■薄紅の花 02.森の家-17.田舎の村 (2015年06月28日UP)
双魚にとって、初めて目にする農村は、あまりにも小さく、頼りなかった。
王都と街、森の中の一軒家しか知らない。
街のように堅固な城壁はなく、腰の高さの石垣に囲まれている。よく見ると、石には守りの印が刻まれ、一応、魔物の侵入を防いでいる。石垣の影に雑妖が蹲っているが、村に入ろうとはしなかった。
家々も小さく、多くが土壁の平屋だ。野良仕事へ出る人々が、農具を手に通りに出る。
双魚は思い切って村に足を踏み入れた。
「おはようございます」
「あぁ、おはようさん。見ない顔だな。どっから来なすった」
籠を背負った男に声を掛けると、立ち止まって応えてくれた。
「ラキュス湖の近くの街から来ました。東の方へ旅してるんです」
「へぇ……何しに行くんだね」
問われて初めて気が付いた。
あれっ……? 何しに行くんだっけ……
ただ東へ行くことしか考えていなかった。災厄に追われ、逃れて来ただけで、これまでは、自分の意志ではなかった。
でも、これからは違う。
口を閉ざした双魚を農夫が訝る。
「何だ。何か、言えない訳でもあるのか」
「いえ、色々理由があって、どう言えばわかり易いかと思って……一番の目的は、俺の先祖の出身地がどんなところか見てみたくって……」
「ほう、東のどの辺だい? ベルーハかい?」
「いえ、クラード海に面したアルンディナ王国だそうです」
「クラード……?アルンディナ……? 聞いたことねぇな」
「チヌカルクル・ノチウ大陸の、東の果てなんだそうです」
「へぇ……そりゃまた……」
農夫は途轍もない話に首を振った。双魚の話は嘘ではない。
ラキュス湖に辿り着いた先祖は長命人種で、その玄孫である双魚の祖父の祖父も長命人種だった。
移住者から玄孫へ、玄孫から祖父へ、祖父から双魚へ。代々、魔法生物の製法と共に伝えられた話だ。
「あのー、それで、旅を続けるのに日持ちのする食べ物を少し分けていただけませんか? 交換できるのは、塩と薬草なんですけど……」
「おっ、塩か。そいつぁありがてぇ。ウチの婆さんに言ってくれ」
双魚の申し出を快く受け、農夫は自宅に引き返した。
老婆と、農夫の妻らしき女性が、朝食の後片付けをしている。農夫は手短に説明し、野良仕事に出て行った。
片付けが終わるのを待ち、双魚は背負い袋を開けた。
背負い袋は、狩人宅の老婆がくれた物だ。無尽袋ではないが、背負いやすく、ありがたかった。他にも旅に必要だろう、と薄手の毛布一枚と、小刀一振り、堅焼きパン七個も入れてくれていた。
双魚が元々持っていた物は、塩一袋と、チーズ一塊、乾物の野菜だ。他に、森で採って術で水を抜き、乾燥させた薬草三束がある。
「塩は俺も要るんで、半分くらいまで。薬草は、これが咳止め、この花は気を鎮めてよく眠れるようにするお茶、こっちは胃の調子を良くするもので、料理にも使えます」
「ふぅん……そうだねぇ……ちょいと、皆を呼んで来とくれ」
「はい、お義母さん」
老婆は少し考え、息子の嫁に人を呼びに行かせた。
自分も席を立ち、枡と木の椀五つを手に戻る。塩の袋に枡を突っ込み、木の椀に移した。
ここも、枡は湖南地方と同じ基準なのか、それで塩袋の中身は丁度、半分程度になった。双魚は塩袋の口を閉め、背負い袋に仕舞った。
「ウチは塩だけでいいよ。干し肉と無尽の瓶、どっちがいい?」
「無尽の瓶、お願いできますか?」
商談が成立し、老婆は瓶を取りに奥の部屋へ引っ込んだ。
無尽の瓶は、瓶に【収納】の術を掛けた物だ。容器の十倍の液体を容れることができる。【無尽袋】と違って、何度でも出し入れできる。
この先、水場があるとは限らない。旅には不可欠の品だった。
老婆から瓶を受け取った直後、嫁が戻って来た。五人の女性がぞろぞろ入って来る。
「おはようさん。嫁から聞いたと思うけど、どうだね」
様々な年齢層の女性達は、挨拶を返し、食卓に並んだ品を見た。双魚が薬草の説明を繰り返すと、彼女らは仲間内で相談を始めた。
話がまとまり、口々に交換できる物を提示する。
ラキュス湖は、世界最大の塩湖だ。周辺部では塩の値は低かったが、内陸部では貴重品らしい。交換品は双魚の予想より多かった。
無尽袋ひとつと、多数の食糧を受け取り、双魚は村を出発する。
村の井戸で、無尽の瓶で一杯分、水を分けてもらった。
東隣の村まで、徒歩なら三日程度だと言う。
双魚は、麦畑を通る石畳の街道をひたすら東へ歩いた。