいだ。
 見とれてる場合じゃなかった。俺はヘドロに手を入れた。何の手応えもない。この世のヘドロじゃないんだ。底抜けサンダルをゴミ袋に入れた。
 他の三人も無言で、割れ下駄、破れ長靴、黴靴、ボロ革靴をゴミ袋に入れる。靴底単体、鼠の歯型付きビーチサンダル、何故かベタつく革靴、ゴキブリの死骸入り靴、鼠のミイラ入り長靴、千切れツッカケ、折れパンプス、破れレインコート、破れ傘、ヘシ折れ折り畳み傘、終わってるお裾分け、腐れ段ボール、噛み千切られた靴紐、鎌で切ったっぽい長靴、古新聞、変色した幼児用スリッパ片っぽ、トイレサンダルの割れた奴、煙草の穴が開いたズック靴片っぽ、変色した革靴、鱗状に剥がれた革靴……
 何か動かす度に埃と胞子が舞い上がる。マスク越しにも黴臭い。鼠の尿なのか、アンモニア系の刺激臭もある。冬でよかった。朽ちたお裾分けの腐臭は、干からびているせいか、かなりマシだった。
 ゴミ袋が満タンになる度に、ゴミ焼きの円に運ぶ。
 ツネ兄ちゃんが、小銭を拾って俺にくれた。二百十八円。硬貨にも埃と虫の糞がこびり付いている。後で洗おう。俺は小銭を倉庫の前に置いた。
 絶望的に思えた玄関も、四人掛かりなら、あっという間だった。
 庭に黒い山ができた。三枝(さえぐさ)さんは、ゴミ袋から浸み出した雑妖(ざつよう)を斬っていた。ノリ兄ちゃんの方に行った雑妖が、見えない壁にぶつかる。足元の小さい円は、安全地帯なのか。
 双羽さんが操る水は、玄関の天井から汚れを剥がし終えると、一旦、ゴミ山に汚れを吐き出した。清水になって、家の奥に進む。今度は廊下の天井だ。
 「クロエさん、次は傘立ての傘。全部捨てます。ゴミを焼いた場所に運んで下さい」 
 「はい、賢治さん」
 「ケンちゃん、いいのか?」
 「全部捨てて、一人一本ずつ新品買った方が早いです。確認する時間が勿体ないんで」
 「私、自分のは部屋に置いてるから、大丈夫」
 ツネ兄ちゃんは心配してくれたけど、どうせ、まともに使える物なんてない。真穂はしっかり自衛していた。クロエさんは何の疑問もなく、傘立てに積み上がっていた傘を十数本、一気に抱えた。
 俺は、破れたレインコートを地面に広げ、その上に傘を積んだ。レインコートで包んで一気に運ぶ。重い。骨が金属だからか、傘の束は予想以上に重かった。クロエさん、意外と力持ちなんだな。
 「クロエ、傘立てを先程の円に運びなさい」
 「はい、双羽隊長」
 「えっちょっ……」
 傘立ては、まだ上に乗っていた物を除けただけで、ギッシリ傘が詰まっている。っつーか、傘立て本体も幅二メートルくらいある金属のごつい物だ。こんな女性に無茶振りするにも程がある。ゴミ山から玄関に戻ろうとして、俺は固まった。
 クロエさんは、双羽さんに言われた通り、一人で巨大な傘立てを運んでいた。
 俺なら多分、持ちあげる事すらできない。魔法……? 何か魔法使ってんの?
 重い地響きを立てて、傘立てはゴミ焼きの円内に置かれた。
 双羽さんが玄関の三和土(たたき)を洗う。水流が、何十年も放置された汚れを根こそぎにする。あっと言う間に水がドブ色に染まる。鼠やゴキブリの糞、朽ちたお裾分けの腐汁、黴、虫の死骸、埃、ダニ。バイオ系の毒に染まった水が、ふわふわ宙を漂い、傘立ての上に毒を吐き出した。黒い粉が塊になって落ちる。
 水は、玄関とゴミ山を三往復して、廊下の天井掃除に戻った。一滴も残らず、玄関は乾いてさっぱりしていた。
 「おひさまの端っこ借りて、このゴミ、一回焼くね」
 ノリ兄ちゃんが、安全地帯から出る。三枝さんが駆け寄り、無駄のない動きで雑妖を斬り捨てた。ノリ兄ちゃんが円を描き直し、呪文を唱える。さっき同様、闇の円柱の中で白い炎が躍った。
 おひさまの端っこ……多分これ、コロナかプロミネンスなんだ……

 「靴箱の上は、集金のお釣りとかあるかもしれないから、ちゃんと見よう」
 ツネ兄ちゃんに言われ、我に返る。
 古い家なので、間口は広い。玄関の三和土は、畳を横に三枚並べたくらいある。戸口に対して直角に、背の低い靴箱が置いてある。上には色んな物がごちゃごちゃ乗っていて、もれなく埃を被っている。現金以外の物は要らん。
 靴箱は他にも二つある。戸を半分塞ぐ形で、二メートル級の傘立てが置いてあった。その隣に、天井まで高さのある靴箱が二つ、向い合せに聳え、文字通り双璧を成している。
 人数に対して、靴が多過ぎる。履けない靴を捨てさせてくれない理不尽。
 「真穂、そっち宜しく。俺、こっちの大きい方やるゎ」
 「了解」
 どうせ中身は全部朽ちてる。何も見ないで捨てよう。
 「外の方が作業しやすいでしょう。クロエ、奥の靴箱をひとつずつ、ここに置きなさい」
 双羽さんが、玄関から十歩くらい離れた場所を指差す。クロエさんはイイお返事をして、靴箱に近付いた。
 「あ、これ、中身入ってるんで」
 「そうですか」
 「いや……そうですかって……」
 クロエさんは、それ以上俺に構わず、傘立ての隣だった靴箱に手を添えた。特に呪文を唱えた様子はない。クロエさんは、空の段ボールでも動かすように、ひょいと靴箱を持ちあげた。斜めにして、天井に当たらないよう、方向転換する。俺は、廊下に上がった。ツネ兄ちゃんと真穂が外に出る。中の物が動く重い音がしているが、クロエさんは顔色ひとつ変えずに出て行った。
 地面に置く音は、明らかに相当な重量物のそれだった。
 「クロエの事も後で説明するよ。さっさとやろう」
 「は、はい。あ、その靴箱、開けない方がいいと思うんで、もう、丸ごとポイで……」
 ツネ兄ちゃんに言われ、真穂が言うと、クロエさんは首を傾げた。
 「クロエ、その靴箱は二つとも、先程の円に運びなさい」
 ゴミ焼きはとっくに終わっていた。双羽さんは水を操り、三枝さんが広げたゴミ袋に灰を移していた。
 クロエさんはイイお返事をして、イヤな顔ひとつせず、靴箱を運んだ。

 俺、真穂、ツネ兄ちゃんの三人で、靴箱の上の不燃物も可燃物もいっしょくたに、ゴミ袋に放り込む。
 何故か、硝子製のごつい灰皿が出て来た。双羽さんに洗ってもらい、発掘した小銭を入れる。硬貨はどれも、素手で触る事すら躊躇うレベルの物ばかりだった。
 何の金か知らないが、千九百八十円入った茶封筒も出て来た。封筒はヘンな染みが付いている。現金だけ灰皿に入れた。
 他は、観光地土産の置物、ミニ提灯、木彫りの熊、干からびた水槽、枯れた盆栽、河豚提灯、埃塗れの翡翠の馬、翡翠の鶏。吸殻山盛りの陶器の灰皿、紙袋、紙箱だった。
 翡翠の鶏は何故か、温かかった。明らかに中に何か居る。思わず落としたら、丁度、ツネ兄ちゃんのゴミ袋に入った。
 紙箱の内二つは、中身が入っていた。真穂が蓋を開けると、雑妖が飛び出して来た。イヤなびっくり箱だが、視えなければ何ともない。薄紙に包まれた桐の下駄と、草履。箱は汚いが、中身は汚れていない。
 「どうする? 置いとく?」
 「お祖父ちゃんとお祖母ちゃんのみたい……これはまぁ、置いとこっか」
 一応、真穂にも聞き、意見が一致したので、箱は捨てて中身だけ倉庫の前に置いた。
 三人掛かりで合計六袋を満タンにして、靴箱の上から物がなくなった。現金入りの灰皿だけ倉庫前に置き、三和土(たたき)の小銭を一緒にする。
 「この靴箱は、どう?」
 「開けちゃいけない気がします」
 「クロエ、この靴箱も、先程の円に運びなさい」
 ツネ兄ちゃんに聞かれたが、イヤな予感しかしなかった。どの靴箱も、鼠や害虫……だけじゃなくて、化け物の巣だ。このまま焼いてもらうのが、一番いい。
 でかい靴箱は二つとも、背板が黴で真っ黒だ。中身も多分、そうだろう。
 完全に空っぽになった玄関を、双羽さんが水で丸洗いする。壁にこびり付いていた埃やヤニがごっそり取れる。水の汚れをゴミ袋に捨て、清水で廊下と玄関の間に壁を作った。
 「ちょっと待ってね」
 ノリ兄ちゃんが、何もない玄関に入る。杖を引きずりながら、呪文を唱える。歌うような不思議な抑揚だ。三和土(たたき)と同じ大きさの矩形が完成する。ノリ兄ちゃんは、三和土の中心に立ち、結びの言葉を唱え、石突きでトントンと足元を打った。
 杖で囲んだ範囲が、明るくなった。
 光が点った訳ではない。ただ、場が目も醒める鮮烈な明るさに切り替わった。画像処理ソフトで、写真の明度をいじったみたいだ。
 「玄関を安全地帯にしたよ。雑妖はここから外に出られなくなったからね」
 「えっあ、ありがとうございます」
 ノリ兄ちゃんは、それだけ言うと、庭の安全地帯に戻った。

13.玄関←前  次→15.廊下
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