■薄紅の花 01.王都コイロス-16.おばさん (2015年05月09日UP)

 「怖かったね。でも、ここに居れば大丈夫だから、安心おし」
 おばさんは、半ば自分に言い聞かせるように言い、双魚を抱きしめる。双魚はおばさんの肩に頬を寄せ、微かに頷いた。そのやわらかい肩も小さく震えている。
 少し離れた場所で、年配の男性が落ち着いた声で言った。
 「ここは建物が丈夫だし、人も大勢居る。【補強】も【結界】も申し分ない。狭いのさえ我慢できれば、大丈夫だ」
 安堵の息が漏れ、辺りの空気が緩む。
 「坊や一人? お父さんとお母さんは?」
 おばさんに問われ、双魚は首から下げた紐を引き上げ、小さな皮袋を示した。おばさんは、目に涙を貯めて双魚を抱きしめた。
 窓の外では日が沈み、魔物が勢いづく闇の時間を迎えている。廊下は誰かが点した【灯】でぼんやり照らされていた。打ちひしがれた心には、【灯】が投げ掛ける月光の輝きでさえ、心強かった。
 「ご飯は? 何か食べた?」
 双魚は首を小さく横に振った。おばさんは、背中と壁の間に挟んでいた袋を引っ張り出し、干し無花果をひとつ、双魚の手に握らせてくれた。別の袋から、小瓶と木製のカップを取り出し、水を注ぐ。
 「無花果、持ってるよ」
 「おや、配給、一人で並んだのかい? 偉いね。ご褒美にその無花果あげるよ」
 双魚は少し考え、素直に礼を述べると、貰った無花果を頬張った。おばさんは水を飲み干すと、もう一杯注ぎ、双魚にも飲むように勧めた。
 朝から水を飲んでいなかった双魚は、有難く受け取り、一息に飲み干した。
 「たんとあるから、ゆっくりお飲み」
 瓶には【無尽】の術が掛けてあるらしい。おばさんの言う通り、既に水は瓶の外見より、多く出ている。
 双魚は遠慮なく二杯目を受け取り、潤いがよく行き渡るよう、しばらく口に含んでから、少しずつ飲み下した。
 飲み終えてカップを返し、自分の腰に着けた袋を探る。掌大の堅パンをふたつに割り、一方をおばさんに差し出した。
 「え? くれるのかい? 坊やお食べよ」
 「……半分こ」
 「そうかい、ありがとね。坊や、優しいいい子だねぇ」
 おばさんは少し困ったような笑顔で、堅パンのかけらを受け取り、口に入れた。双魚は、おばさんが食べるのを見届けて、自分も堅パンを口に入れた。少し湿気た堅パンが溶け崩れ、口の中に塩気が広がった。
 周囲の大人達は他人らしく、それぞれ自分のことに没頭している。
 昨夜同様、ここでも長く尾を引く遠吠えが、幽かに聞こえた。
 弟の秤は、どこでどうして、夜を迎えているのか。
 双魚は、知らないおばさんの腕に守られ、眠った。

 災害から五日目の朝。
 おばさんに水を飲ませてもらい、手洗いに立つ際、そのまま別れた。役所の中は避難民でごった返し、一度離れてしまえば、最下位は難しい。
 「弟を探しに行くから」
 「そう。気を付けるんだよ。早く見つかるといいね」
 「うん。色々ありがとうございました。さようなら」
 「元気でね」
 何故、見ず知らずのおばさんが、こんなに親切にしてくれたのか、わからない。二人はそのまま人混みに紛れ、互いの姿を見失った。

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第01章.王都コイロス
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