■野茨の血族-27.導師 (2014年12月10日UP)
成人の儀を終えた者達は、それぞれ山を去って行った。転移の術で跳んだ者は僅かで、大半の者が徒歩で帰路に就いた。
例の若者も親戚に確保され、途中で他の者達と合流した。昼過ぎに「ご心配をお掛けしました」と宿舎宛に術で連絡があったのだ。
騒動の後、気が抜けてしまった政晶は、食堂でぼんやりしていた。管理者が、連絡の内容を鍵の番人に報告している。二人の遣り取りを聞くとはなしに聞いていた。
魔法、便利やねんな。
〈そうだな。使い方を誤りさえしなければ、便利な物だな。良し悪しは使用者次第だ〉
政晶は、叔父が帝国大学の准教授として、政晶の友人の友田に向けた言葉を思い出した。
「どんな道具も知識も、使う人によって良い事にも悪い事にも使える。この腕環を凶器にしないように気を付けて使ってね」
そんでも、ここで魔法を悪用する人、おらんから大丈夫ちゃう? 心配せんでも、悪い人は魔物になって、騎士さん達にやっつけられて、すぐおらんようなるんやろ?
〈邪悪な意思を以て行動する者ばかりではない。良かれと思い、理想の実現の為には手段を選ばず、悪事を働く者も存在するのだ。善意を以て為す悪事程、厄介な物はない〉
……余計なお世話、言う奴?
〈汝には、まだ難しかったか……〉
建国王は苦笑した。
結局、その日は練習を休み、翌日から本腰を入れて取り組んだ。
政晶は、数日で呪文全体の動作を教わり、後は毎日、一時間通しで舞った。休憩は挟むが、体に覚えさせる為、日に何時間も剣を振るう。
祭壇の広場には、若者達が毎日入れ替わり立ち替わりやって来た。
主峰の心の話に耳を傾け、術で心の重荷を降ろし、大人としての自覚を持って、それぞれの故郷や輪廻の輪に帰る。
成人の儀で祓いきれない穢れを持つ者は、殆ど居なかった。穢れを抱えた者も、あの二人を超える者はおらず、政晶と建国王が軽く祓うだけで浄化された。
五日に一度、「欺く道」と呼ばれる背の高い導師が、片手に杖を持ち、もう一方の手で葦笛を吹きながら祭壇を訪れる。政晶の母と同年代に見えたが、実際の年齢は不明だ。
【歌う鷦鷯(ミソサザイ)】の徽章を身に着けている。建国王の記憶を覗くと、歌や楽曲に魔力を乗せ、術とする音楽家だった。この欺く道が、二千年以上前に追儺の儀式を構築し、穢れを祓う呪歌を創り出した事がわかった。
建国王は初回だけ、三界の眼を通して彼の仕事を視せた。
笛の音に魅かれた穢れが列を成し、欺く道の後を雲霞のような黒い塊となってついて来る。祭壇の広場の前で演奏を中断すると、穢れはドブの澱みに呑み込まれた。
欺く道は政晶を歓迎し、心浮き立つ軽快な曲を奏で、持ち場に戻った。
不定期に訪れる「慈悲の谷」は、緑色の髪を持つ湖の民の導師だった。父と同じくらいの年に見えるが、実年齢不詳の女性だ。
白い花が幾つも付いた杖を持ち、山で道に迷った死者と生者をまとめて連れて来る。
建国王によると、首に掛けた徽章は【贄刺す百舌】で、生贄を必要とする儀式魔術の研究者との事だった。普段は山脈の最も深い谷の祭壇に居る。政晶は、徽章の説明を聞いて恐くなり、谷の祭壇で何をしているか、本人に聞けなかった。
慈悲の谷も政晶を歓迎し、優しげな笑顔を向けたが、政晶は引き攣った愛想笑いを返すのが精一杯だった。
祭壇の広場には、若者と導師だけでなく、肉眼では見えない雑多な妖魔が、穢れに惹かれて集まって来る。騎士達は雑妖を排除し、舞い手である政晶を守った。
政晶は、〈灯〉に与えられた霊視力で見えるモノに慣れ、恐がらなくなってきた。
文官上がりの〈雪〉も、連日の雑妖退治で戦いに慣れてきたらしい。他の騎士に比べるとまだ負傷は多いが、魔剣に振り回されるより先に、自ら剣を振るう回数が増えてきた。主峰の心が時折、そんな彼に助言を与えている。
政晶はある朝、〈雪〉が地面に小さな魔法陣を描いて呪文を唱え、その日一日の天候を調べている事に気付いた。思っていた通り、〈雪〉の専門は戦いではなかった。
燕は、天候に関する魔術の徽章だったのだ。
街道でにわか雨に遭ったのは、雨宿りできる場所がなかったからだ、と言う事も今更わかった。〈雪〉は「知ってても、どうにもできない事ってあるよね」と寂しそうに笑った。
鍵の番人が毎晩、政晶の手のマメを癒す。
政晶は相変わらず痛みを訴えないが、鍵の番人は当然のように、童歌のような呪文を唱える。建国王は、それについて何も言わなかった。
政晶は毎日、くたくたでベッドに倒れ込み、鍵の番人が唱える癒しの呪文を子守歌代わりに眠った。