■野茨の血族-22.魔物 (2014年12月10日UP)

 食後、基本の型を幾つか練習した。
 建国王は、先日とは打って変わって丁寧に説明する。政晶が怪訝に思いながらも指示に従っていると、建国王は憮然として言った。
 〈我を何だと思っておるのだ。汝ら舞い手を導き、瘴気を祓う事が、我の存在理由ぞ〉
 政晶は面倒になり、なるべく何も考えないように体を動かした。
 特に何事もなく旅程は順調に進んだ。結局、言いだせなかった政晶の靴擦れが悪化した事を除いて……靴を脱いで見るまでもなく、踵と踝の皮が剥け、靴下は汗ではない液体でぬるつき、足首に貼りついている。
 夏の午後は長く、予定通り、夕刻の少し前に村が見えてきた。
 政晶は痛みに耐え、脂汗を滲ませながら歩く。痛みを表情に出さない政晶に、建国王が溜め息交じりに説教する。
 〈何度も言うが、その我慢に何の意味があるのだ。鍵の番人は、治療で手を煩わされたなどと腹を立てたりはせぬ。足が痛いと言え〉
 我慢の意味……? 意味とか、そんなんわからん。別に誰にも迷惑掛けてへんし、別に靴擦れくらい、言わんでもえぇやん。
 〈何度でも言うが、汝が痛みは我が痛み。意味のない我慢をするでない。力有る大人を頼れ。あれは、ちびっ子に見えて、二千年以上存在し続けている大人だ。長老の一人だ〉
 二人は、他人には聞こえない声で、同じ問答を堂々巡りさせている。
 何故、痛みを訴え、他人に助けを求める事ができないのか。
 政晶自身にもわからない。
 助けを求めるべきなのにそうしないでいる事すら、建国王に指摘されるまで気付かなかったのだ。促されても尚、苦痛を訴え、助けを求める事ができない理由を、明確に説明できる言葉が見つからなかった。感覚を共有する建国王に対してさえも、その漠然とした「何か」を巧く伝える事ができなかった。
 影が長く伸びる田園風景の中、胸の中で何かをざわつかせながら、歩いて行く。
 一歩一歩、その歩みが政晶の踵と踝を削り取る。
 畑仕事を終えた村人達が家路を辿っている。暮れかけた奇妙に青い空の下、石畳に落ちる影は薄くなり、殆ど消えていた。夕飯用の収穫の帰りらしい。野菜籠を背負う農夫の後ろ姿を追うように、一行は村を目指した。
 夏草が生い茂る休耕地の脇を歩く。夕暮れの風が青草を揺すった。
 馬が休耕地に首を向け、足を止める。鍵の番人が鋭く一声発し、騎士達が一斉に剣を構えた。
 政晶の背丈程の草が、風ではない何かで揺れている。
 馬上の鍵の番人と、長身の〈雪〉と〈灯〉には、迫りくるモノが見えているらしい。政晶とそのモノの間に立ち塞がり、小声で呪文を唱え始めた。
 〈斧〉が叢(くさむら)の前に出る。〈雪丸〉が、落ち着きなく足を踏み鳴らす馬達を道の端に寄せる。特に指示されていないクロエは、政晶の隣でぼんやり立ち止まっている。
 政晶はどうしていいかわからず、剣の柄に手を掛けたまま、騎士達の動きを見守るしかなかった。
 〈早まって我を抜くでないぞ。汝は騎士に守られておればよい。まずは落ち着け〉
 政晶は柄を握ったまま頷いた。緊張で口が強張り、動かない。背筋を冷たい汗が伝った。
 叢から獣の鼻面が現れた。
 一行の風下から回り込んできたそれは、狼に似た獣だった。大型犬ロットワイラーのポテ子よりも一回り大きい。灰色の毛に覆われた顔で、四つの目が金色に輝いていた。魔獣の四つの目が、一行を値踏みするように動く。
 〈案ずるな。あれは三界の魔物ではない。ただの魔獣だ〉
 タダの魔獣言われても、あれ、僕ら食べる気満々(まんまん)ですやん。
 足が震える。
 〈雪〉と〈灯〉の声が止んだ。呪文を唱え終えたようだが、政晶の目には何の変化もみつけられなかった。
 最初の一頭が叢から躍り出た。
 明らかに政晶を狙って跳躍したが、何かにぶつかり、無様に地に落ちる。魔獣が衝突した瞬間、薄青く色付いた壁が現れた。〈雪〉と〈灯〉が展開した壁に阻まれたのだ。魔法の壁は、魔獣の群れと政晶の間に立ちはだかっていた。
 壁に当たった魔獣は眉間に皺を寄せ、低く唸った。それを合図に青草の中から三頭現れ、〈雪〉に襲いかかった。〈雪〉は剣を持つ手を誰かに引っ張られたように右に傾き、魔獣の牙を躱(かわ)した。〈斧〉が剣で薙ぎ、一頭の前足を斬り飛ばした。
 〈雪丸〉が短く呪文を唱え、何もない所で剣を横に振るう。白く輝く投網のような物が現れ、最初の一頭に絡みついた。魔獣が身動きすると、網はその身に食い込み、灰色の毛皮を血に染める。苦痛にもがけばもがく程、網は魔獣の肉を切り刻んだ。
 〈灯〉が、自分に飛び掛かってきた魔獣を躱しざま、大きく開いた口に剣を突き入れた。突進の勢いを借(か)った切先が、魔獣の頭部を突き抜ける。〈灯〉が剣から手を離すと、勢いのまま死骸が地面を転がった。〈灯〉は、剣をそのままに呪文を唱える。
 一頭が荷を積んだ馬に向かう。〈雪〉が右手の魔剣に引きずられ、ぎこちない動作で駆け出す。馬と魔獣の間に割り込んだ〈雪〉は、魔獣の体当たりを受け、転倒した。
 馬から標的を変えた魔獣が〈雪〉を押さえ込み、喉笛に喰らいつこうとする。〈雪〉の魔剣が、不自然な動きでその首に斬りつけた。浅く斬られた魔獣は、短い悲鳴を上げ、脇に飛び退く。
 立ち上がろうとする〈雪〉を、左前足を失った魔獣が襲う。その頭部を横から飛来した光の槍が叩き潰した。〈灯〉が放った魔法の槍は、触れた瞬間、強く輝いて消滅し、後には左前足と頭部のない魔獣の死骸が残った。
 〈斧〉が残る一頭に斬りかかる。斬撃を避けた魔獣を〈雪丸〉の網が捕えた。先の魔獣は、既に事切れている。身動きが取れなくなった魔獣に〈斧〉が止めを刺した。
 政晶は、薄青い壁のこちら側で呆然としていた。頭の芯が痺れ、何も考えられない。
 街道の石畳の上に四頭の魔獣が、骸を横たえていた。
 返り血を浴びた騎士達が、呼吸を整えながら周囲を警戒している。魔法の壁は消えたが、政晶は一歩も動けなかった。
 村の入り口で様子を窺っていた人々が、村長と思(おぼ)しき年配の男性を先頭に、荷車を引いて出て来た。口々に礼を言い、手際良く死骸を積み込んで行く。
 なぁ、あれ、どないするん?
 〈毛皮と牙は素材として残し、後は焼き捨てる。……大分、落ち着いたな〉
 えっ……あぁ、うん。落ち着いたん……かな?
 政晶はまだその場を動けず、作業の様子をぼんやり眺めている。建国王の声にもどこか他人事のように答えた。
 見開かれたままの魔獣の目は、四つとも光を失っている。もう動かないとわかっていても、化け物は恐ろしいままだ。
 こんな村のすぐ前でも、あんなごつい化けモンおんねんなぁ……
 〈奴らは人を恐れぬ故、人里近くでも狩りをするが、なぁに大した力のない獣に過ぎん。恐るるに足りん。現に騎士達は魔獣を屠り、汝を守ったであろう〉
 そう言われても、恐い物は恐い。生前は戦士として三界の魔物と戦い、死後も剣となって戦い続ける建国王には、何の力も持たない政晶の気持ちが、わかる筈もなかった。
 返り血と砂埃に塗れた騎士達が、手綱を取って馬を宥める。荷を負った軍馬は、さして動揺しておらず、大人しく列を組んで歩きだした。騎士に囲まれて歩く政晶は、血の臭いに吐き気を催したが、何とか平静を装って村へ向かった。
 村の共同井戸を借りて体を洗い、鍵の番人が、負傷していた〈雪〉を癒した。本人が言う通り、戦いには全く慣れておらず、魔剣に振り回されているだけだった。
 政晶は〈雪〉なら、自分の気持ちをわかってくれるのではないか、と淡い期待を抱いたが、すぐにそれを打ち消した。〈雪〉も魔法使いで、普通に霊視力があり、一応、剣も使える……大人だ。魔力のない半視力の子供の気持ちは、わからないかもしれない。
 大体、そんなん……わかってもらえたとして、それで……どないやねん。
 何も変わらない。政晶が無力である事は変わらない。恐がっている事に気付かれると、今以上に気を遣われ、心苦しくなるだけだ。
 宿に入ると、騎士と鍵の番人は、何事もなかったかのように食卓に着いた。女将が上機嫌で飲み物を運んで来る。
 「最近、ここらをうろついていた奴、やっつけてくれてありがとね。騎士団に見回りを増やして貰ってたんだけど、巡回がある時に限ってどっか行っちゃってて、羊とか盗られてたのよ。助かったわ。本当にありがとうね」
 「いえいえ、どういたしまして。我々も騎士の端くれですから、お気になさらず」
 〈灯〉が女将と世間話を始める。
 何で今まで逃げられとったのに、今日は倒せたんやろ? この人ら、新米やけどやっぱりプロやし、めっちゃ強いから?
 〈汝はあの無様な戦いぶりが強く見えたのか。嘆かわしい……逆だ。逆。弱い集団だからこそ、魔獣の群れは逃げ隠れせず、襲って来たのだ〉
 建国王に小馬鹿にされ、政晶は落胆した。この騎士達が弱いなら、戦う力を何も持たない政晶は、お荷物以外の何者でもない。その「弱い」彼らに、ただ守られるだけの自分がもどかしい。
 〈付け焼き刃の力なぞ何の役にも立たん。それこそ却って足手纏いだ。大人しく守られる事こそ、彼らの為と心得よ〉
 でも……
 〈汝には汝にしかできぬ重要な役目がある。限られた時を余計な事に浪費するでない〉
 うん。それはまぁ……そうやねんけど……でも……
 〈「でも」の続きを考えておらぬなら、余計な気を回すな。目の前の事に集中するのだ。よいな〉
 政晶は頭ごなしの命令に苛立ったが、その苛立ちも建国王に筒抜けである事に気付き、更に苛立った。
 夕食は、採れたての新鮮なサラダと野菜スープとパン、豪快な切り方の羊料理だった。香ばしく焼き色のついた羊肉の塊に、赤いソースがたっぷり掛かっている。
 騎士達は、井戸で洗って服にも体にも血の染みは残っておらず、昨日までと同じように食事をしている。気弱そうな〈雪〉でさえ、普通に羊肉を食べ、談笑している。つい先程、魔獣に食い殺され掛けていたとは思えない。
 政晶は、肉に手を付けられず、パンと野菜だけで済ませた。
 「ラズベリーソース、嫌いなの? さっぱりしてて、おいしいよ?」
 「えっ? あ……ラズベリー……う、うん」
 〈雪丸〉は好物なのか、血の色を連想させるソースがたっぷり掛かった羊肉を、美味そうに頬張っている。
 「食べないんだったら、もらっていい?」
 「うん、どうぞどうぞ」
 縦横に駆けて魔獣の牙を掻(か)い潜(くぐ)り、剣を振るっていた彼女は、ダイエットとは無縁らしい。満面の笑みで政晶の分まで平らげた。
 「育ち盛りだもんな。食っとけ食っとけ」
 〈斧〉が笑い、つられて他の面々も笑みを零す。政晶は空気を読んで笑ってみたが、?が引き攣り、上手くいかなかった。
 大人やったら、お酒呑んで酔っ払って、恐いん誤魔化したりできるんやろになぁ……
 〈酒? 判断を誤り、魔力を暴走させ、術を掛け損じる。酔っている時に襲われればひとたまりもない。あんな物はロクな事にならんのでな、この地には薬酒しかないぞ。それすらも拒む者が多い。汝の国のように子を守るべき大人が呑むなぞ、ここでは有り得ぬ〉
 政晶の記憶を漁って説明する建国王に、政晶は困惑した。
 〈そもそも、汝が血の臭いをさせておるから、いかんのだ〉
 えっ? 僕のせいなん? なんで……あ、靴擦れ?
 〈だから、さっさと癒してもらえと言ったのだ。他の誰かを癒すおこぼれを待つな〉
 政晶にはぐうの音も出なかった。ここでは、些細な傷が死に直結しかねない。政晶の靴擦れの血の臭いが魔獣を引き寄せたせいで、〈雪〉は食い殺され掛けたのだ。
 素朴な村人達が、常に危険と隣合わせの環境で、一日一日を生き抜いていた事に、初めて思い至った。のどかで退屈に見えた畑の風景は、日々の生存を懸けた戦場だったのだ。
 これがここの「普通」やねんな……

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