■薄紅の花 01.王都コイロス-18.門の詰所 (2015年05月09日UP)
「兵隊さんと居た」
「兵隊さん?」
「あっち」
弟の秤が指差す。門の脇にある詰所だった。今も兵士達が、慌ただしく出入りしている。
日中の治安維持と、夜間の魔獣対策。瓦礫の撤去、遺体の収容、物資の配給、輸送。軍の仕事は多岐に亘るが、兵士自身も被災し、人手が足りない。
「僕、兵隊さんの怪我を治す係なんだよ」
無邪気に胸を張る。双魚は言葉に詰まった。家族と帰る家を同時に失ったと、いつ、どう伝えるべきか。秤はそんな兄の様子に気付かず、手を引いて詰所へ向かった。
「〈丸燭〉さんがね、第七街区は危なくて、みんな旧市街に避難したから、兵隊さんに連れてってもらいなさいって」
「〈丸燭〉さんは?」
「遠くの親戚んちに引越すんだって。時雨ちゃん、もう会えないって……」
「そっか、残念だな」
近所の家も軒並み崩れ、双魚はあの日以来、まだ一人も友達の姿を見ていない。しょげた弟を見て、ようやく友達を思い出したことに、自分はこんなに薄情だったのか、と愕然とした。
「僕、迷子と一緒だから、おうちの人が迎えに来るまで、ここに居ていいって、兵隊さんが連れて来てくれたの」
「……そうなんだ」
小さな子供が、詰所に立ち入るのを誰も咎めなかった。
奥から、子供の歌声が聞こえる。いや、呪文の詠唱だ。
童歌に似た独特の調子で詠じる、初歩的な癒しの術だ。
行使の身体的条件が「未婚」で、主な使い手は子供だ。
秤が扉を開ける。
部屋の中央で、秤と同じ年頃の女の子が、呪文を唱えていた。兵士や近隣住民と思しき怪我人が、その周りで車座になっている。狭い部屋は、人でいっぱいだった。
物置なのか、窓は小さく、四方の壁には頑丈な棚が並んでいる。空っぽの棚には、毛布に包まった子供が、何人も寝ていた。
軍は、孤児や迷子をここで一時保護し、臨時の呪医として使っているらしい。
幼い子供に使える術は、せいぜい、割れた爪を修復できる程度だ。ちょっとした擦り傷や切り傷、打ち身を癒すだけでも、何もしないよりマシだった。
詠唱が終わり、兵が立ち上がった。
「ありがとよ、嬢ちゃん。よく効いた。もう遅いから外には出るなよ」
そう言い置いて、自分は出て行く。怪我をしていた住民も腰を浮かせたが、互いに顔を見合わせ、再び腰を下ろした。
既に第四街区も、戦う力のない者が夜間に出歩くのは、危険だった。
「兄ちゃん、みんなは? いつ迎えに来るの? 明日?」
兄の顔を見て、安心しきった秤が聞く。双魚は、ついにこの時が来たかと観念し、首から皮袋を外した。それを弟の首に掛けてやる。
何も知らない秤は、細い首を傾げ、無邪気に尋ねる。
「兄ちゃん、これ、なに?」
双魚は答えようとしたが、喉が絞め付けられたように息が詰まり、言葉が出なかった。幽かに息が漏れ、唇が震える。
弟は紐を緩め、皮袋の口を開けた。中には、淡い真珠色の光を放つ小さな何かが、幾つも入っている。
「これ、なに?」
【魔道士の涙】を初めて目にした秤は、もう一度、聞いた。答えの代わりに兄の目から大粒の涙がこぼれた。
涙は堰を切ったように後から後から溢れるが、兄は何も言わない。
嗚咽すら漏らさない。強張った顔に表情はなく、涙だけを流した。
秤は、兄がこんなに泣くのを見たことがなかった。兄は兄弟妹(きょうだい)の誰よりも強く、賢く、弟妹の前で涙を見せることなどない。絶対に強い存在の筈だった。その兄が声も出せずに泣いている。
どうしていいかわからず、秤は、ただ、兄の涙を見守るしかない。
近くに座っていた老婆が立ち上がり、双魚の頭を撫で、前掛けで涙を拭った。
「よしよし、可哀想にねぇ、おうちの人、亡くなったのかい」
双魚は、老婆の言葉にこくりと頷いた。
「ウソだ! そんなのデタラメだ!」
兄は終に嗚咽を漏らし、弟の胸で揺れる小さな皮袋を指差した。事情を察した老婆が、何度も頷きながら、兄弟を抱き寄せる。兄は、知らない老婆にしがみつき、声を上げて泣きだした。
「そうかい、そうかい。可哀想にねぇ。ここに【涙】が入ってるのかい。後でちゃんとお弔いしてあげようね」
弟が何度もそれを否定する。老婆は、可哀想にねぇ、としか言わず、兄は泣くばかり。とうとう弟も泣きだし、老婆も貰い泣きの涙を零した。
泣き疲れ、その夜は何も食べずに、老婆と三人で身を寄せ合い、毛布に包まって眠った。