■野茨の血族-01.引越し (2014年12月10日UP)


 灰色の擁壁に囲まれた道は、前しか見えない。
 その前方も、大型トラックの荷台に塞がれ、先を見通す事は出来なかった。高速道路の遮音壁とトラックの荷台の隙間から、三月のぼんやりとした空が覗く。
 引越しの荷物を積んだ軽トラは、住み慣れた商都を深夜に出発し、帝都に向かっていた。
 「政晶(まさあき)、起きたのか」
 「……うん」
 ハンドルを握り、前を向いたままの父が、一方的な説明を始めた。
 「じいちゃんとばあちゃんが、ずっと前に亡くなったのは言ってたよな。父さんな、三人兄弟の長男なんだ。……って言っても三つ子だから書類だけの長男なんだけどな。三人とも顔は同じだけど、声は全然違う。父さんが一番低くて、真ん中経済(つねずみ)は中くらいで、宗教(むねのり)は、声変わりしてなくて女の子みたいな声のままなんだ。」
 「……」
 「経済と宗教は結婚してなくて、父さんと一緒に実家に住んでて、経済は父さんの会社で技術部長として働いてる。宗教は帝国大学の准教授。それから、宗教は心臓とか色々悪くて月見山(つきみやま)さんっていう看護師さんと、双羽(ふたば)さんって言う人が、住み込みで世話してくれてる。家にAEDがあるから、政晶も一応、使い方覚えといてくれ」
 助手席の政晶は、前を向いたまま無言で頷いた。父の言葉に頷きはしたが、内心、中坊の自分がどうこうするよりそのプロの人らに言うたらえぇやん、とツッコんでいた。
 「後、うちには犬……ロットワイラーのポテ子と、クロって言う黒猫が居るんだけど、政晶って犬とか好きだっけ?」
 「……普通」
 政晶には、ロットワイラーがどんな犬種なのか、見当もつかない。
 自分の息子が犬派か猫派かも知らんのか。仕事人間のクソオヤジが。まぁ、猫居るんやったら、犬なんかどないでもえぇゎ。
 「普通……か。ポテ子は番犬として躾てあるから、政晶に馴れるまで一人で触っちゃダメだぞ。触る時は必ず父さんが一緒の時にな。それと、クロには絶対に触るな。あれは宗教以外、誰にも懐かない化け猫だから、絶対に触るなよ。腕喰い千切られても、父さんじゃ助けられないから。いいな?」
 化け猫……? しょーもないギャグかますなや。腕喰い千切る猫てなんやねん。黒豹か。
 政晶は思わず運転席の父を見たが、相変わらず前を向いたまま表情を変える事もなく、ハンドルを握っていた。
 「同じ瀬戸川区内に叔母さん達も住んでるから、落ち着いたら会いに行こうな。叔母さんは、政晶から見たら祖父の妹……大叔母さんに当たる人だ。父さんの従姉妹は女ばっかり三人。みんなこんな髪の色。曽祖母(ひいばあ)ちゃんの血が強いんだろうな。あ、曽祖母ちゃんって、政晶から見たら高祖母(ひいひいばあ)ちゃんだな」
 政晶も父も生来、干し草のように明るい茶髪だ。中学入学直後に、黒く染めるよう指導されたが、その頃はまだ元気だった母が、学校側に抗議して、そのままになっている。
 ハンドルを握る父の横顔は彫が深く、瞳は青み掛かった灰色。身長も周囲の大人より高く、日之本帝国人離れした容貌が人目を引く。
 一人息子の政晶には、黒髪で小柄で愛嬌のある典型的な日之本顔の母の要素は、かけらもない。父を縮小コピーしたようにそっくりだった。
 男の子は母親に似るんちゃうんか。なんでやねん。
 政晶は、母の最期の顔を思い出し、左を向いた。
 車窓の向こうで、灰色の遮音壁が単調な模様になって流れて行く。
 数日前まで病院のベッドに横たわっていた母は、治療の副作用で髪が抜け、土気色の顔を政晶の方に向けて目を閉じていた。腕に点滴、鼻にチューブ、弱々しい呼吸。子供の目にも、秒読み段階に入っている事が明らかだった。
 母は、昨秋から半年余り入院していたが、治療の甲斐なく亡くなった。
 入院直後、母は政晶に父を呼ぶよう言っていたが、政晶は、どうせ呼んでもこないから、と連絡しなかった。
 年末になって漸く入院を知った父は、政晶には何も言わず、ただ、病床の妻を見て溜息を吐いた。正月休みが明けるとすぐ、政晶を商都の家に残し、会社のある帝都に戻った。
 その仕事人間の父が、ここ一月近くは商都の家に留まり、毎日面会時間の最初から最後まで、母の病室にいた。
 政晶は、部活を休んで学校帰りに母の病室に通い、父と共に帰宅した。
 母の強い要望で、葬儀は行わなかった。役所で手続きを済ませた後、火葬した遺灰を父と二人で、海に撒いて終わった。
 母と二人で住んだ商都は、古くは「水都」と称した。街には、大河の支流と運河が縦横に張り巡らされ、人や物資を満載した無数の船が、内陸と海港の間を行き交っていた、と歴史の授業で教わった。
 現在では、鉄道やトラック等の陸運に取って代わられ、運河の多くは埋め立てられた。地名が僅かに往時の名残を留めているに過ぎない。
 父と二人で現役の運河を辿り、客船用の埠頭から、母だった灰を海に還した。
 「高祖母ちゃんは、まだまだ元気でぴんぴんしてるから、多分、夏休みに一回だけ、会いに行けるんじゃないかな」
 父の声で現実に引き戻された。
 ひいひいばあちゃんて……年ナンボやねん。……でも、今年の夏休みに会わんかったら、もう一生無理な年なんやろ? しかもそのいい方、夏休みまで保つかもわからんのやろ?
 「高祖母ちゃんは魔法の国のお姫さまで、長命人種の魔女だから、見た目の年は父さんとそんな変わらないんじゃないかな? まぁ、父さんは子供の頃に一回会ったきりだから、今の姿は知らないけど、宗教は毎年夏休みに会いに行ってるから、聞いてみるといい」
 政晶の父は三十代前半。母は五十代で、親子程離れた年の差夫婦だった。
 母は商都の老舗企業役員、父は帝都で起業したベンチャー社長。それぞれ仕事の都合で離れて暮らしていると言っていたが、政晶には、どこまでが本当なのか測り兼ねた。
 ギャグで和まそ思とんか知らんけど、寒いねん。だだ滑りや。化け猫やの魔女やのお姫様やの……アホか。
 政晶は、擁壁に顔を向けたまま目を閉じた。
 父が訛のない声でまだ何か言っているが、聞き流す。
 新学期。
 キリのいい節目とは言え、転校生。しかも外見と方言で周囲から浮くこと必至。帝都で目立たず普通に暮らせるのか。
 仕事人間の父は、元々居ないも同然だったが、母は違った。政晶を常に気に掛け、仕事の合間にきちんと「母親」をこなしていた。政晶が病気になれば、仕事を休んで看病してくれた。その母がもう居ない。先々の不安が重くのしかかる。
 髪の毛、黒染めさしてくれたらえぇのに。かぶれるからアカンて……そんなん、やってみなわからんやんか。転校生でこんな目立って、いじめられたらどないしてくれんねん。
 政晶の母は、生まれも育ちも商都の近隣にある神扉市(こうひし)だ。その影響で、政晶の言葉も商都弁とはやや異なる神扉弁で、商都の学校では外見の他、些細な言葉の違いを笑われる事が度々あった。
 帝都の言葉は、商都とも神扉とも全く異なる。古老はかつての東国訛を話したが、政晶の親世代以降は、語彙も発音も日之本帝国の標準語に近い。
 絶対、標準語で喋ろ。方言で喋ったら、おもろい事言えとか、いじられるに決まっとうゎ。僕はみんなと一緒に……普通にしときたいだけやのに。母さんも葬式せんでえぇとか、身内と縁切っとうとか、大概変な人(ヘンコ)やったけど、コイツはもっとアレやな。ヘンコ同志、似た者夫婦言う奴やったんやろか……
 政晶はいつの間にか眠っていたらしい。
 気付いた時には、窓の外を全く知らない街の風景が流れていた。
 父はカーナビのない軽トラを何の躊躇もなく、細い脇道に侵入させる。道の両脇は小さな戸建住宅やアパート。その街区はすぐに抜け、だだっ広い公園沿いの大通りを走り、また住宅街に入る。
 今度は古く大きな家々が連なるお屋敷街。同じ家の塀が延々と続き、また同じような長い塀が現れる。塀や門の隙間から、立派な構えの邸宅や手入れの行き届いた庭園が見えた。
 「着いたぞ。政晶、起きろよ」
 父は外国のホテルか、博物館のような古めかしい洋館の前で、軽トラを止めた。
 今は辛うじて街並みに馴染んでいるが、建った当時はさぞかし周囲の景観から浮いていたであろう、立派すぎる洋館だった。

 屋根裏も含めるなら三階建ての石造り。深緑色の屋根。庭はなく、正面に鉄製の門扉があった。鉄格子付きの低い煉瓦塀に挟まれている。
 門扉の向こう、玄関前は軽トラ二台分の煉瓦敷きの空間で、巨大な犬が寝そべっていた。
 「ポテ子、ただいま」
 父の声に、土佐闘犬をダックスフント色に染めたような大型犬が、尻尾を振って駆け寄ってきた。鉄柵に前足を掛け、門扉の上に顔を出す。
 政晶は後退った。
 何やこれ?! 猛獣やんか! 泥棒を殺す気か?! こんなん、頼まれてもよう触らんわ! って言うか、放し飼い?! これ、放し飼いなん?! 帝都はこれアリなん?! 犬は繋いで飼いましょう、て保健所とかが言うとん、商都だけなんか?!
 「はいはい、ポテ子ただいまー。お利口さんにしてたかー?」
 父はお構いなしに上機嫌で言い、猛獣の頭を撫でて「ハウス」と短く命じた。猛犬が、大人しく玄関前の頑丈そうな犬舎に巨体を納める。父は門扉の鍵を開け、犬舎のポテ子に勝手な事を言った。
 「よしよし、ポテ子、お利口さんだなー。これ、俺の息子の政晶。今日から一緒に住むから、仲良くするんだぞー」
 政晶は一歩も動けなかった。
 「……何してんだ?」
 こんなん絶対無理! こんな猛獣と仲良うせぇとか、ムチャ振りにも程があるやろ!
 政晶は声もなく首を横に振った。父は犬舎の鉄格子を閉め、錠を下ろして立ち上がった。
 「取敢えず、荷物、そのままでいいから中に入れよ」
 政晶は恐る恐る、父の実家の敷地に足を踏み入れた。ポテ子が立ち上がり、鉄格子の隙間から鼻先を突き出す。政晶は弾かれたように一歩退いた。
 「何やってんだ。入るぞ」
 父が古びた木製の玄関扉を開ける。政晶は一気に駆け込み、扉を閉めた。
 大きく息を吐いて顔を上げる。
 玄関は、政晶が昨日まで住んでいた分譲マンションの居間と、ほぼ同じ広さだった。
 三和土(たたき)部分が約二畳。左右の壁際に靴箱らしき立派な棚がひとつずつ。玄関ホールは約六畳。正面と左右には、植物の彫刻が施された木製の扉があり、固く閉ざされている。
 清潔だが、微かに古い埃の匂いのする板の間で、電話台とAEDの他は何もない。電話はありふれたプッシュホンだが、AEDは、駅や公共施設に設置されている物と同じ、金属製のスタンドに納められていた。
 あれっ……? ここ、やっぱり博物館か何かなんか?
 不意に右の扉が開いた。
 「政治(まさはる)さん、おかえりなさい。皆様が食堂でお待ちです」
 「ただいま。黒江、荷物運ぶの、手伝ってくれないか?」
 「そのようなご命令は、ご主人様より拝命致しておりません。皆様がお待ちです。すぐにいらして下さい」
 「あーハイハイ、わかったよ。手を洗ったら行くよ」
 父が野良猫を追い払うように手を振る。執事らしき年配の男性は扉の奥に引っ込んだ。
 「政晶、トイレはこっち」
 父は左の扉を開けた。長い廊下が続いている。古い板張りの床は磨きこまれ、二人の姿をうっすら映した。
 左は漆喰の白壁に扉が何枚も並び、右は窓。窓の外は中庭だ。どうやらこの洋館は、口の字型に建っているらしい。
 漸く用を済ませると、今来た廊下を引き返し、父より大柄な執事が引っ込んだ右の扉へ。
 父は、長い廊下の突き当りにある扉を二回ノックすると、返事も待たずに中に入った。

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