■薄紅の花 01.王都コイロス-05.おほなゐ (2015年05月09日UP)
次の瞬間、石畳の上を転がされる。あちこちで悲鳴が上がった。
訳がわからないまま、揺れに翻弄される。立ち上がることさえできない。
剥がれた石畳がぶつかり、同様に倒れた通行人にぶつかり、崩れた何かにぶつかった。辛うじて思いつき、腕で頭を庇う。
永遠に見えない掌の上で転がされるのかと思ったが、揺れは収まり、辺りは静寂に包まれた。
何が起こったのか、わからない。
恐る恐る目を開け、立ち上がる。
ただ、街の景色が一変してしまったことだけが、わかった。
捲れ上がった石畳が折り重なって割れ、その上に横倒しになった荷馬車や、怪我人が点々と倒れ、蹲っている。
大きな建物は無事だが、小さな民家や庭は、何かに踏み潰されたとしか思えない。大通りに瓦礫の山が築かれていた。
崩れた民家から、生き埋めになった人の呻きや、助けを求める声が聞こえる。
起き上り、我に返った通行人が、声のする方へ駆け寄った。
大人たちは、双魚の知らない呪文を矢継ぎ早に唱え、瓦礫を浮かせた。数人掛かりで、家の残骸を持ち上げ、怪我人を引っ張り出す。
荷馬車の持ち主の指示で、馬と荷車を起こした。積み荷が落ちた荷台に、怪我人を横たえる。
双魚は、自分の状態を確めた。
服はあちこち破れ、すり傷だらけだが、骨は折れていない。
焦げ臭さに気付き、周囲を見回す。
崩れた建物から、火の手が挙がっていた。それも、ひとつやふたつではない。街の空に煙の柱が無数に刺さっていた。
瓦礫から搬出された人に、家族らしき女性がすがりついて泣いている。
「……かっ……母さんッ!」
双魚は、弾かれたように走りだした。
足がもつれ、壊れた石畳や、散乱する瓦礫に躓き、何度も転ぶ。
誰ひとり、双魚に構う者はなかった。
さっき通った露地は、瓦礫に埋もれていた。
大人達が、術で井戸水を起ち上げ、消火活動している脇を通り抜ける。何度も瓦礫に阻まれ、迂回し、家に近付いては、遠ざけられる。
水浸しになった瓦礫の一角を曲がり、ようやく、家のあった区画に辿り着いた。
瓦礫の山が炎を吹き上げ、黒煙が立ち上っていた。家族の姿は見えず、隣家の夫婦が井戸から水を起ち上げ、消火にあたってくれている。
魔力を帯びた水が、渦を巻き、蛇のように身をくねらせ、炎に喰らいつく。白煙と水蒸気が混じり、火勢を削ぐ。
炎に炙られ、アーモンドの木は焼け焦げていた。
双魚も水を操る呪文を唱える。普段は、洗い物や掃除に使う術だ。声が震え、何度も詰まり、なかなか術が発動しない。
何とか、井戸から水を汲み上げ、炎の赤い舌に叩きつける。白煙は上がったが、火勢は衰えなかった。
「火元だ、火元」
「火の根元、下の方、瓦礫の隙間を通して、火の根っこをお水で切るの」
老夫のぶっきらぼうな指示を、老妻が丁寧に補足する。
双魚はもう一度、呪文を唱えた。
「優しき水よ、我が声に我が意に依り、起ち上がれ。
漂う力、流す者、分かつ者、清めの力、炎の敵よ。
起ち上がり、我が意に依りて、炎呑み火焔打消せ」
今度は水を地面に這わせ、火元と思しき所に流し込んだ。
何も考えられない。
考えたくない。
ただ、無心で水を操り続けた。