■野茨の血族-06.友達 (2014年12月10日UP)
三人で瀬戸川公園の北側にある屋敷に戻った。
台所に入ると、流しで何かしていた執事が、こちらを向いた。水を入れていたらしい。右手に湯沸かしポットを提げて、テーブルの横を通る。
「おかえりなさい」
「う……うん。ただいま」
執事は、友田の存在に気付いていないかのように、政晶にだけ声を掛けた。政晶は友田の前にグラスを置きながら、ぎこちなく返事をした。
さっきは「いってらっしゃい」も言わんかったのに、何やねん。しかも初対面の友田君は無視。ホンマどっかおかしいんちゃうか?
友田が震える声で聞いた。
「あ……あの……もしかして……黒江……さんですか?」
「そうですが、それが何か? 政晶さん、ご飯と味噌汁はできています。生地は念のために冷凍庫に入れてあります」
執事の黒江はそれだけ言って台所を出て行った。
「あ、あのさ、巴ってひょっとして親戚に帝大の先生……居る?」
「……何で黒江知っとん? 何でおっちゃんの仕事知っとん? 会(お)うた事あるん?」
政晶は驚いて、矢継ぎ早に質問を返した。方言に戻っていたが、自覚はない。
「帝大のサイトで見た。あの黒江さんって魔道学部の巴先生の使い魔だよな? さっきの叔父さんが巴先生?」
「ちゃう。も一人のおっちゃん」
政晶は、取敢えず、答えられる質問にだけ答えた。
ツカイマってなんや? 帝国大学のサイトに何が載っとんや? あのおっちゃんは大学で何の勉強教えとんのや?
ご飯、味噌汁、手造りハンバーグ、サラダ。巴家は毎食、庶民的な献立だった。
三人は、食事をしながら学校の話をした。
主に経済が話を振り、友田が答えた。政晶は一言二言返すが、全く会話が盛り上がらない。友田は去年のクラスで起こった面白い出来事を語ったが、政晶の反応は相変わらず薄かった。前の学校での部活を聞かれ、陸上部だった事を単語で返しただけだ。
食事が終わり、話のネタも尽きつつあり、友田が気マズそうに台所を見回す。
「政晶さんとお友達の方、ご主人様がお呼びです」
不意に声を掛けられ、友田が飛び上がらんばかりに驚いた。政晶は怪訝な顔で、いつの間にか入ってきた執事を見た。友田が恐る恐る政晶に聞く。
「ご主人様って?」
「もう一人の叔父さん」
政晶が標準語で答えて立ち上がる。二人は無言で執事の後に従い、二階に上がった。
宗教叔父さん、友田君に何の用事やろ?
政晶が、叔父の寝室の扉をノックする。
「どうぞ」
間髪入れず、小学生くらいの女の子の声が返事をした。
父と同じ顔だからか、初対面のような気はしなかった。経済よりも人当たりが良さそうで、実際、親切にもしてくれている。それでも、悪いと思いつつ、父と同じ口から小さな女の子のような可愛い声が発せられる事には、馴染めそうもなかった。
政晶は扉を開け、初めて宗教の部屋に足を踏み入れた。
そこは、病室だった。
まず、消毒薬の匂いがツンと鼻を刺激する。
奥の窓際にベッドが置かれ、宗教が上体を起こして座っていた。柵と小さなテーブル付きで、母の病室のベッドにそっくりだ。ベッドの枕側には点滴台と血圧計もある。
ドアの脇に簡易ベッドがあり、その前には灰色のスーツを着た双羽が立っていた。これが制服なのか、いつ見ても同じ恰好だ。
執事がベッド脇の小さな丸テーブルで、紅茶を淹れる。友田は、宗教とベッドの柵に立て掛けられた例の杖を見比べていた。
「どうぞお掛け下さい」
執事が、丸テーブルの両脇に置かれた椅子を掌で指した。政晶は、叔父の足元側の椅子にさっさと腰を下ろした。
友田は、枕元側の椅子に近付き深々と頭を下げた。いつの間にか双羽が友田の横に立っている。直角のお辞儀。最敬礼。顔を上げて挨拶する。
「は……初めまして。えっと、巴君の同級生の友田です。あ……あの、帝大の巴先生ですよね? 先生の本、読んで凄い尊敬してます!」
「ありがとう。まだ中学生なのに大学生向けの本を読むなんて、勉強家なんだね」
政晶は驚いて友田の顔を見た。照れくさそうに、はにかんでいる。
「ありがとうございます。でも、やっぱりまだ難しくて半分もわかんなかったです」
「そう。将来は大学で魔法の研究をするの?」
「できればそうしたいんですけど、今の成績じゃどこの大学も無理で……」
「お勉強頑張ってね。まだ中学生なんだし、これからだよ。さ、遠慮しないで座って」
座りかけた友田が弾かれたように体を起こし、双羽に向き直った。
「それ、【急降下する鷲(ワシ)】ですよね?! 巴君のお母さん、魔法戦士なんですか?!」
「その人、他人だよ。僕の母さんは先月亡くなった」
政晶の淡々とした説明に、友田が冷や水を浴びせられたように黙り込む。政晶は気まずい沈黙に、きつく言い過ぎたかと後悔した。友田の視線の先、双羽の胸元ではいつもと同じ、鷲を象った銀のペンダントが揺れていた。
ひとつ大きく深呼吸すると、友田は政晶に向き直って頭を下げた。
「……ごめん」
「いいよ……言ってなかったし」
政晶は、どこか他人事のような顔で言った。
……そやけど僕、自己紹介で「ハーフちゃう」言うたやん。
「でも、いい母ちゃんだったんだな。ウチのは家の用事全然しないし、金遣い荒いし『鯉澄』なんてバカげた名前付けるし、兄貴ばっか贔屓するし、居ても色々最悪なんだ。亡くなったのは残念だけど、そんなに悲しいって事は、巴の母ちゃんってスゲーいい母ちゃんなんだよ」
政晶は表情を変えずに頷いた。
そんな最悪な親おるんやな……友田君、変な名前なんはホンマやし、気ぃ遣こて、そんな辛い話してくれてんな。でも……こんなん、なんちゅうて返事したらえぇんやろ……
「政晶君、こっちでもすぐにお友達ができてよかったね。友田君、仲良くしてあげてね」
「は……はい!」
友田は、尊敬する巴准教授の頼みを勢いよく了承したが、政晶は何も言わずに頷いた。
結局、宗教の用件も経済と同じだった。叔父二人が友田に友達付き合いを念押し。これを過保護と言わず何と言うのか。
「友田君、【急降下する鷲】が何か知ってるんだ?」
「あ……はい。霊性(れいせい)の翼団(つばさだん)の本で見ました。巴先生は【舞い降りる白鳥】ですよね」
興奮気味に友田が言う。政晶は全く話の内容について行けず、どこか遠くを見たまま、紅茶をすすった。
友田は、以前読んだガイドブック「魔術師連盟 霊性の翼団概要」を思い出していた。
魔術師の国際機関「霊性の翼団」は、魔法の専門分野ごとの小集団に分かれている。
帝国大学魔道学部准教授の薄い胸元では、白鳥を象(かたど)った銀のペンダントが輝いていた。片翼は人間の腕。呪いが解け、人に戻る姿が意匠化された物で、術の解析や、呪い解除の専門家である事を示す徽章(きしょう)だ。
双羽の【急降下する鷲】は、短い呪文で素早く魔物を倒す魔法戦士の徽章。翼を広げ、獲物を襲う鷲を意匠化してある。
巴准教授が、友田と同じキラキラ輝く目で聞いた。
「じゃあ、友田君の持ってるそれが何かも知ってる?」