■野茨の血族-38.雑種 (2014年12月10日UP)

 クロエが、敷布団の端を握って身構えている。寝台に剣が突き立っていた。その柄から手を離し、近衛騎士が呪文を唱え始めた。憎悪に満ちた目が、政晶を睨みつけている。
 〈トモエマサアキ、体を貸せ!〉
 建国王の声が脳裡に響く。剣が政晶の意思とは無関係に鞘走り、近衛騎士に向けられた。騎士の術が完成する。術は建国王の力に阻まれ、政晶まで届かずに効力を失った。騎士は、寝台に刺さった剣を抜いた。
 「王家の野茨に雑種は要らん!」
 「曲者(くせもの)だ! 出会え!」
 政晶の口が、湖北語で援護を呼んだ。腹に響く重い声。政晶の声ではない。
 近衛騎士が寝台を乗り越えてきた。クロエが布団を投げつける。扉が開き、廊下の騎士達が駆け込む。近衛騎士が左手で布団を撥ね除け、斬りかかった。政晶は声を出す事も出来ない。建国王が騎士の懐に飛び込む。剣を一閃し、右腕を斬り飛ばした。剣を握った腕が床に転がる。入ってきた騎士は事態を把握できず、狼狽した。
 「捕えよ! 舞い手を狙う暗殺者だ!」
 二人は建国王の命令に従い、同僚を捕縛した。術で声を奪われた近衛騎士の口が、尚も何事か呪詛の言葉の形に動いている。
 政晶は、生身の人間の肉と骨を断った感触に怯えた。近衛騎士の眼に腕を切断された痛みはなく、政晶への憎悪を漲らせ、異様に輝いている。
 建国王がその眼を睨み返し、一喝する。
 「この者は、我の裔冑だ。害するとは何事ぞ」
 捕縛された近衛騎士の体から、黒い茨の蔓が噴出した。鋭い棘が密生するだけで、花も葉もない。柄頭で建国王の涙が、若葉色の強い光を放つ。光に触れた黒い茨が萎縮する。
 「ご無事ですか?!」
 双羽隊長が駆け込んできた。一目で状況を把握し、腰から剣の柄を外す。刃のない鍔を胸に押し当て、引き抜く。隊長の体から、白く輝く光の刀身が現れた。
 建国王が、近衛騎士を睨みつけたまま寝台を回り込む。建国王の剣を持つ政晶が離れた分、黒い茨の蔓が伸びる。
 双羽隊長が、政晶を背にして立った。建国王が呪文を唱え、左手で隊長の肩に触れた。三界の眼の視界を与えられた隊長が、息を呑む。
 「そんなにも、憎んでいるのですか……」
 その言葉に、騎士達が怯えた目で同僚を見る。憎悪の茨に浸食され、捕縛の術が振り解(ほど)かれた。近衛騎士が、右腕から血を滴らせながら詰め寄る。
 「小隊長! 何故、退魔の魂である貴女まで、雑種の存在を許すのですか?!」
 剣の形をした退魔の魂を構え、双羽隊長は感情を抑えた声で説得を始めた。
 「口を慎みなさい。陛下は深いお考えの許、国を開かれたのです。近年、世界の情勢が大きく変わり、国を閉ざしていたのでは、封印を……」
 「王家の血が穢れれば、封印が脅かされます!」
 近衛騎士は、血を吐くような声で遮った。王家を慕う心が茨の形となり、政晶の足許に這い寄る。双羽隊長は一歩前に進み、静かな声で近衛騎士の懸念を否定した。
 「異国の血が入っても、王家の血は穢れてなどいません。そうでなければ、建国王陛下の剣にお手を触れ、陛下の魂を受け容れる事などできません」
 黒い茨が若葉色の光に触れ、戸惑うように力なく床を這う。
 三界の眼の視界を与えられていない騎士達は、再び同僚を捕縛すべきか、迷っていた。増援の騎士が到着したが、状況がわからず、戸口で戸惑っている。
 「異国の血が入ったせいで、王家の力が失われようとしています!」
 「異国の血が入っても、黒山羊の殿下は強い魔力をお持ちです」
 近衛騎士は政晶を見て、頭(かぶり)を振った。
 「現にこいつは、魔力も持たない半視力です!」
 「それは、開国に反対した人々による呪いの影響です。それさえなければ、黒山羊の殿下の他にも、魔力をお持ちの方が、無事にお生まれになる筈でした」
 政晶は泣きたくなったが、涙は出なかった。建国王の剣を持つ手に力が籠る。
 建国王は政晶の眼を通して、二人の遣り取りを無言で見詰めていた。鋭い棘を持つ茨の蔓が、苛立ちにうねる。
 「三界の眼が失われれば、魔を討つ事が叶わなくなります!」
 「黒山羊の殿下は、三界の眼をお持ちです」
 双羽隊長が、即座に否定する。
 何者にも染まらぬ黒い動物の徽は、誰の眼にもわかりやすかった。黒山羊の殿下と共に、三界の魔物の討伐に赴いた経験を持つ騎士達が頷く。
 近衛騎士が崩れるように両膝をついた。黒山羊の殿下の使い魔が、その姿を冷たい目で見降ろす。
 「ご主人様は、呪いの影響で長くは生きられません。あなたのような人がいたからです」
 近衛騎士は顔を上げ、使い魔を見た。
 使い魔は無表情で主の敵を見降ろしている。
 黒い茨が、苗床自身に絡み付いた。王家への執着と自責の念が、近衛騎士を締め付ける。双羽隊長が一気に距離を詰め、黒い茨を断ち斬った。退魔の魂に触れた蔓が霧消する。
 近衛騎士に用を言いつけられ、他出していた女官達が戻ってきた。廊下で待機中の騎士に、部屋に入らないよう押し留められる。
 建国王が政晶にだけ聞こえる声で、溜め息を吐いた。
 〈使い魔の気持ちもわからぬではないが、余計な事を……〉
 「強過ぎる思いは、時として三界の魔物につけ入る隙を与える事がある。何事も程々にせねばな……だが、我が血族を大切に思う、その気持ちには、感謝しておる」
 建国王が、執着の茨の消えた近衛騎士に歩み寄った。双羽隊長が脇に退く。建国王は、政晶の左手を騎士の右肩に置いた。
 「有難う。……汝の今後については、現国王より沙汰があろう」
 「どのような処罰も、甘んじてお受け致します……申し訳ございません」
 近衛騎士は力なく項垂れ、嗚咽を漏らした。
 駆けつけた呪医が、近衛騎士の腕を繋ぎ合せた。改めて捕縛され、連行される。政晶は複雑な思いで、その後ろ姿を見送った。
 双羽隊長に促され、剣を鞘に納めたが、柄から手が離れない。
 呪医が状態を調べる。恐怖で手指の筋肉が硬直したらしい。呪医が小声で呪文を唱え、政晶の手を両手で包む。穏やかなぬくもりのある魔力が注がれ、柄から指が離れた。
 騎士と女官が室内を片付けている所に、部屋の主である黒山羊の王子殿下が戻ってきた。クロエが笑顔を弾けさせ、戸口に駆け寄る。
 「クロ、だっこしよう」
 使い魔は走りながら黒猫に変じ、主人の腕の中に飛び込んだ。喉を鳴らし、激しく頬ずりする。黒山羊の殿下は、使い魔の艶やかな背中を撫で、労を労った。
 「よしよし、よく頑張ったね。偉い偉い。有難う。おうち帰ったら、ちくわあげるね」
 「あの……おっちゃん、これは……その……」
 政晶は、部屋の惨状をどう説明したものか、言葉に詰まった。黒山羊の殿下である叔父は、寂しげな微笑みを浮かべ、首を横に振った。
 「いいよ。君のせいじゃないもの。……クロの目で見てたから、全部知ってるよ」
 叔父は、使い魔の目を通して状況を把握しつつ、術で鍵の番人と連絡を取り合っていた。城門前の襲撃の時点で、政晶を守る為に双羽隊長を単騎で先行させたと言う。
 「おっちゃ……」
 後は声にならず、政晶の目から大粒の涙が零れた。
 「一カ月も大変だったね。でも、もう大丈夫。全部終わったんだよ。有難う」
 叔父が政晶を抱きしめ、背中を撫でる。クロが迷惑そうに主人の肩に移動した。知った顔を見たからか、助かった安堵なのか、涙は後から後から溢れ、止まらなかった。

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