■野茨の血族-02.親戚 (2014年12月10日UP)
「政治! 一カ月も何処で何してたんだ?!」
「社長……よくぞご無事で……」
立っていた二人が、父に駆け寄ってきた。一人は父と同じ顔に眼鏡を掛けている。もう一人の初老の男性は、しきりに頷きながら涙ぐんでいた。
貴族の晩餐会でも催すような豪奢な食堂だった。十数人掛けの長い食卓には、純白のテーブルクロスが掛けられ、銀の燭台に明かりが点っている。
父と同じ顔だが、病的に白い肌の男性が扉の正面に座り、その背後に金髪の女性が控えている。執事の姿はなかった。
「嫁が病気で亡くなって、色々大変だったんだ」
父は、同じ顔で怒っている眼鏡の弟に答えた。
「は?! ヨメ? いつ、何処の誰と結婚したんだよ?!」
「大学一回生の時、商都の晶絵(あきえ)さんと」
「で、そこの縮小コピーは何だ?」
「見てわかれよ。俺の息子だよ。この春から二年生なんだ」
「へぇーえ……最近の小学二年生は、随分、発育がいいんだな?」
「見てわかれよ。中学生だよ、中学生」
「政治こそイヤミをわかれよ! お前が幾つの時の子だよ?!」
「結婚した次の年。二回生の時の子だよ。経済、理系なのに引き算もできないのか?」
「あーッ! もうッ!」
怒りを爆発させる眼鏡の次男に、初老の男性が、おずおずと声を掛ける。
「あ、あのー……部長? 社長のご結婚とお子さんの件……ご存知なかったんですか?」
「えっ?! 元町さんは知ってるの? なんで?」
「あのー……手続き関係で……そのー……色々と……」
元町と呼ばれた初老の男性は困惑しきった顔で、社長と部長の間に視線を泳がせている。
「政晶って言うんだ。今日からここで暮らすから。政晶、何、そんなとこ突っ立ってんだ? 入ってこいよ」
政晶は大食堂前の廊下から、大人達の遣り取りを呆然と見ていた。
父さん……ツッコミ所満載過ぎるやろ……
「どうせ部屋余ってんだし、いいだろ」
「まぁ、事情が事情みたいだし……反対はしないけど、突然過ぎるだろ」
「いいじゃないか、別に」
「良くない。……良くないのはお前の態度の事を言ってるんだ! 大体、何で丸一カ月、電話の一本も寄越さなかったんだ?!」
再び眼鏡の叔父……経済が声を荒げる。父はどこ吹く風で、座っているもう一人の叔父に声を掛けた。
「宗教、黒江に荷物運ぶの、手伝わせてくれよ。レンタカー早く返しに行きたいんだ」
「うん、わかった。元町さん、僕、もう行ってもいい?」
「あ……は、はい。ありがとうございました」
ここまでネタなし。ホンマに犬がおって、ホンマに家にAEDがあって、ホンマに社長で、ホンマに三つ子で、ホンマに女の子みたいな声のおっちゃんがおる。
宗教と呼ばれた叔父が、隣の席に立て掛けてあった長い杖を手に取る。金髪の女性が手を添え、椅子から立ち上がる介助をした。
「政治! 答えろよ!」
「あーハイハイ、うるさいなーもー。ケータイ、部屋に忘れてったからだよ」
「GPSで追跡されないように置いてったんだろうが」
「疑り深い奴だなー。そんだけ焦ってたってだけだよ」
父と経済の遣り取りに構わず、宗教は女性に付き添われて食堂から出てきた。右手に杖を持ち、左腕には黒猫を抱いている。
「政晶君……だっけ? お昼ご飯は?」
叔父二人は、身長も父とほぼ同じだった。
杖は叔父より頭ひとつ分高く、先端には黒山羊の頭部を模した飾りがついている。拳大だが、やけに生々しく、今にも動き出しそうだ。
「昼、まだだから、何か食わせてやって」
不気味な意匠の杖に魅入られている政晶に代わって、父が答えた。
「今! 話してるのは! 私! だ!」
「あーハイハイ、わかってるよ」
更に声を荒げる経済に父は軽く返す。
「お前のせいでこの一カ月どれだけ大変だったと思ってんだ!」
「あーハイハイ、ごめんなさいねー。あ、警察行ったりした?」
「宗教に探させて、取敢えず生きてる事だけわかったから……」
「あまり大事にしますと、あのー……会社の信用にも関わりますんで……そのー……」
「あー、やっぱそうだよなー。ごめんごめん」
「そう思うんなら、せめて会社の番号調べて掛けてくるとか……」
介助の女性が扉を閉めると、中の声は全く聞こえなくなった。
父が化け猫呼ばわりした黒猫が、琥珀色の目で政晶をじっと見詰めている。政晶は思わず目を逸らした。
食堂に隣接する台所に通された。そこは、一般家庭の台所とは一線を画す、立派な厨房だった。年季が入った重厚な食器棚には、銀器をはじめとして、子供にも一目で高価だとわかる食器が納められている。普段はこちらで食事をしているらしい。八人掛けの食卓には、卓上調味料のセットが載っていた。
黒猫が宗教の腕から飛び降り、冷蔵庫の前で一声鳴いた。
「ちくわ? 晩ご飯の時にしようね」
宗教が黒猫に優しく言って聞かせる。
「宗教、黒江貸してくれよ」
「うん、いいよ」
廊下を通り過ぎながら父が声を掛ける。宗教は気安く答え、杖を持って台所を出て行った。黒猫と金髪の女性が続き、政晶は一人、取り残された。
急に静かになった台所に、冷蔵庫のモーター音だけが低く重く響く。
政晶は、母と二人で暮らした家の台所を思い出した。
分譲マンションのカウンターキッチンは広々としていたが、ここはそれよりも広い。
対面式で、料理する母の顔が食卓から見えたが、ここは調理台が壁際にある。
商都の家は掃除しやすいクッションフロアだったが、ここは年季の入った板張りで、底冷えがする。
母が最後に作ってくれたのは月見うどん。秋分の日の夜食だった。
「お待たせ。政晶君、アレルギー大丈夫? 何でも食べられる?」
宗教の声に顔を上げる。一人で戻ってきた叔父に無言で頷くと、
「うどん、すぐ作るから、座って待っててね」
大鍋にコップで何度も水を汲み入れ、湯を沸かす。
何でそんな面倒臭い入れ方……あ、心臓悪いから、重いもん持たれへんのか……
自問自答し、手伝うべきか考える。
政晶の結論が出るより先にうどんができあがった。
「取りに来てくれる?」
「……あ……う、うん、はい」
政晶は慌てて席を立った。
熱いつゆに葱、蒲鉾が浮き、中央に生玉子が落とされている。月見うどんだ。
母のうどんは関西風の薄いつゆだったが、叔父のうどんは関東風の濃いつゆ。母は細く青い京葱で、叔父は白い太葱。
「うどん、嫌いだった?」
「いっ……いいえ! すっ好きです! ハイ! うどん好き!」
政晶は丼を抱えて席に戻った。宗教がその向かいに腰を降ろす。
食欲はなかったが、いただきます、と呟いて一口すする。つゆの色から想像していた程、味は濃くなかった。母のうどんとは全く違う味だが、するすると腹に納まる。
昼にサービスエリアで休憩した時、食べたくない、と食事を拒んだからだろう。
厚意を無碍にしてはいけない、と言う義務感だけで箸を運んでいるが、胃はしっかりと叔父のうどんを受け容れている。
「政晶君のお部屋、政治の隣にしたからね」
政晶はうどんをすすりながら頷いた。
「荷物は黒江に運ばせてるけど、もう大きいし、お片付けは自分でできるよね?」
政晶は、宗教となるべく目を合わせないよう、丼に視線を落したまま頷いた。叔父は何も言わず、政晶がうどんを食べる姿を見守っている。
正面からじっと見つめられると、気マズくて食べにくい。政晶は丼から顔を上げる事なく、箸を動かし続けた。
作って貰ったからには、つゆまで飲み干すべきか、体に悪そうだからやめておくべきか。
考える時間を稼ぐため、バラけた葱を一切れずつ口に運ぶ。
「掃除と荷物運び、終わったよ」
不意に言われ、政晶は思わず前を向いた。
「お布団だけベッドに敷いたけど、後は自分で片付けてね」
「え……? あ、はい?」
政晶は戸口に目を遣った。誰も居ない。台所を見回したが、モニタらしき物は見当たらなかった。宗教は何も持っていない。ただ政晶の前に座っているだけだ。
おっちゃん、何で自分がやったみたいに言うとるんや?
「清掃と荷運び、完了致しました」
政晶が箸を止めて考え込んでいる所へ、金髪の女性と黒髪の女性が入ってきた。
「クロエ、立つの手伝って」
「はい、ご主人様」
「あ、政治、何時に帰るって言ってた?」
「ご主人様、政治さんは、一時間程度で帰宅するそうです」
ホンマに「ご主人様」言うメイドさん居(お)るんや……この家、執事さんも居るし、漫画みたいな金持ちやな……でも、昼は、月見うどんなんや……
「政晶君、もうおなかいっぱい? お部屋見に行く?」
「えっ、あ……はい」
結局、つゆが残ったままの丼を流し台に運ぶ。絵に描いたように古風なメイドが、慣れた手つきで宗教が立ち上がる介助をした。
「洗うのはクロエにしてもらうから、行っていいよ。双羽さん、案内してくれますか?」
「……こちらです」
フタバと呼ばれた金髪の女性に促され、政晶は台所を出た。
口の字型の長い廊下をほぼ半周し、玄関の反対側にある階段を昇る。二階を半周し、玄関の真上辺りの部屋に通された。
南向きの窓から差し込む春の陽が、木の床と白い壁を温めている。
十二畳程の部屋にベッドと、商都から持ってきた学習机と、数個の段ボール箱だけがぽつんと置かれていた。
宗教の言う通り、ベッドには商都で使っていた布団が敷いてある。
「隣の二部屋が、あなたの父上の部屋です。手前が寝室、角は仕事部屋です」
金髪、青い瞳、白い肌。顔立ちもどう見ても日之本帝国人ではない。出身地は不明だが、フタバの説明は、訛のない完璧な発音の日之本帝国語だ。
政晶はいくつも疑問が湧いてきたが、気後れして口に出せなかった。
そない言うたら、こないだ新聞の授業で、看護と介護の外国人労働者を増やす政策がどうのって、やったなぁ……あぁ言うのんで来た人なんやろなぁ……
代わりに、自分で見当を付けて自分を納得させる。
廊下の扉が開き、宗教と執事の黒江が入ってきた。玄関正面の扉から中庭に降り、バルコニーに上がって近道したらしい。
「着替えとかはクローゼットに仕舞ってね。家具の配置を変えたいなら、黒江に手伝わせるけど……?」
「あ……い、いいです。このままでいいです」
標準語で話すと堅く心に誓ったが、口が強張り、ぎこちない。
クローゼットは父の寝室側の壁面。ベッドは窓辺、学習机はクローゼットとは反対側の壁際に配置されていた。
広過ぎて落ち着かんのは、どないしようもないしな。
「僕の部屋は、反対側の階段の近くだから、何かあったら遠慮しないで呼んでね」
宗教が部屋を出る。フタバと執事も後に続き、また政晶一人が残された。言われた通り、クローゼットに衣類と教科書、学用品を詰めた。
家族で使っていた物は、商都で処分してきた。母の遺言で、形見は一切残していない。
父の実家に持ってきたのは、政晶個人が使っていた物だけだ。すぐに片付く。
する事がなくなると、とたんに寂しさが胸を圧迫し始めた。
父はまだ戻らない。
戻ったところで、元々、年に数える程しか一緒に居なかった相手だ。母が居なくなった今、何を話せばいいのか、わからなかった。
手持無沙汰な春休みだった。
転校で宿題はなくなり、引越しで知り合いも居ない。
政晶は何もする気になれず、ただ時が経つのを待って過ごした。
平日は、看護師の月見山と二人で留守番。
土日は、父に連れられ、近所の市場や公園、四月から通う中学に行った。そこでも会話にならず、父の一方的な説明に終わった。
料理は父と経済が作った。二人とも健康的な薄味。
宗教だけ別メニューだった。月見山と双羽が交代で、内容も量も離乳食のようなものを用意する。メイドのクロエは初日以来、見かけなかった。
月見山は、母よりも年配の女性で、いつ見ても完全仕事モードの顔をしている。母が入院していた病院の看護師達と同じ空気を纏っていて、政晶は話し辛かった。ずっと宗教の寝室か、宗教の書斎の隣にある自室にいるらしく、食事時以外は滅多に姿を見ない。
双羽は何処で習ったのか、日之本帝国の伝統料理も普通に作っていた。父より年上にも年下にも見える。言葉は通じるが、月見山とは別な意味で、話し難い雰囲気を持っていた。月見山同様、宗教の部屋か、宗教の寝室の隣にある自室にいるらしい。
宗教の傍にはこの二人の他、いつも執事の黒江が控えている。政晶は、執事が食事しているところを見た事がなかった。どの部屋が割り当てられているのかもわからない。執事も母と同じくらいか、少し年上に見えるが、髪は黒々としている。よく見ると目が琥珀色で、日之本帝国人ではなさそうな顔立ちをしていた。
一週間が過ぎ、ますます疑問が募った。
父は留守中に溜った仕事を片付けているのか、平日は食事以外では顔を会わせない。
体が弱い宗教は勿論、眼鏡の経済も、ほぼ自室に籠っている。
広大な屋敷で家族がバラバラに過ごしていて、一緒に住んでいる実感が湧かなかった。