■野茨の血族-19.護衛 (2014年12月10日UP)
落下の感覚に驚いて目を開けた。
暗闇。隣に誰かいる気配。
ベッドの灯を点けようと枕元を手探りする。
何か温かく柔らかい塊に触れた。
「シャーッ!」
猫の威嚇の声に、思わず手を引っ込めた。そっと起き上り、辺りを見回す。
カーテン越しに差し込む月明かりで、室内の様子が影絵のようにぼんやりと浮かび上がっていた。
漸く自分の部屋ではない事に思い至る。
誰かが足音を殺して近付いてきた。共通語の囁き。三枝の声だ。政晶の語学力では、辛うじて幾つかの単語を拾えただけだが、声の様子から、政晶を心配してくれている事は、わかった。大丈夫だと伝えたいが、何と言えばいいのかわからない。
枕元ではクロがまだ唸っている。
寝ぼけてちょっと触っただけやのに、そんな怒らんでもえぇやんか……
「ん? クロ、どうしたの? 何怒ってるの? おいで」
叔父が目を覚まし、クロを布団に入れる。だっこされた使い魔は、喉を鳴らし始めた。
「起きちゃった? 明日は早いから、寝た方がいいよ」
叔父に言われて再び横になる。三枝が布団を掛け直してくれた。
枕が変わり、隣に人がいる。慣れない環境が気になって眠れない。気にしないでおこうと思えば思う程、気になって仕方がない。
時計がない為、時間はわからないが、上機嫌で甘えるクロのゴロゴロが途切れがちになり、やがて寝息に変わった。クロの寝息を数える内に、政晶も眠りに落ちて行った。
三枝の優しい声で目が覚めた。
既に明るく、枕元ではクロが欠伸をしながら伸びをしている。
「すぐ脱ぐから、着替え、ちょっと待ってね」
叔父が、見覚えのある服を脱ぎながら言った。帯を外し、貫頭衣を脱ぎ、ゆったりした夜着の中から、畳んだ状態で上着を引っ張り出す。最後に、寝台の上に座ったまま、モゾモゾとズボンを脱いで、政晶に渡した。
政晶は、ロングTシャツのようなゆったりした夜着を着ていた。寝ている間に着替えさせられていたようだ。
「服に魔力を補充したから、今日から暫くは快適だよ」
「……ありがとう……ございます」
政晶は、微妙な気持ちで、叔父の体温が残る鎧を受け取った。上着は肩幅が合わないから、夜着の中に入れていたのだろう。
今日からの旅の安全の為に「魔法の鎧」本来の機能を果たせるよう、叔父が身に着ける事で魔力を充填してくれたのだ。それは有難い。有難い事だとわかっているが、政晶は叔父の体温が抜けるまで、袖を通す事が出来なかった。
朝食後の僅かな時間に、政晶は建国王から教わった歴史を手帳に認(したた)めた。詳しい事は後で思い出して清書する事にして、箇条書きでとにかくペンを走らせる。
丁度メモがひと段落したところで、双羽隊長が迎えに来た。
「私は同行できませんが、黒山羊の殿下の使い魔が、通訳としてお供致します」
隊長は淡々と言った。
政晶の腰で建国王の剣が、ブツブツ不満を漏らす。
いや、王様のせいやん。いらん事するからアカンねや。
政晶が反射的につっこむと、静かになった。
城の前庭では、黒山羊の殿下の馬車と十数頭の馬が待機していた。騎士や侍従達が準備を整える様子を叔父が見ている。
「双羽さんの隊ね、変えてもらえなかったから、クロエを通訳に付けるよ。クロエには、鍵の番人の言う事を聞くように、命令しといたからね」
叔父はそう言って、黒猫をメイド型に変えた。
王様が僕の手で化け猫にちょっかい出す……で、僕、八つ裂き……? 寝ぼけてちょっと触っただけでもアレやのに、王様の痴漢のせいで僕の人生、終わってまうとかイヤやで。
〈案ずるな、紛い物に手を出す程、落ちぶれてはおらぬ〉
まがいもの……? クロの変身やから?
〈あれは魔法生物だ。性別はない。黒山羊の王子の命令で、女の形を作っているに過ぎぬ。あんな物は粘土細工と何ら変わらぬわ〉
建国王は、心底つまらないと言う風に吐き捨てた。
マネキンに痴漢するみたいなもんなんか。そら、ないわな。
政晶は安心してクロエを見た。主人から引き離される事が不服らしい。黒山羊の殿下に縋るような眼差しを向けている。
先に馬車の準備が整った。黒山羊の殿下が馬車に乗り、騎士達も騎乗する。叔父が窓から顔を出して政晶達に手を振った。
「じゃ、行ってくるよ。暫く会えないけど、元気でね」
「うん……あ、はい。おっちゃんも元気で」
「ご主人様……」
クロエが泣きながら窓枠にしがみつく。その手をそっと離しながら、叔父が命じた。
「さっきも言ったけど、僕とこの子がお城に戻るまで、鍵の番人の命令に従って、この子の言葉を湖北語に訳して、この子の命を守る事を最優先に行動するんだよ」
「はい……ご主人様。いってらっしゃいませ」
馬車が動き、クロエはしょんぼりと主人を見送った。
政晶達の一行も準備が終わり、荷を積んだ馬と騎士達が整列する。護衛の騎士は四人。いずれも帯剣していた。
ムルティフローラには、現国王や高祖母のような長命人種がいる為、外見から年齢を推測するのは難しい。
それでも政晶には、自分を護衛する騎士達が随分、若いように思えた。
父より少し若く見える金髪の男性。彼が最も年嵩に見えた。家紋は雪の結晶。ひょろりと背が高く、武官よりも文官のほうがしっくりくる。魔法使いだから、外見から強さを測る事は出来ないが、何となく頼りない印象だ。魔道士としての徽章も、双羽隊長や三枝のような魔法戦士の鷲ではなく、翼を広げて飛ぶ燕の形だった。政晶には、戦士の証とは思えなかった。
政晶よりも濃い茶髪の青年。高校生くらいに見える。こちらは政晶がよく知る体育会系の雰囲気で、金髪の騎士より頼もしく見えた。家紋は蝋燭の炎で、徽章は飛翔する蜂角鷹(ハチクマ)。双羽達とは異なるが、猛禽類なら戦士の証だろう、と政晶はホッとした。
ずんぐりした体形の茶髪の青年。四人の中で最も腕力が強そうに見える。家紋は斧で、徽章は歩む鴇(トキ)。政晶には何を表す徽章なのかわからないが、細長い体型の鳥の徽章は、文官風の騎士の方が似合うと思った。彼は政晶と目が合うと、柔和な笑みを浮かべた。
四人目は政晶と同年代に見える金髪の少女。顔は何となく文官風の騎士に似ていた。家紋が丸で囲まれた雪の結晶なので、親戚なのかもしれない。こちらは勝気な表情で、飛翔する鷹(タカ)の徽章を身に着けている。眼光も鷹のように鋭かった。
〈男と子供と紛い物しかおらぬとは……〉
建国王が情けない声を出す。
王様、ロリコンちゃうかったんか。そら、よかったわ。
政晶の認識を読み取った建国王が、憮然として抗議する。
〈汝は我を女と見れば見境なしの変質者だと思うておったのか! 嘆かわしい……我はしっかり出る所が出た大人の女が好みじゃ。あれはあと十年……〉
あぁ、うん。王様の好みのタイプとか、どないでもえぇから、僕の手ぇで悪させんとって下さいよ。
荷造りを指示していた壮年の男性が、見送りの挨拶を始めた。
「黒山羊の殿下の甥御様、お待たせ致しました。旅の準備が整いました。ご存知やも知れませんが、山脈の主峰ヒルトゥラ山は、我が国の若者が、成人の儀で一度は登る山でございます。道中は街道を通りますし、山中でも、要所々々に休息できる安全な場所が設けてあります」
壮年の男性は、そこで一旦言葉を区切り、若い騎士達を見遣った。騎士達は、緊張した面持ちで次の言葉を待っている。
「この者達は、騎士の叙勲を受けてまだ日の浅い若輩者ですが、道中、特に危険な場所はございませんので、ご安心下さい。また、鍵の番人と黒山羊の殿下の使い魔もおります。必ずや無事にお送り致しますので、ごゆるりとムルティフローラの旅をお楽しみ下さい」
そして、騎士達に険しい表情を向け、厳しい口調ながらも激励した。
「これは訓練ではない。殆ど危険がないとは言え、物見遊山(ものみゆさん)気分で気を抜く事なく、舞い手殿をお守りするのだ。諸君らにとっては初の要人警護……鍵の番人の指示に従い、必ずや任務を全うするのだぞ。よいな?」
「はい、隊長」
四人が声を揃えて応えた。隊の指揮を任された鍵の番人は、白馬と戯れ、話を聞いていない。メイド型の使い魔は泣き止んでいたが、政晶を恨みがましい目で睨んでいた。
高祖母が、女官と騎士を伴って城門前に現れた。
騎士達が跪いて迎える。
「お父様達は今日、ちょっと忙しくてお見送りできないの。でも、坊やの旅の無事をお祈りしてくれてたわ」
政晶は黙って頷いた。
高祖母は、生水を飲まないこと、その辺に生えている実をみだりに口に入れないこと、夜は冷えるから温かくして眠ること、夏風邪を引かないように気を付けること等々、細々とした注意を与え、最後に政晶を抱きしめて送り出した。
「坊やなら大丈夫。ちゃんとできるって信じてるからね。おばあちゃん、お城で待ってるから、必ず生きて帰って来るのよ」
叔父が魔力を充填したお蔭で、同じ服でも昨日の暑苦しさが、嘘のように快適だった。
三頭の馬に荷物、白馬に鍵の番人を乗せ、騎士が手綱を引いた。一行は、ゴミが全く落ちていない石畳の大通りを黙々と行く。政晶の体力作りの為、徒歩で山に向かうのだ。
城下に出てからの新米騎士達は、明らかに緊張していた。
政晶は、前後左右を馬と騎士に挟まれ、厳重な警備に息苦しさを覚えた。左隣をメイド型の使い魔が険しい顔で歩いているのも、それに拍車を掛ける。
叔父が、誘拐されるまでは警備を断り続けていた事を思い出した。
あぁ……これ、確かにウザいし気マズいゎ……
強張った顔で周囲を見回し、政晶を見て、気を張り詰めている騎士達の真面目な仕事ぶりが、政晶には重かった。
まだ街の中やねんから、そんな厳重にせんでも……
〈何を言うか。汝は我の話をもう忘れたのか?〉
建国王に呆れた声で言われ、政晶はムッとした。
〈王都は最大の三界の魔物に最も近い場所だ。奴の瘴気によって城内でも城下でも、常に魔物が生まれておるのだぞ〉
えッ……?
〈生まれたばかりの魔物は、日のある内は息を潜めておるが、夜になれば人を脅かす。あの城壁は、ここで生まれた三界の魔物を外へ出さぬ為の物だ〉
政晶は思わず建国王の剣を見た。
早朝で人通りは疎らだが、すれ違う人々は皆、足を止めて畏まり、一行が通り過ぎるのを見送る。それに白馬の上から鍵の番人が、鷹揚に応えていた。
家々の屋根の向こうに城壁が見える。
道行く人々には、特に何かを警戒している様子はない。それでも、この街に本当に三界の魔物がいるのか。
〈生まれたばかりの三界の魔物は、並の目には見えぬ。三界の眼で見、退魔の魂で斬らねばならぬ。そのまま放っておけば、並の目にも見えるようになる。他の武器でも一時的に退ける事はできるが、完全に消滅させるには、退魔の魂が必要だ。それでもなお取り逃せば、半視力の肉眼にも見えるようになり、災いはより大きく育つ〉