■薄紅の花 01.王都コイロス-08.区長の家 (2015年05月09日UP)

 双魚は老夫婦に伴われ、部屋の奥へ移動する。床に敷いた毛布に座らされ、老夫に小さな皮袋を渡された。誰も何も言わないので、双魚は手を空ける為に、小さなパンを腹に納めた。パンは少し乾いてパサついていた。
 老婦が荷物から、小さな陶器の小瓶を出し、水を注いでくれた。【収納】の術が掛かった小瓶は、外見以上に入っている。渡されたカップは、縁が少し欠けていた。
 小声で礼を言い、ちびりちびりと口を湿らす。
 向かいに座った男性と目が合った。抱えた膝の間で、首に下げた銀の徽章が揺れている。【巣懸ける懸巣】学派の証だ。彼は建築家らしい。
 「坊や、何で家が潰れたか、知ってるか?」
 不意に声を掛けられ、双魚は首を横に振った。建築家は、家の下敷きになったのか、救助活動でそうなったのか、服が破れ、赤黒い染みが付いている。
 「魔力が足りんからだ」
 その一言で、周囲の視線が建築家に集まった。注がれる眼差しを気にせず、建築家は双魚だけを見詰めて話を続ける。
 「俺達は、ちゃんと術を組込んで建てるように、図面を引いた。職人達も、ちゃんとその通りに建てた。俺はちゃんと現場に立ち会って、この目で確めたし、完成したらちゃんと術を発動させて、仕上げもした」
 誰も何も言わず、部屋には建築家の声だけが響いた。
 「俺はちゃんと仕事したんだ。【耐火】【耐震】【修復】【清掃】【魔除け】。家は家族を守る物だから、必要な術は全部、組込んだ。手抜きなんかしてない」
 建築家の声は次第に大きくなり、双魚は隣家の老夫にしがみついた。
 「全部の術を発動させ続けるのは、住んでる人なんだよ。住んでる人に魔力が足りなきゃ、術の効力は維持できない。別に生きてる人でなくてもいい。【涙】になったご先祖でも、魔力が残ってりゃ、家を守れたんだ。俺はちゃんと、それも説明したよ。俺は、ちゃんと仕事したよ。現にここん家は、無事じゃないか」
 涙声で、俺は悪くないと繰り返す建築家に、声を掛ける者は一人もなかった。双魚も何を言えばいいかわからず、黙って水を飲み干した。
 老婦にカップを返し、空いた手で皮袋の口を開ける。思った通り、中身は大釜一家の【涙】だった。
 魔力を持つ者の遺体を灰にすると、残留魔力が凝集し、結晶化する。結晶は【魔道士の涙】と呼ばれる。水晶に似た結晶で、大きさは享年により、死亡時の年齢が高い程大きくなる。中に魔力を蓄える性質があり、色や容量などは人によって異なる。術で本人の魂を封入し、人格と記憶を保持することも可能だが、輪廻の理から外れる為、余程の事情がない限り、行われない。
 一番大きいのが祖父、次が父で鶉の卵くらい。次が母で双魚の小指の先くらい。うっかりすると見落としそうな小粒が、弟妹だった。薄く透き通った結晶が、真珠色の光を宿し、瞬いている。
 遊びに行った秤の【涙】はなかった。探さねばなるまい。
 その夜は、老夫婦と共に焦げた毛布で眠った。

 翌朝、炊き出しのスープをカップ一杯貰い、双魚は一人で弟を探しに出た。隣家の老夫が付き添いを申し出たが、足下が悪いから、と断った。
 弟の秤が遊びに行った〈丸燭〉さんの家は、第六街区の端にある。自宅からは近いが、弟は帰っていなかった。
 怪我をして、どこかの救護所で保護されているのかもしれない。双魚が第三街区の救護所に連れて行かれたのは、鍋職人が区長の友人だから、その伝手だろう。

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第01章.王都コイロス
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