■野茨の血族-25.祭壇 (2014年12月10日UP)

 その後は拍子抜けする程、何事もなく、予定通り三日目に祭壇の広場に着いた。政晶が通う中学校くらいの広さだ。
 七合目付近の斜面が平らに整地され、広場の中央に祭壇が設(しつら)えられていた。石畳の広場を囲んで石造りの建物が三棟ある。いずれも平屋で窓は小さい。石畳には一枚ずつ複雑な文様が刻まれ、遠目に見ると、全体でひとつの魔法陣を描いていた。
 振り向くと、眼下にムルティフローラ盆地が広がっている。彼方に小さく王都が見え、都を中心に街道が放射状に伸び、一本の大河が盆地を貫いて走っていた。手前の村から夕餉の煙が細くたなびいている。
 見上げれば、山頂は薄く雲を纏い霞んでいた。登山道は祭壇の前で終わり、それより上を目指すなら、自ら道を切り拓かなければならない。
 火照った頬に触れる風が冷たい。遠く西に目を遣ると、空は茜に染まり、東から夜が近付いていた。王都の北に聳える主峰に連なる山々が、夕日の色を映して輝いている。
 石畳の広場は南向きで、東西北の三方を建物に囲まれていた。夕日が落とす長い影が、広場を覆っている。初老の男性が、向かって右、東の建物から出てきた。
 政晶の胸にふと疑問が浮かんだ。
 ここって、今までの山小屋みたいに、安全な場所なんかな?
 〈城と同じだ。少し三界の眼を開くぞ〉
 えッ!? ちょっ……いきなり!?
 視たいと言った時には視せてくれず、今になって急に視せると言う事に、若干の腹立たしさはあるが、政晶は剣の柄に手を添え、目を閉じた。
 〈汝は魔力を持たぬ故、我の力を解放するのは本番だけだ。今は、心の準備の為に力の一部を暫し解放する。よいな〉
 政晶は小さく頷き、ゆっくりと目を開けた。
 石畳の上はドブだった。
 何年も掃除していないドブの中身のような液状の何かが、澱んでいた。ガラスの水槽でもあるかのように、石畳から全くはみ出す事なく、政晶の腰の高さにまで溜まっている。ドブ色の液の中に極彩色の生物の破片が見え隠れしている。明らかに人間の眼球とわかる物が、無数にドブ液の中を漂い、浮きつ沈みつしていた。
 臭いはないが、政晶は吐き気を堪えながら聞いた。
 これ……幻覚やんな? 王様、僕を驚かそうとして……
 〈夢でも幻でもない。現実にここに集められた山の穢れと、ここで引き剥がした若者の心の穢れだ。後二十日程で型を全て覚え、この中で剣舞を納め、これを祓うのだ〉
 「こん中、入んの?! 咬まれへん?」
 思わず声に出し、注目を浴びた。
 若者達は、初老の男性に挨拶していたが、怪訝な顔をこちらに向けている。鍵の番人と騎士達は話を中断し、心配そうな目で政晶を見、クロエを見た。
 クロエが訳すと、鍵の番人だけが何かわかったように頷いた。
 政晶の目が、恋人と来た女性と、ひねた青年に釘づけになる。
 女性には赤い大蛇が幾重にも巻きついていた。娘の腿程の太さの蛇が、周囲の人間を威嚇するように鎌首をもたげ、火のような舌を出している。
 ひねた青年には、祭壇の広場と同じ、不定形のドブ水が覆い被さっていた。生物のように蠢き、青年の体の表面を落ち着きなく這い回っている。
 「それ、他の人には視えないよ」
 鍵の番人の声で、現実に引き戻された気になったが、相変わらず、あれやこれは視えたままだ。その鍵の番人は、全身がぼんやり白く光っている。
 〈これが、三界の眼の視界だ。では、閉じるぞ〉
 唐突に、大蛇もドブ水も見えなくなり、鍵の番人の光も消えた。
 おっちゃんは、こんなもんがずーっと視えとったんか……堪(たま)らんなぁ……僕やったら、こんなんよう堪(た)えへんゎ。
 〈常に視える訳ではない。コツさえ覚えれば、三界の眼を閉じる事もできる。普段は閉じている筈だ〉
 あ、そうやんな。なんぼなんでも、ずーっとアレ視えとったら、イヤ過ぎるもんな……って言うか、視えへんだけで、アレずっとおるんやんな? あの人ら大丈夫なん?
 政晶は、初老の男性に続いて建物に入る若者達を見た。
 恋人達は楽しげに語らい、ひねた青年は、不満げな顔で皆の後に続く。足取りはしっかりしており、命に別条はなさそうだ。
 〈あれは本人の心の裡から湧き出た穢れだ。あの二人は特に酷いな。もう限界だろう。あれに三界の魔物の瘴気が触れれば、あの者達は魔物と化す。まぁ、程度の差こそあれ、あれは誰にでもあるものだがな〉
 日之本帝国では、ありふれた雰囲気の若者達だ。
 ひねた青年は、中二病にありがちな醒めた目と、反抗期にありがちな周りの全てを敵と看做し、つっかかる敵意。赤い大蛇の彼女は、恋人への独占欲と、恋人が関心を寄せたものへの嫉妬。
 政晶のクラスにも何人もいる。前者は、居ないクラスを探す方が難しいだろう。後者も、学校で一度見た事がある。
 いつだったかの放課後、校舎一階の階段下スペースで、何人かの女子が揉めていた。
 女子の一人が、学年で人気のある男子に告白したらしい。成否は不明だったが、抜け駆けを咎められているらしかった。
 グループのリーダー格が、「みんなの勝原(かつばら)君に手ぇ出してんじゃないよ。糞ビッチが」と凄んだ声に足が震えた。偶然通り掛かっただけの政晶は、彼女らに気付かれないよう、そっと校舎を出た。
 階段の陰になって姿は見えなかったが、あの子たちはきっと、クロエを睨みつけていた赤い大蛇の彼女と、同じ顔をしていたに違いない。
 えーっと……ここって、あぁ言う恐いもん、溜めてあんねんな?
 〈そうだ。心を強く持って臨むのだぞ〉
 うん、まぁ、そら相当、気合い要るやろなぁとは思(おも)とうけど、あれ、咬んだりとかするん? それとも、触っても別にどないもない? こう……物理で。
 〈何の為の鎧だと思っておるのだ?〉
 普通の人には視えへん癖に、咬むんや……
 政晶はうんざりしながら、鍵の番人の後について、建物に入った。

 東に建つ宿泊棟は南北に細長く、広場に面した廊下に沿って食堂と小部屋が並んでいる。
 「慈悲の谷様は持ち場にお戻りで、欺く道様は、巡回なさっておられます」
 政晶に「宿舎の管理者」と名乗った初老の男は、鍵の番人とは顔見知りらしい。再会の挨拶を交わし、導師達の所在を報告する。鍵の番人は、それに素っ気なく応え、すぐに退がらせた。
 宿と同じ部屋割で、〈雪〉〈雪丸〉の従兄妹が北の端、政晶達はその手前の部屋に落ち着いた。
 〈斧〉が魔法で灯を点す。荷物を降ろすと、窓の外はすっかり闇に包まれていた。麓のように虫の音はなく、風の呻りだけが聞こえる。月に照らされた灰色の雲が、西から東に流れて行った。
 食堂は、水瓶と調理台と、四人掛けの食卓が七つあるだけの簡素なものだった。他の若者達は既に食べ始めている。
 政晶は、ドブ水の青年と赤い大蛇の娘を見た。
 特に変わった所はなく、普通にスープを飲み、普通に堅パンを齧っている。
 あの人ら、そんな悪い人っぽく見えへんのになぁ。人は見かけによらんもんやねんなぁ。
 〈人前に出す表の顔と、真の顔が異なるのは、ままある事だ。人は本音と建前を使い分けるものだからな。尤も、モノには限度と言うものもあるが……〉
 あの人ら、限界超えてまいそうなん?
 〈さあな? ここでひとまず、現在抱えておる穢れは祓われる。暫くは超えぬだろうが、本人次第だな〉
 食事を終え部屋に戻ると、鍵の番人が眠い目をこすりながら〈灯〉に命じた。
 「舞い手さんに視力を分けたげて」
 「御意」
 〈灯〉は荷物から筆とインクを取り出した。政晶に左手を出すように言い、掌に複雑な紋様を描く。政晶はくすぐったかったが、なるべく揺らさないように堪えた。〈灯〉はインクが乾かない内に政晶の手を握り、呪文を唱えた。
 左手から、体の中心に光が流れ込む。中心で渦を巻いた光は、解(ほど)けながら体の隅々に広がって行く。目を開けても閉じても眩しい。政晶は光に翻弄され、立ち竦んだ。全身に行き渡ると、光は大人しくなった。〈灯〉が手を放すと、眩い輝きはなくなり、目の奥に仄かな熱だけが残った。政晶は恐る恐る瞼を上げた。
 いつもの視界だ。
 特に亡霊のようなものが視えるようになった訳ではないらしい。
 「これから七日間、色々視えるようになったよ。三界の眼みたいな事はないけど、多分、ちょっと恐いと思う。手を洗って呪文が消えても、七日間はずっと視えたままだからね」
 鍵の番人はベッドの上で、黒猫に変えた使い魔を抱き寄せながら言った。
 通訳者が居なくなった政晶は、黙って頷いた。何も視えていない件について聞きたかったが、諦める。
 〈灯〉が隅に置かれた壺に歩み寄る。
 もう何度も聞いた呪文を唱え、水を生き物のように操り、政晶と自分を洗った。二人の手に残る滲んだインクが、跡形もなく流される。
 「暗くなったらお外に出ちゃダメだよ。穢れに引き寄せられたよくないモノが、色々集まってるからね。明日からは一日中だし、今日はもう練習しなくていいよ。おやすみ」
 鍵の番人に有無を言わさぬ調子で言われ、政晶はたどたどしい湖北語で「おやすみ」とだけ返した。
 使い魔のクロは、子供のだっこが不満らしく、頬の毛を膨らませている。
 「まぁ、外で視えるモノは、直接手出しはしてこないから、心配ない。気をしっかり持って、無闇に恐がらなきゃ平気だ」
 政晶の背中を軽く叩き、〈斧〉が元気付けるように言った。大きく力強い手と温かな声に、政晶は思わず笑みが零れた。
 明日からみっしり練習か……しんどいやろなぁ。
 荷物の中から、赤穂に貰ったお守りを出し、上着のベルト穴に括りつける。
 その日はいつもより時間を掛けて、赤穂用の記録をつけて眠った。

 朝食の後、外に出ると祭壇の前には、数十人の若者達が荷物を持って集まっていた。
 昨日、政晶達と一緒に来た者達の他、到着したばかりらしい若者達が、息を弾ませている。それより先に着いたらしい一団は、落ち着いてはいるが、魔獣に襲われたのか、負傷し、衣服も酷い状態だった。
 「鍵の番人さん、あの人ら、治したらんでえぇのん?」
 「私は体しか治せないよ」
 「えっ」
 一呼吸置いて、鍵の番人は政晶の疑問に気付いた。
 「怪我してるのは、えっと……生きて……来られなかった人達で、体はもうないよ」
 まさかと思った疑念を軽く肯定され、政晶は真冬に冷や水を浴びせられたように動けなくなった。体に力を入れ、何とか震えを堪える。
 〈道半ばで命を失おうとも、ここに辿り着けた者ならば害はない。心の重荷を降ろせば、輪廻の輪に還って行く〉
 政晶は「負傷者」にそっと目を遣った。皆一様に、何かを成し遂げたようなさっぱりした顔をしている。
 〈ここに辿り着けなかった事が心残りで、この世に留まっておるからだ。後は成人の儀を受け、心の重荷を降ろせば、納得する〉
 心残り……
 政晶は、母の最期の顔を思い出した。何か心残りがあっただろうか。何も残したくないと言った母に、亡霊になってまで為したい事があっただろうか。政晶は、胸の奥に小さな火で焙られたような痛みを感じ、その疑問を意識の奥底に沈めた。

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