■野茨の血族-20.旅立 (2014年12月10日UP)
そしたら、今ここには、霊感ゼロの僕に見える強い奴は、おらんねんな。
夏の日差しに照らされた街並みを見回して、政晶は安堵した。
自宅に似た建物が、大通りの両脇に建ち並んでいる。武器庫で見せられた映像では、どの家にも中庭がついていた。父の実家は、ムルティフローラ様式の建物なのだ。
馬上から鍵の番人が予定を説明する。
昼過ぎ頃に城壁に着く。昼食後に剣舞の練習をし、今夜はそのままそこに泊まる。明朝、王都を出て山を目指す。なるべく街道沿いの町や村に泊まる。
順調なら、山には七日程度で着く。登山口で馬を預け、徒歩で山頂を目指す。遠回りになるが、比較的安全な登山道をゆっくり登っても、三日程度で祭壇に行ける。
祭壇では、山に体を慣らしながら、剣舞の練習を行う。
「帰りは私の術で城門前まで跳びます。舞をきちんと納めるまで帰れませんから、そのつもりでいて下さい」
ちびっ子に冷たく言われ、政晶はムッとしたが、鍵の番人が二千年以上存在し続けている導師である事を思い出し、怒りがしぼんでいった。
新米騎士のこの人らも、見た目若そうやけど、ホンマはものすごい年寄りかもしれんねやんなぁ……やりにくいゎ……
今まで生きてきた経験と価値観が、根底から揺るがされる。
何を基準にどうすればいいのかわからない。
政晶は左を歩くクロエを見た。まだ怒っているかと思ったが、目にいっぱい涙を溜めて、今にも泣き出しそうだった。
あ、これ……「分離不安」言う奴なんかな? 化け猫でもそんなんあんねんなぁ……
先日読んだ犬の躾の本を思い出し、ポテ子は今頃どうしているか、取り留めもなく想像を巡らせる。
何か他の事を考えながら歩いていると、気持ちが落ち着いてきた。
日が高くなるにつれ、朝餉の匂いが漂い、通りに面した店が開き始める。店に品を卸す者、買物の主婦や子供、どこかへ働きに出る者、城へ陳情に行く者等が通りを行き交う。
八百屋の店先には、政晶が初めて見る色とりどりの野菜が並んでいる。主婦が前掛けのポケットから取り出した光る石と野菜を交換していた。
「あの石……何や?」
「魔法文明の国では貨幣を使いません。物々交換です。あれは魔力を貯めた水晶です」
「へぇ……」
主人の命令を淡々と実行するクロエの説明に、政晶は店主の手元に注目した。ビー玉大の水晶のかけらが淡く光っている。政晶の服に付いているサファイアの庶民版らしい。
〈サファイアは大量の魔力を蓄えられるが、充填にはそれなりの出力が必要だ。水晶ならば、出力が低くとも時間を掛ければ、満たす事ができる〉
建国王が補足する。
ふーん。充電池みたいなもんやねんな。
〈ジューデンチ……? ふむ。科学の国にも、同じ発想の品があるのだな〉
建国王が政晶の認識を読み取り、感心する。
いちいち頭ん中覗かれんのイヤやなぁ……
〈我が血族なればこそ、心を繋ぐ事ができるのだ。有難く思うがよいぞ〉
そういう仕様なんか……
政晶はうんざりして鍵の番人を見上げた。生前の建国王を知る者の一人。どう見ても子供だが、歴史の生き証人。徽章は、呪医を表す飛翔する梟。偉大な導師は、馬の背に揺られ、眠そうな目で前を見ていた。
視線の先には大通りが続き、その遥か先に城壁が聳えている。
えーっと……徒歩は大体、時速四キロで、五時間言う事は……二十キロか。
その程度なら、陸上部時代に毎日ランニングしていた。ブランクはあるが、問題はない。慣れない革靴で足が痛むが、こればかりは仕方がなかった。
政晶はなるべく足の事を考えないように歩を進めた。
昼を少し過ぎた頃、城壁の足元に到着した。靴擦れの皮がめくれ、足を動かす度に痛む。政晶は周囲に覚られないよう、表情を殺して歩いた。
宿屋に入る。騎士二人と馬番が手分けして馬から荷を下ろす。
政晶は雪紋の騎士達に連れられ、鍵の番人、クロエと共に中に入った。
鍵の番人がカウンターの椅子によじ登ろうとする。文官風の騎士が抱き上げて座らせた。店主が愛想よく挨拶する。ここは食堂らしい。昼を過ぎたせいか店内の人影は疎らだ。
「こんにちは。一泊でいいんだけど、二部屋空いてるかな?」
「えぇ、空いてますとも。お昼はもう食べましたかい?」
「お昼も頂戴。明日は夜が明けたらすぐに出るから、宜しく」
「はいはい、わかりやした」
鍵の番人が椅子から飛び降りると、給仕の少女が席に案内する。荷物を持った騎士が合流し、一行は一番奥の席に落ち着いた。
えーっと……えっ? あれっ? 行き当たりばったり? 予約なし? まぁ、電話もネットもないけど……部屋空いてなかったら、どないする気やったんやろ?
〈何事もなければ空いておる。案ずるでない〉
建国王が政晶の心配を打ち消す。
ここは、行商人や近隣の農村から食料品を運ぶ者達の宿だ。食堂の客は旅装の者ばかり。鍵の番人が杖を食卓に立て掛け、政晶に向き直った。
「靴擦れしたんですね」
「えっあっ、あぁ、はい」
政晶が反射的に頷くと、鍵の番人は朗々と呪文を唱え始めた。童歌(わらべうた)のような不思議な抑揚を付け、古い言葉を紡ぎ出す。
食後の一休みをしていた客達が集まってきた。
政晶は、店中の注目を浴びて逃げ出したくなったが、鍵の番人は構わず詠唱を続ける。政晶の体をあたたかい何かが包み込む。体の中心から隅に向けて力が広がり、両足の踵から痛みが引いていった。
詠唱が終わると、客の一人が近付いてきた。
「一昨日、爪が割れて痛かったんですよ。助かりました。ありがとうございます」
農夫らしき男が、節くれだった右手を見せながら礼を述べた。鍵の番人は無邪気な笑顔を向けて、頷いた。
〈声と魔力が届く範囲内にいる生物の軽い傷を癒す術だ。食堂内の者は皆、癒された〉
建国王の剣が説明する。客達は口々に礼を述べ、席へ戻った。
政晶が礼を述べ、クロエが訳すと、鍵の番人は笑みを消した。
「これが私の役目ですから、お気になさらず」
給仕の女性が水と料理を運んできた。パンとサラダと焼いた鳥肉が、一枚の皿にまとめて乗っている。まず、鍵の番人と政晶の前に皿が置かれた。
〈トモエマサアキ、左手を前に出せ〉
不意に政晶の左手が動いた。そのまま給仕の腰に伸びる。あと少しで女性に触れる所で、ずんぐりした騎士が政晶の手首を掴む。何も知らない女性は、そのまま厨房に戻った。
「王様! 僕の手ェで何してくれてんねん?! チカンはアカン言うたやろ!」
〈いい尻だったのでな、つい〉
「ついとちゃうわ! ダメ! ゼッタイ!」
思わず声に出して建国王を詰る。クロエがそれも律儀に訳した。
「ご安心下さい。我々は、建国王陛下があなた様のお体を悪用せぬよう、仰せつかっております」
茶髪の騎士の言葉に、政晶は釈然としない気持ちになった。
「僕の『護衛』って、剣の王様が僕の体で悪させんように、国民の女の人を守る方の意味やったんか……」
「いっいえ、決してそれだけではありません。道中、魔獣等から、あなた様ご自身をお守りする事が、主な任務です」
文官風の騎士が慌てて言い添える。
給仕の女性が、苦笑いしながら残りの席に皿を並べ、ごゆっくりどうぞ、と厨房に引っ込んだ。どうやら、建国王の事は広く国民に知れ渡っているようだ。
「あら、私も戴いて宜しいんですか?」
怪訝な顔をしている使い魔に、鍵の番人が頷いてみせた。
「そのくらいの楽しみがあってもよかろう」
「でも、ちくわはないんですね……」
「チクワ……?」
「日之本帝国で、ご主人様がおやつやご褒美に下さるんです」
「異国の食べ物か。そんな物ある訳ないだろう。それで我慢しろ」
鍵の番人に素っ気なく言われ、クロエは肩を落としてフォークを手に取った。
〈あれは魔法生物故(ゆえ)、主人の魔力さえあれば生きて行ける。まぁ、一応、食べ物からも活力を得る事はできるがな。黒山羊の王子が褒美に美味い菓子のひとつやふたつ、与えておっても不思議はない〉
政晶は、ちくわの味と形、CMで見た製造工程の映像と【竹輪】の文字を思い浮かべた。
建国王が驚く。
〈魚を筒型にして食べるのか! 我も口があれば一度、賞味してみるのだがな……〉
遠い過去に人間を辞めた建国王には、叶わぬ夢だ。
政晶は建国王の悲しみに触れ、皿に目を落とした。
「お口に合いませんか?」
少女騎士が恐る恐る聞く。政晶は慌ててそれを否定し、鳥肉を?張る。騎士達が安堵の色を浮かべるのを複雑な思いで見つつ、口の中身を飲み下した。
「あ……あの……僕、魔力も霊感も何もないタダの子供で、王族ちゃうから、その……そんな気ィ遣わんとって下さい。ホンマ、タダの子供なんで……」
逸早(いちはや)く食べ終えたクロエが、口元を拭いながら訳した。一同、顔を見合わせ困惑する。
政晶は気まずい沈黙に耐えられず、更に言い募った。
「いや、何て言うか……日之本帝国では普通に、庶民で、護衛とか、そんなんないし、こう……偉い人扱い初めてやし……こっちも気ィ遣うから、普通にしとって欲しいんです。えっと……言うとう意味、わかって貰えます?」
文官風の騎士が、微かに首を縦に振った。
「おっしゃる意味はわかりますが……あなた様は王家の血族でいらっしゃいますし……」
これが教科書に載っとった「絶対王政」の権力、言う奴なんか。
政晶は、鍵の番人に助けを求める目を向けた。建国王の剣を小突き回していた彼なら、と言う期待を込めた視線に気付いた導師は、パンを千切りながら言った。
「初めての異国で、慣れない習慣や生活に戸惑いもありましょう。我々の手で少しでもご負担を減らせるよう、舞い手殿のおっしゃる通りにしましょう」
騎士達が互いに顔を見合わせ、視線で何事か遣り取りする。
「まずは、呼び方から改めましょう。彼は今から『舞い手さん』。敬語も止めて、タダの子供扱い。で、舞い手さんは彼らを呼びにくいでしょうから、日之本帝国風の呼称を付けて下さい」
鍵の番人は、決定事項のように提案し、パンを口に入れた。
呼称……えーっと……家紋で呼ぶ言うとったな。そしたら……
文官風の騎士は〈雪〉、少女騎士は〈雪丸〉、ずんぐりした騎士は〈斧〉、茶髪の騎士は蝋燭から〈灯〉。政晶は少し考え、一人一人の目を順繰りに見ながら言った。
クロエの訳に、それぞれが嬉しそうに頷いた。
〈雪〉がふと思い出したように、食事を続けながら自己紹介を始めた。
「素敵な呼び名をありがとうございます。私は魔剣使いです。元々文官でしたが、この魔剣ポリリーザ・リンデニーに見込まれて、武官になりました。護衛の任務は初めてですが……頑張るから、宜しく」
途中、隣の〈雪丸〉に肘で脇腹を小突かれ、口調を改めた。
「私は半年前に叙勲を受けたばかりの新米だけど、元々、魔物退治の部隊に居たし、〈雪〉よりは頼りになるから心配しないでね。あ、〈雪〉は従兄だから紋章が似てるの」
「俺も元々、田舎町で魔物退治や旅人の護衛をしていた者だ。能力を買われて騎士に取り立てられたのはいいが、城は堅苦しくてかなわん。ま、気楽に行こうな、坊や」
政晶の右隣に座る〈斧〉が、ガハハと笑う。政晶もつられて笑みをこぼした。最後に〈灯〉が言った。
「四人とも外見通りの年だから、君も気を遣わなくていいよ。こちらこそ宜しく」
部屋は政晶、鍵の番人、クロエ、〈斧〉〈灯〉と〈雪〉〈雪丸〉に分かれた。今夜、政晶が泊るのは、寝台が四台あるだけの質素な部屋だった。
「クロ、だっこ」
鍵の番人は寝台に腰掛け、猫に変えた使い魔を膝に乗せた。クロは主人の命令通り、大人しく鍵の番人に従っている。
〈灯〉が部屋の隅に置かれた壺から水を出し、政晶と自分を洗った。続いて〈斧〉が鍵の番人と自分を洗う。鍵の番人と一緒に洗われたクロが不満の声を上げた。
「私はお昼寝するから、舞い手さんも休憩が終わってから練習して」
鍵の番人はそう言って、クロを布団の中に引きずり込んだ。
「えっ? ちょッ……通訳は……?」
鍵の番人は寝息を立て始め、クロは猫の口ではニャンとしか言えなかった。
途方に暮れる政晶に建国王がのんびりと声を掛ける。
〈汝も眠ればよいのだ。先は長い。何も最初から無理をする事はない〉
政晶は渋々靴を脱ぎ、空いた寝台に潜り込んだ。
時計がない為、正確な時間はわからないが、窓の外に見える街の影は少し伸びただけで、空はまだ明るかった。一時間程眠ったのだろうか。隣のベッドを見ると、鍵の番人はまだ眠っている。
言われた通り、剣舞の練習をしようと階下に降りる政晶に〈斧〉がついてきた。
城には練技場があったが、この宿にはそんな場所はない。
部屋の中でバタバタしたら鍵の番人起こしてまうし、でも、道で剣振り回したら危ないし……どこでしよう……?
政晶の思案を他所に〈斧〉は当然のような顔で中庭に案内した。小さな井戸と畑があり、井戸端に一本、果樹が植わっている。夏蜜柑のような大型の柑橘がたわわに実っていた。
政晶は柑橘の木陰で練習に取りかかった。
建国王の指示で、基本の型を繰り返す。今日は強引に体を動かされる事はなく、政晶は自らの意思で体を動かした。
剣舞に使用する建国王の剣は、刃渡りが一メートル近くあり、四十センチ程の柄がついている。柄頭には、鍵の番人の拳程もある建国王の涙が嵌っていた。中学生の政晶が腰に佩けば、辛うじて切先(きっさき)を地面に引きずらないで済む長剣だ。重量もそれなりにある。こんな物を三番手の十歳児が、一時間も振り回せるとは思えない。
やっぱり、僕がせなあかんねんなぁ……
改めて責任を感じ、柄を握る手に力がこもった。
足を肩幅程度に開き、左足を半歩前に出す。両手で剣を正眼(せいがん)に構え、大きく円を描く。剣を顔の正面で横に構え、一呼吸止める。左手を離し、右手だけで横に薙(な)ぐ。切先を天に向け、ゆっくりと前に降ろし、正面に突きつける。そのまま体全体を使った大きな動作で空中に文字を書く。
一文字ずつ、正確に。
政晶は、建国王が示す文字の映像を慎重に剣でなぞった。
重い真剣を手に、慣れない動作を繰り返す。瞬く間に汗が噴き出し、地面に滴り落ちた。
建国王は文字の映像と同時に、呪文の意味を繰り返し教える。
〈天の理(ことわり)、地の恵み、水の情けと火の怒り、我にその大いなる助力与え……〉
長大な呪文の冒頭の一節を数回なぞっただけで息が上がり、右腕が腫れあがった。
建国王が稽古の終了を告げる。
〈今日はここまでにしておこう。もう休むがよい〉