■野茨の血族-07.腕環 (2014年12月10日UP)

 「え……それ? ……あ、これ? 魔法の腕環って聞きましたけど……」
 友田は、パーカーのポケットから、銀の腕環を取り出した。
 政晶もカップを置いて、腕環に注目する。准教授と級友、どちらに見せるか決めかね、友田はそのままの姿勢で硬直した。
 複雑に絡み合う木の枝の意匠で、赤と青の宝石が一個ずつ嵌っている。
 「悪い物ではないね。使い方は知ってる?」
 それは「品質」なのか、「邪悪な物ではない」という意味なのか。
 友田が、恐る恐る左手首に腕環をつけた。
 赤い石が淡く輝き、白い靄が立ち昇る。ゆっくりと渦を巻きながらテーブルの横に凝集し、人のような形を成す。次の瞬間、赤い石が閃光を放った。
 「うわーッ!」
 政晶と友田が同時に叫び、耳まで真っ赤にして俯いた。
 光が消えた後、テーブルの横に銀髪の少女が佇んでいた。全裸で。
 「友田君、腕環見せてくれる?」
 巴准教授は、平然と友田に話し掛けた。友田が俯いたまま叫ぶ。
 「な……な……な……何なんですか、これ?!」
 「ゴーレムの一種だね。おつかい頼んだり、家の用事手伝ってもらったりするの。正確な事はちゃんと調査しないとわからないけど、使用者の魔力や体力が動力源だと思うよ」
 巴准教授は、嬉しそうに腕環の解説をした。
 おっちゃん、何で友田君が魔法の腕環持っとんのわかったんや? 
 「先生の使い魔……みたいなもんですか?」
 「失礼な! 私をこんな、誰にでも使われる節操なしと一緒にしないで下さい!」
 執事の怒声に、背中を殴られたような衝撃を受け、竦み上がる。
 「クロ、おいで。だっこしよう」
 巴准教授が言った途端、ポンッと紙袋が割れたような音がした。黒猫が政晶達の足下をすり抜け、ベッドに飛び乗り、主人の腕の中に納まる。
 今、目の前に居るのは、政晶が中庭で何度も見た黒猫だった。
 化け猫……も、ホンマやった……
 黒猫に変身した執事は、琥珀色の目で友田を睨み、フンッと鼻を鳴らした。
 「あーハイハイ、クロが一番上等で忠実なのは、僕が知ってるからね〜」
 巴准教授が、幼児をあやすように言って、使い魔の背中を撫でる。黒猫は目を細め、ゴロゴロ喉を鳴らし始めた。この姿だけを見ると、完全にただの猫にしか見えない。
 「なぁ、友田君、それ何なん?」
 また方言に戻った政晶が、窓の方を向いたまま、少女が居る辺りを親指で指した。
 「すまん、俺もさっき占い師さんから借りたばっかで詳しい事、知らないんだ」
 双羽が溜息を吐いて、腕環から出てきた少女に歩み寄る。巴准教授は、黒猫型になった使い魔を撫でながら説明を続けた。
 「使い魔は魔法の主従契約が必要だけど、この手のゴーレムは家電製品みたいな物だから、誰でも使えるんだよ。宝石が二種類嵌ってるから、赤いのがルビーで体力、青いのはサファイアで魔力の充電池みたいな物だと思う」
 政晶は、友田の腕環を見た。赤い宝石が淡い光を放っている。
 家電って……えーっと、要は、擦ったら魔神が出てくる魔法のランプの腕環版か?
 「こちらを向いても大丈夫です。シーツを被せました」
 双羽の声に、政晶と友田は顔を見合わせ、微かに頷き合った。同時に、ゆっくりと少女の方を見る。
 銀髪の少女は、純白のシーツを巻きつけられて佇んでいた。金属光沢の髪が腰まで伸び、瞳も銀色。年は高校生くらいに見えるが、表情がなく、人形のような美しさだった。
 「服はセットじゃないんだね。うちで余ってるのをあげるね。黒江」
 黒猫がベッドから飛び降りる。床に着地した瞬間、ポンッっと何かが弾ける音と同時に執事に戻った。変身に一秒と掛かっていない。
 巴准教授が、執事になった使い魔に、腕環の少女に服を着せるよう命じる。執事は、主人に一礼すると、少女に「来なさい」と声を掛け、ドアを開けた。
 腕環の少女は、マネキンのように突っ立ったまま、動かない。
 「友田君、腕環に命令して」
 巴准教授に言われ、友田は明らかに狼狽(うろたえ)えていた。准教授が助言を与える。
 「まず名前を名乗るように言って、それから、その名前を呼んで命令するの。今は『この部屋に戻ってくるまで黒江の指示に従え』って言って」
 「はい! えっと、名前を名乗って……下さい」
 何故か敬語になる友田。
 「デーレヴォ」
 少女の形のいい唇が動いた。政晶は、腕環から出てきた少女が日之本帝国語を理解した事に驚いた。友田も同じく驚いて質問する。
 「あ、えっ? 日之本語わかるんだ? 何で? ……あ、えっと名前なんだっけ? すみません、もう一回言って下さい」
 「湖南(こなん)語とご主人様がご存知の言語は全て理解できます。私の名は【デーレヴォ】です」
 腕環の少女デーレヴォは、音声案内のように答えた。
 「湖南地方で製造されたんだろうね。きっと元々輸出用だから多言語対応なんだよ。名前は湖南語で【樹木】って言う意味だよ」
 巴准教授は好奇心に瞳を輝かせ、狼狽する友田を他所に説明した。
 湖南地方……ラキュス湖南地方
 最近習ったばかりの地理の教科書の一節が、脳裡を過る。
 ラキュスは、日之本列島の西に位置するチヌカルクル・ノチウ大陸にある世界最大の塩湖だ。周辺には政晶達と同じ「陸の民」の他、髪が緑色の人種「湖の民」が棲息している。また、人間よりも魔物が多く、危険な国が多い。
 ラキュス湖南岸に位置する湖南地方には、科学文明と魔法文明を折衷する「両輪(りょうりん)の国」と、純粋な魔法文明国が混在し、その多くは長く続く民族紛争で疲弊し、国力が衰退している。湖東(ことう)地方も同様。
 湖北(こほく)地方は、魔法文明国のみ。紀元前に湖北地方で栄えたプラティフィラ帝国時代には、遠方の国とも交流があった。
 現代の魔法文明国は、殆どが鎖国政策を採るが、湖南地方の魔法文明国は、いずれも国連に加盟し、諸外国と交流を持っている。
 湖西(こせい)地方は、どこの国にも属さない砂漠地帯で、獰猛な魔物が極めて多く、人の居住に適さない。プラティフィラ帝国時代は、魔法文明が中心だったが、大破壊によって幾つもの国が消滅した。湖西地方もそんな地域のひとつだ。
 大破壊をもたらした「三界(さんかい)の魔物」が封印された年を紀元元年とし、現在に続く「封印歴」の時代が始まった。
 印歴紀元後には、魔法文明が衰退し、科学文明が台頭した。
 記録によると、紀元前の人類は、基本的に魔法を使う能力を持っていた。しかし、紀元後に生まれた人々の多くは、その力を持っていない為だ。
 その原因は、未だに解明されていない。
 現在の魔法使いの分布は、地理的な偏りがある。例えば、政晶達が住む日之本帝国には、殆どいない。魔法の代替手段として、誰にでも扱える科学技術が発展した。一方、湖北地方のプラティフィラ帝国は、三界の魔物に滅ぼされたが、現在は同じ場所にその流れを汲む七つの魔法王国がある。
 えー、封印同盟七王国って、何処と何処やっけ? 先生、期末に出す言うとったよな?
 友田が何度も詰まりながら、教わった通りに命令した。デーレヴォは、自動応答のように無機質な返事をして、執事について行った。
 使い魔と魔法の腕環が見えなくなると、政晶は大きく息を吐いた。
 「ホントすみませんでした。使い魔って……怒るって言うか、感情があるんですね」
 友田は、政晶が言い出せずにいた疑問を、当たり前のように自然に口にする。教室では空気だが、ここでは生き生きとしていた。
 「ん? うん。使い魔には色々種類があるけど、基本的に生き物だからね。魔物でも動物でも魔法生物でも、心と自分の意思は、持ってるんだよ」
 巴准教授は、自分の著書を読んでいる友田に補足説明をした。基礎知識のない政晶には、何を言っているのか、よくわからない。
 「ゴーレムにも感情や表情を与える事は可能だけど、お勧めはできないなぁ……」
 「できるのにダメって……何故ですか、先生?」
 「感情は心のエネルギーで、表情はその表出。表情を出すのも抑えるのも、とっても大きなエネルギーが必要なんだ」
 友田が首を傾げる。
 「普通の人はそれを無意識に行ってるから気付かない。でも、お仕事とかで怒ってるのに怒ってないフリをして、ストレスで体調を崩す人って多いよね? そう言う人達は心的エネルギーの歪(ひず)みが原因で病気になってるんだよ」
 友田は、わかったような顔をして何度も頷いた。
 「借り物だって言ってたし、家電と同じくらいの気持ちで使うといいよ」
 「何で? 魔物でもおっちゃんとクロみたいに仲良うできるんちゃうん?」
 政晶が叔父に聞いた。さっき執事は、あんなに感情を露(あら)わにしていた。心と意思があるのなら、それを無理に抑えつける方が不自然ではないのか。
 「ゴーレムに感情を作らせて表現させるには、大量のエネルギーが必要だからね。友田君は体力で使うから、過労で倒れちゃうよ。余分な機能は使わないで、用のない時は腕環も外した方がいいだろうね」
 友田は、明らかに落胆していた。だが、すぐに気を取り直し、明るい表情に戻る。
 巴准教授が唐突に話題を変えた。
 「あ、そうだ、名前。十五歳になったら自分で好きな名前に変えられるんだって」
 「えっ?! マジっスか?!」
 友田鯉澄(ともだりずむ)が全力で食いついた。
 「僕はよく知らないけど、前に経済が調べてたんだ。色々条件はあるけど、家庭裁判所で手続きするんだって。手数料が何千円か掛かるって言ってた」
 父さんはえぇけど、宗教叔父さんと経済叔父さん……名前で苦労してそうやもんなぁ。あれっ? 調べただけで名前変えてへんの? なんで? 変えた名前がアレなん?
 政晶は、宗教の顔をまじまじと見た。
 「ありがとうございます!」
 友田が立ち上がって最敬礼した。
 「名前が嫌だと、自分を好きになれないものね」
 巴准教授の言葉に、友田の目から涙が零れそうになる。友田は、細くゆっくりと息を吐いて顔を上げた。
 改名には興味なさそうな口ぶりだが、巴准教授は少し寂しそうに微笑んで、友田に座るよう促した。
 暫く中学の話をしていると、人外二人が戻ってきた。
 腕環の少女デーレヴォは、近所のおばちゃんのような恰好になっていた。表情がない為、服を着ても生々しいマネキンのままだ。
 巴准教授は、執事に支えられて立ち上がり、杖を手に取った。戸口に立ったままのデーレヴォに近付き、杖の先端にある黒山羊で彼女の肩に触れる。
 「じゃあ、この服を同期させるね」
 友田が頷くと、父と同じ顔の巴准教授は、可愛い声で呪文を唱えた。初めて耳にする不思議な響きの言葉だった。
 今、目の前に本物の魔法使いがいる。
 叔父が魔法を使っている。
 全身に鳥肌が立つ。
 感動なのか、恐怖なのか、興奮なのか。
 自分でもわからない感情が、政晶の全身を駆け巡った。
 長いような短いような詠唱が終わり、魔法使いの巴准教授は、杖の石突きで、床をトントンと打った。
 デーレヴォには、目立った変化はない。
 「服を同期……えっと、霊的に固定したから、腕環から出し入れする度に服を着せなくてもよくなったよ。着替えもできるけど、これ以外の服は、腕環に戻した時に脱げて、次に腕環から出したらこの服に戻ってるからね。一応、確認の為に戻してくれる?」
 「ありがとうございます! えっと、戻すって……どうやればいいんでしょう?」
 「腕環に戻るように命令するか、腕環を外せばいいと思うよ」
 友田は無言で腕環を外した。デーレヴォの輪郭がぼやける。全身が色付きの靄になり、あっという間に腕環に吸い込まれて消えた。
 「もう一度出して、どんな機能があるか聞いてくれる?」
 言われるまま、友田は腕環を着けた。先程と同様にルビーが輝き、靄が渦を巻く。反射的に目を逸らす。友田と目が合った。
 「大丈夫。成功してるよ」
 巴准教授に声を掛けられ、デーレヴォを見る。服を着ていた。友田が巴准教授に礼を述べ、デーレヴォに質問する。
 「姿を消す事、壁を通り抜ける事、空を飛ぶ事ができます。ご主人様」
 「あれっ? 家事用かと思ったんだけど、諜報用だったのかな?」
 腕環の答えに、巴准教授が首を傾げた。
 「まぁ、どんな機能でも使う人次第だからね」
 「使う人次第……」
 「例えば、ボールペンは筆記具だけど、使い方によっては物理的に人を殺す凶器にもなるからね。どんな道具も知識も、使う人によって良い事にも悪い事にも使える。この腕環を凶器にしないように気を付けて使ってね」
 友田は何度も礼を述べ、「最悪な母親」が居る家に帰って行った。
 その夜、政晶は幾つもの疑問が解消し、久し振りにすっきりした気分でベッドに入った。
 おっちゃんは帝国大学の先生で、ホンマに魔法使いで、執事さんは執事さんやのうて、おっちゃんの使い魔で……えーっと、化け猫で、おっちゃんが飼い主やから「ご主人様」言うて、父さんらには懐いてへんから、言う事きかへんし、あんな態度なんや。ポテ子は大きいても普通の犬やから、そらまぁ、化け猫は恐いわなぁ……
 明かりを消した部屋で、天井を見詰めたまま、考えをまとめる。
 そしたら、高祖母ちゃんもホンマに魔女なんやろな。双羽さんが何や知らんけど恐かったんも、魔女やったからなんや。

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