■薄紅の花 01.王都コイロス-21.軍の情報 (2015年05月09日UP)
「……ろ……起きろ! こんな所で寝るな! 魔獣の餌になりたいのか」
不意に声を掛けられ、双魚は目を開けた。いつの間にか、寝入ってしまったらしい。余程、驚いたのか、動悸が不自然に早くなる。
双魚は、弟の腕を掴んで立ち上がらせた。二人が重い腰を上げると、兵は声音を少し和らげた。
「親は?」
首を横に振ると、それ以上何も言わず、身振りでついてくるよう促した。兄弟は黙って従った。
詰所の事務室に通され、マントを一枚渡された。今夜はここで眠れと言うことらしい。既に日は傾き、西の空が赤く燃えていた。今日の残り日が消える前に受け容れられたのは、幸運だった。
二人で一枚のマントに包まり、隅の床に座る。腰を下ろすなり、弟は兄の肩に頭を預け、寝息を立て始めた。双魚も目を閉じる。
兵士達は、慌ただしく事務室を出入りしていた。
飛び交う会話の内容は、芳しくないものばかり。
流入する避難民と流出する住民を把握できない。
結界が失われ、魔獣が旧市街にも出没している。
路上に溢れる避難民の間で、疫病が発生してる。
呪医の人手が足りない。食糧も物資も足りない。
路上の避難民が魔獣に襲われ、死者が出ている。
弱者ばかりで戦士が足りない。武器も足りない。
西のインブリカータが挙兵した。被災した湖の民の救援と言う名目だが、進路上の農村を襲い、陸の民を殺戮している。混乱に乗じ、セリア・コイロスを湖の民のものにする気だ。
それを受け、南のボスリオキルスも兵を出した。湖の民の手から、陸の民を救うと言う名目だが、我が国は援軍の要請を出していない。
近々両軍が衝突し、王都コイロスが戦場になる。
いずれも深刻な話で、明るい話題はひとつもない。
兵が足りず、治安維持もままならない。旧市街の住民による自警団と、宛のない避難民の衝突が頻発している。
路上では食糧の不足から、避難民同士の略奪や窃盗が横行している。互いに助け合い、支え合う人々が居る一方、それを踏みにじる輩も居た。
双魚は、知らない人に何度も助けられて、ここまで辿り着いた。人を害する人の話を呆然と聞いていた。
兵の会話は、不安が見せた悪夢なのか、現実の話なのか。
夢現(ゆめうつつ)で、何も考えられない。耳に入る声をただ、受け止めていた。
昨日とは別の兵に起こされた。外はすっかり明るくなっている。雀が囀り、人の気配も忙しない。
手洗いに連れて行かれた後、小声で、「内緒だぞ」と、やわらかなパンをひとつずつ渡された。早く食え、と急かされ、二人は急いで口に押し込んだ。
水を飲んで落ち着いた二人に、兵が問う。
「行く宛はあるのか? これからどこに行くんだ?」
弟は兄の服の端を掴んで、兵と兄の顔を交互に見た。兄は少し躊躇していたが、意を決してきっぱり言った。
「お城に行きます。王子様に届け物があるんです」
「届け物?」
「依頼人の秘密は、誰にも内緒だって、父さんが……」
「あぁ、うん。まぁ、どうせ子供だけじゃ、お目通りできんがな」
兵の言葉に、双魚は殴られたような衝撃を受けた。
突然、目的を失った虚無感に力が抜け、床に崩れる。兵が抱き起こし、宿直室らしき部屋に連れて行かれた。弟が泣きながらついてくる。簡素なベッドに寝かされた。弟も潜りこみ、兄にしがみついた。
「まぁ、あれだ。今日はゆっくり休んで、それから考えろ」
兵はそれだけ言って、出て行った。
弟はしばらく、ぐずぐず泣いていたが、やがて泣き疲れて寝入った。双魚は、泣くことも眠ることもできず、呆然とした。
元々、父と二人で行く筈だった。父は、王子と面識があったのだろう。
非常時だが、門番に家紋と用件を伝えれば、入れて貰えるかも知れない。この状況なら、父が亡くなり、息子の自分が代理で来たことも、了承してくれるだろう。
何としてでも、了解させなければならない。
今日は兵に言われた通りゆっくり休み、明日、城に行くと決め、目を閉じた。