■野茨の血族-30.にゅるり (2014年12月10日UP)
先に行きたい。
遅れたくない。
前に行きたい。
人の後は嫌だ。
上に行きたい。
人の下は嫌だ。
上に立ちたい。
人の下は嫌だ。
ドブ水の中から蹄の生えた人の足が突き出している。ヘドロの表面に立とうと足掻(あが)くが、ずぶずぶと沈んでままならない。漸く浮いた足を、モザイクのような色合いの大蛇の尾が力任せに打ち、ドブ水に叩きつけた。叩きつけられた足は、再びヘドロに沈んだ。
お前如きが、でしゃばるな。
その程度の事を自慢するな。
お前なんて所詮、その程度。
自分の方が、うまくできる。
みんなと違うことをするな。
自分より先にして目立つな。
お前だけ目立とうとするな。
お前如き、些かも得するな。
自分よりも、多くを得るな。
蛇はドブ水の上を這い、次の獲物を探している。政晶は赤い大蛇の娘を思い出し、一刻も早くモザイク色の蛇から離れたかった。蛇は政晶には関心を示さず、毒々しいピンクの花を咲かせたヘドロの塊に狙いを定め、遠ざかって行った。
巡り繰(く)る因果の糸のその先に警(いまし)めて……
内心、ホッと胸を撫で降ろして剣舞を続ける。先程の足が、勢いよく水面に跳ね上がった。手首を蹴り上げられ、建国王の剣が弾き飛ばされる。
「うわッ?!」
政晶は驚き、思わず目を閉じた。
人の下は嫌だ。
上に立ちたい。
人の下は嫌だ。
上に行きたい。
人よりも上へ。
ドブの泡が弾け、無数の声が呟いている。小さな呟きが重なり、ひとつのうねりになる。靴の中にヘドロが流れ込む。にゅるり。不快な感触に肌が粟立(あわだ)つ。耳元で聞こえる囁きが恐ろしくなり、そっと目を開けた。
建国王の剣は、何事か呟くこの世ならぬドブ水に沈み、政晶の視界から消えていた。
「王様……王様! どこ居(お)るん?!」
ドブの表面で泡が弾けながら、何事か呟いている。無数の呟きが重なり、うねりとなって政晶を包み込む。体を洗う清水の魔法とは対極のおぞましい感触が、体の表面を撫でた。
好きでこんな山登るんじゃない。
みんなが登るから仕方なく来た。
ここで死にたくない。生きたい。
こんな所に来なければよかった。
嫌だ、死にたくない。生きたい。
まだやりたい事もしてないのに。
激しい後悔の念が、ヘドロの中で人の手の形を成し、政晶の足を掴んでじわじわと這い上がって来る。その塊は、大人になれずに命を落とした若者の幼い心残りだった。