■野茨の血族-23.登山口 (2014年12月10日UP)

 一度、夕立に見舞われ、ずぶ濡れになった事を除いて、旅は順調に進んだ。政晶は靴と剣の扱いに慣れてきた。靴擦れも筋肉痛もなく、本来の動きを取り戻しつつある。
 街や村の外を囲む結界は、発生した三界の魔物や、元々そこに棲息していた魔獣等を他の区画に出さない為のものだ。まだ霊視力を与える術を使ってもらえないが、政晶自身も周囲を警戒しながら歩いた。剣舞の練習にも一層、力が入る。
 幸い、あの日以降は街道で魔獣と遭遇する事はなかったが、肉眼に見える化け物の存在は、政晶の神経をすり減らした。
 日没前になんとか登山口の宿場町に辿りついた。夜になれば、街を囲む塀の門は固く閉ざされる。
 夕暮れの街は若者達で賑っていた。成人の儀は、日之本帝国の成人式のように日付が決まっている訳ではないらしい。閉門ギリギリに駆け込んできた若者達は、安堵の色を浮かべながら、明日からの登山について語り合っていた。
 馬に乗る者はおらず、旅の荷を詰めた袋を自ら背負う徒歩の者ばかり。マントや日除けの帽子の下は軽装で、男女とも、動きやすそうなズボンを履いている。若者達の服は、政晶や騎士達のように、隙間なく呪文で埋め尽くされておらず、袖や胸元に短い呪文が織り込まれているだけだった。
 宿の食堂も若者で溢れていた。
 着いてすぐ食事をするのか、旅装を解いていない者が多い。腰に短剣等の武器を帯びた者が、普通に食卓を囲んでいる。その事が、政晶の目には奇異に映った。
 騒々しい青年達、親戚らしきよく似た顔立ちの一団もあれば、恋人同士なのか男女二人組の卓もある。流石に若い娘だけの卓はない。建国王が、政晶の目を介して若い女性を物色しているのが感じられた。
 政晶が鍵の番人に顔を向けると、建国王が抗議の声を上げた。
 〈何をする! 汝は目の保養も許さんと言うのか!〉
 ちゃうって、聞きたい事あって、普通に、今から話し掛ける人に向いただけやん。
 〈何だ、何が知りたい? 我が答える。さっさとあちらを向け〉
 王様……
 呆れながらも、政晶は女性客が多い卓へ目を向けた。
 席の間で忙しく立ち働く女給の他は、スカートの女性は居ない。真夏だが、半袖の者も居ない。確かに、若い娘が多い卓は雰囲気が華やいで見える。だが、政晶にはそれの何が嬉しいのかわからない。美味そうなスープや、揚げ物の油、肉が焼ける香ばしい匂いの方が余程魅力的だ。
 〈男の浪漫だ、男の浪漫。汝が知りたいのはその件か? ならば今夜は一晩中、語り明かそうぞ〉
 ちゃう。山登りの前に徹夜はやめて。僕が聞きたかったんは、ここの成人式ってどんなんなんかなって事や。
 〈何だ、つまらん。そんな事か〉
 文句を言いながらも、建国王は説明を始めた。
 建国王の存命中は、成人の儀としてヒルトゥラ山に登る習慣はなかった。一人前と看做される為の通過儀礼は、地域や家系毎に異なり、その年齢もまちまちだった。
 現代の若者達は、早い者で十五、六、遅くとも二十代の内にヒルトゥラ山の祭壇に赴く。いつの頃からそうなったのか、明確な時期は定かではない。
 〈だが、何故そうなったのか、理由は知っておるぞ〉
 何でなん?
 封印の一角を担う導師達の一部は、人間の形を保っている。人間として活動し、封印の術と歴史を伝え、能動的に結界を維持する為だ。
 魂は封印に組み込まれているが、肉体はそうではない。時が満ちれば古い肉体は朽ち、新しい肉体が用意される。封印の導師達が死ぬと、ムルティフローラ領内の何処かで直ちに転生する。不慮の事故で、肉体の寿命が尽きる前に死を迎えても同様だ。
 転生直後から元の意識を保持しているが、基本的にある程度、成長するまでは持ち場に戻らず、正体を明かさぬまま、新たな肉体を提供した夫婦の子として養育される。
 夫婦は何も知らずに「我が子」を育てる。
 子供の姿で固定されている鍵の番人を除いて、導師は十五、六年その家に留まった後、肉体の提供者である夫婦に黙って家を出る。
 概ね「一人前の力が付いたか確めに、主峰の祭壇へ行く。戻らなければ諦めるように」と言う趣旨の書置きは残して行く。
 えっ? 何でそんな事するん?
 〈肉体の提供者に権利や権力を主張させない為だ。封印の導師は絶大な魔力を持ち、王族と対等に意見を交わし、時と場合によっては王族以上の権限を有する。それを利用したがる輩(やから)は、掃いて捨てる程おる。付け入る隙を与える訳には行かんのだ〉
 政晶は思わず、隣のちびっ子導師を見た。王族以上の権力者は、果物を頬張っている。棘のような突起のある赤い皮を剥き、中の白い果肉にかぶりつく。口の周りを甘い汁でべたべたにしている姿は、どう見ても年相応の子供だ。
 〈鍵の番人はそれ以上育たんからな。そこまで育てば、何も告げずに左の塔に戻る〉
 家の人心配するやん。こんなちっさい子、おらんようなったら近所の人も大騒ぎやろ?
 〈幼子が魔獣に食われ、ある日突然、姿を消す。よくある話だ。暫くは探しもするが、やがて皆、諦める〉
 それも酷い話やなぁ……育ててくれた人らは、子供死んでもた思(おも)て、泣いたり後悔したりするやん。目ぇ離さんかったらよかったって。
 〈やむを得まい。無用の権力争いを生まぬ為だ〉
 「ん? これ、もっと要る?」
 鍵の番人が、自分を見詰める政晶に気付き、赤い果物を差し出す。政晶は無邪気な笑顔に思わず受け取り、最近覚えたばかりの湖北語で、たどたどしく礼を述べた。鍵の番人は満面の笑みでそれに応え、三つ目の皮を剥きにかかった。
 政晶は、他所の卓に目を戻し、瑞々しい果肉を口に含んだ。
 こんな可愛い坊やが急におらんようなったら、母親発狂もんやろ。せめて何か一言……無事に生きとう事くらい、教えたってもえぇんちゃうん?
 〈必要な犠牲だ。情や私欲に流され権力を振るう方が、生まれる犠牲は大きい〉
 当初、子を持つ親の間では、力試しに主峰へ赴く事は、我が子が帰らぬ不吉な話として広まって行った。だが、子世代にとっては、絶好の度胸試しとして広まってしまった。
 えぇーっと……ここ、普通に生活しとっても、ガチで命失くすかも知れんとこやのに? 世の中、何が流行るかわからんもんやねんなぁ……
 〈少なくとも千年以上は続いておるな〉
 ヒルトゥラ山を持ち場とする封印の導師・欺く道と慈悲の谷が、遭難者を気紛れに助け、麓の住人が登山道や山小屋を整備し、いつしかすっかり成人の儀として登山が定着した。
 郷土の儀礼や家系の仕来(しきた)りも残っている為、必ずしも全員が登る訳ではない。だが、若者の間では、他所の地方を旅する口実にする者も多かった。旅の途中、或いは主峰の祭壇で、生涯の伴侶と巡り合う者も少なからず存在する。
 えーっと……成人式って言うか、婚活パーティーなん? 祭壇で何すんの?
 〈コンカツ?……いや、集団見合いではない。成人の儀式はある。主峰の心が、訪れた若者の穢れを祓って祭壇に移し、心機一転、一人前としての自覚を持って暮らすよう、心得を説くのだ〉
 あぁ、一応、それっぽい事はするんや。でも何か嘘臭いなぁ……
 〈嘘……いいや、嘘偽りなく、民の為にも、封印を維持する役にも立っておるぞ〉
 若い内はとかく迷いが多く、一度思考が負に傾けば穢れを生じやすい。人々の心の裡(うち)に穢れが溜まれば、それが三界の魔物の穢れに取り込まれ、新たな魔を生じやすくなる。
 穢れを拭い去り、気持ちを改め、何らかの権威に己の存在を肯定される事は、生きて行く上で、大きな自信と心の支えになるものだ。
 主峰ヒルトゥラ山には、山脈を形成する核となった騎士の魂が固定されている。主峰は生前、人々を守る為に魔物と戦った勇敢な騎士だった。最期には、封印の最外周として大地を隆起させる核となり、その存在の全てを捧げた。ムルティフローラのみならず、かつてのプラティフィラの民にとって、知らぬ者のない英雄だ。そして、山脈はどこからでも見える。誰の目にもわかりやすい揺るぎない存在。
 〈心の支えとして、これ程、相応しいものはあるまい〉
 その騎士の人は、山の神様になってんなぁ……何か、シューキョーっぽい。
 〈……汝の思う信仰とは趣を異にするが、形式的にはそのようなものだな。若い内に道を示せば、それが戒めとなり、己を律する標(しるべ)ともなる。心を闇に沈めた者が瘴気に触れれば、生きながらにして魂を蝕まれ、三界の魔物と化す。それを防ぐ為に必要な措置だ〉
 えぇっ!?
 悪い事して、死んだら地獄行きになるんやのうて、生きたまんま、化けモンなんの?! 恐ッ!
 政晶はこの国の「普通」に驚愕した。「この世の地獄」とは言うが、ここでは文字通りの意味で、この世で地獄を体現する事象が起こり得るのだ。
 ゆっくりと店内に視線を巡らせ、客一人一人の顔を見る。
 騒々しい青年達は、昨日倒した魔物の話や、これから登る山の魔物情報を交換し、道中、戦う力を持たない人々を如何に守るか、議論している。
 親戚らしき一団には、道を誤りつつある者がいるらしい。心の裡にある穢れを如何にして祓うか、その方法を知りたがっていた。一人の若者に熱心に人の道を説いているが、当の若者は、あれこれと言い訳や反論を繰り返すばかりで聞き容れない。親戚の者を屁理屈で言い負かしては、「論破してやった」と得意満面になっている。
 恋人らしき二人連れは、夫婦となった後の行く末と、子供が産まれたらどう躾けるべきか、熱心に語り合っていた。
 夜明け前に宿を発った。

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