■野茨の血族-28.奉納の朝 (2014年12月10日UP)

 もうすぐ夏休みが終わる。
 数日前から雨が続き、政晶は宿舎内で練習に励んでいた。
 鍵の番人は使い魔を猫に変え、縄の切れ端で戯れている。若者達は来ず、雨の音だけが聞こえる中、政晶は何とも言えない気持ちで過ごした。
 雨は〈雪〉の予報通り、夕方に止んだ。
 外に出ると、雲の切れ間から差し込む夕日が、大きな虹を作り出していた。七色に輝く弓が、ムルティフローラ国土の上空に横たわる。空の弓は政晶達が見守る中、夕闇に溶け込み、消えていった。風が雲を流した紺色の空に、無数の星が瞬く。
 虹が消えた空を見詰めたまま、鍵の番人が言った。
 「どう? もうできそう?」
 「えっ……?」
 唐突な問いに、政晶は意図がわからなかった。
 「私達は何日でもいいけど、舞い手さんの期限は、明日がギリギリだよ。大丈夫?」
 政晶は、雨上がりの澄んだ風を吸い込み、力強く頷いた。やるしかないのだ。

 八月二十九日。奉納の朝を迎えた。
 政晶の鎧には、鍵の番人が昨夜の内に魔力の補充を済ませている。その鍵の番人は、祭壇の広場の脇で主峰の心と何事か話し合っていた。
 慈悲の谷と欺く道は今朝早く、転移の術で跳んで来た。二人は杖を地面に横たえると、祭壇の広場の前に置かれた椅子に腰掛け、儀式に用いる楽器の調律をした。
 慈悲の谷は、ギターに似た涙型の胴の弦楽器、欺く道は、鍵の番人の背丈程もある大型の木管楽器だ。二人は慣れた手つきで、弦の張り具合や音色を確めた。
 騎士達が、祭壇の広場周辺を露払いした。肉体を持たない雑妖が、四人の騎士に瞬く間に屠られる。欺く道が巨大な笛を吹き鳴らし、低く丸みのある音色が、雑妖の残した穢れを祓った。
 朝靄が晴れる頃、準備が整った。
 祭壇の広場に正対する政晶と主峰の心。騎士達とクロエが、その傍らに控えている。その数歩後ろに、楽器を手にした慈悲の谷と欺く道が座り、二人の間に鍵の番人がいつもの杖を手に立っている。管理者は皆から離れ、宿舎の前に退がっていた。
 政晶は、震えが止まらなかった。
 ここには、結界の最外周まで届いた三界の魔物の瘴気と、人々の心の穢れが溜められている。ヘドロのような不定形の澱みに、強い思いが半ば具現化した極彩色の生物のかけらが漂っている。臭気こそないが、祭壇の広場はドブそのものだった。
 ここに到着した日、政晶の腰の高さだったドブの汚水溜めは、胸の高さにまで嵩を増していた。
 眼球の形を成した思いが、政晶を一瞥してヘドロに沈む。
 〈結界内に侵入できるのは、我と舞い手である汝だけだ。封印の導師達が追儺(ついな)の呪歌で、あれの動きを鈍らせる故、そう悲観するでない〉
 建国王が、政晶の不安を和らげようと努めて明るく言う。その説明に、政晶は不満と不安を覚えた。ヘドロに無数の赤い鱗が混じり、ギラギラと輝いている。
 動き鈍らすだけて……それで、どないせぇちゅうねん。
 城の地下で見せられた映像では、追儺の術は舞い手の他、十一人で行う呪歌だった。三人の巫人と四方の城門を守る四人の導師は、王都を離れる事ができない。政晶は建国王の記憶を読み取り、今ここに居る鍵の番人、慈悲の谷、欺く道の三人だけでは全く足りない事を知り、怖気付いていた。建国王は更に説明する。
 〈ここまで届く瘴気は薄く、若者達が置いて行く穢れも、大半が他愛のないものだ。それで充分、何とかなる〉
 それをある程度浄化すれば、足許の魔法陣で第一の術が発動する。若者の穢れた思念は、中立で純粋な魔力に変換される。その魔力が更に残りの穢れを魔力に変換し、連鎖反応が起きる。魔力が一定量を超えると、第二の術が発動する。
 建国王は強い確信を持って言い切った。
 〈汝ならば、充分、あれと戦える〉
 「己が何者であるかを忘れず、あれに同調しなければ、恐れる事など何もない」
 主峰の心が政晶の肩を抱き、励ました。膝の震えが止まる。柄に手を掛け、頷いた。
 「やります」

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