■薄紅の花 01.王都コイロス-07.職人の娘 (2015年05月09日UP)

 救出作業は、まだ続いていた。救出現場と搬出現場は、遠目にもよくわかった。
 瓦礫から家財を運ぶ人が、家人なのか、火事場泥棒なのか、見分けがつかない。
 怪我人を戸板に乗せた兵士が、広場へ急ぐ。
 誰もが同じ、虚ろな目で彷徨う。
 親戚や友人知人を探す人。家を失い、家財を掻き集め、どこかへ避難する人。着の身着のまま、何も持たず、どこかへ行く人。
 道行く誰もが、呆然としている。
 生きた表情は、搬出された者に縋りつく嘆き、悲しみ、突然の禍への怒り、憤り、再会の安堵、救出現場の一瞬の喜び、感謝。
 誰ひとりとして、双魚を気に掛ける者はおらず、双魚も誰にも関わらず、一人で家を目指した。

 どこをどう通ったのか、昼をかなり過ぎたころ、家の焼け跡に辿り着いた。
 隣人の姿はなく、焼け残った菜の花が、風にそよいでいる。
 共同井戸から水を起ち上げ、直接飲んだ。喉を潤して始めて、丸一日以上、呑まず食わずだったことに気付いた。
 空腹感はなかったが、思い出したので取敢えず、菜の花を一本手折り、口に入れる。焼け残りの菜の花は、ほろ苦かった。
 市壁の影が伸びて日が翳り、風が冷えた。風は、焦げた匂いを運び、通り過ぎる。
 双魚一人を置いて、家族はどこへ行ってしまったのか。
 ここで帰りを待つべきか、探しに行くべきか。探すならば、どこへ行けばいいのか。
 双魚は途方に暮れ、立ちつくした。
 近所は軒並み、薙ぎ払われたような更地になっていた。家人も火事場泥棒も居ない。
 人っ子一人居ない街に、ひたひたと夕闇が忍び寄る。
 毛布の一枚でも残っていないかと、焼け跡の瓦礫に手を掛けた。
 「あ、やっぱり帰ってたの。体、ちゃんとしてもらえた? おなか空いてない? 何か食べた?」
 不意に声を掛けられ、双魚はのろのろと振り向いた。向かいの家の長女だ。鍋や釜を作る家の娘で、もうすぐ職人の一人と結婚して家を継ぐと言っていた。
 鍋職人一家も職人もおらず、長女一人が住居兼工房の跡に佇んでいる。
 双魚が黙っていると、長女は近付いてきた。
 「大丈夫?」
 何を以って大丈夫と言うのかわからず、双魚は聞いた。
 「みんなは?」
 長女は焼け跡に目を遣り、下唇を噛んだ。
 双魚は焼け跡に向き直った。煙はなく、すっかり冷えている。隣に立った長女は、双魚の肩に手を置き、前を向いたまま問うた。
 「昨日のこと……覚えてない?」
 双魚には答えられなかった。長女は返事がないことを返事と取り、一呼吸置いて、昨日の出来事を語った。
 大釜一家は、倒壊家屋の下敷きになった。崩れた直後に出火し、救助できなかった。遊びに行った次男の安否は不明。双魚だけが戻ってきた。
 双魚の手の火傷は、まだ熱い瓦礫を素手で掘り起こそうとしたせいだった。
 職人の長女が双魚を臨時の救護所に連れて行った。その間に、隣家の老夫婦が、術で瓦礫を浮かせて、一家の遺体を運び出し、改めて火葬した。
 大釜一家の【涙】は、隣家の老夫が預かっている。
 その声は震え、途切れがちだったが、必要なことは伝わった。
 「ちびちゃん、もしかしたら、炊き出し貰いに行ってるのかもね。双魚くんもおなか空いたでしょ? さ、行こ」
 双魚より十程年嵩の長女は、袖で涙を拭うと、返事を待たずに呪文を唱えた。

 【跳躍】した先は、知らない家の前だった。立派な構えの玄関だ。この家は、倒壊を免れ、ひびひとつない。
 「連れて来たよ。……あ、ここ、第三街区の区長さんの家。うちの父さんと仲良しなの」
 長女は遠慮なく中に入り、廊下で待っていた隣人夫婦に声を掛け、双魚に現在地を教えた。
 「明日、明るくなったら、秤ちゃんを探しに行こうな」
 隣家の老夫は、それだけ言って声を詰まらせ、老婦は、可哀想に可哀想にと繰り返し、双魚を抱きしめた。当の双魚は、そんな二人を他人事のように眺め、ぼんやり突っ立っている。
 二人が落ち着くのを待って、鍋職人の長女が部屋へ促した。
 案内された部屋は、毛布や外套に包まり蹲る人でいっぱいだった。双魚は入口で、この家の使用人らしき女性にパンを手渡された。
 「じゃあ、私は別の部屋だから……〈白糸〉さん、お願いします」
 「あぁ、任せとけ、任せとけ」
 職人の娘が去り、隣家の老夫が引き受けた。

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第01章.王都コイロス
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