■薄紅の花 02.森の家-02.夏秋冬春 (2015年06月24日UP)

 森の中、そこだけ切り拓かれた小さな畑。
 麦藁を編んだ帽子を被り、養母に教えられた通り、草を取る。一通り毟り終え、双魚は立ち上がって、額の汗を袖で拭った。
 青空に入道雲が湧き、木立の間では、鳥達が鳴き交わす。
 先月漸く、昼間なら一人で畑に出られるようになった。柵の中は結界に守られている。
 外の木立の暗がりは、森の雑妖が昼夜を問わず漂っていた。形も定かでない雑多な妖魔が、柵の中を覗いては、暗がりに戻って行く。
 栗鼠や兎、鹿、狐や狼といった森の獣も、柵の周囲に現れた。
 街で生まれ育った双魚に養父母が教える。
 森の恩恵と脅威、暮らし方、身の守り方。
 養い子は、虚ろな目で小さく頷くだけだったが、次第に慣れ、養父母の手伝いをするようになった。
 家庭の事情や、王都で何が起こったのかなど、双魚が思い出したくないことは、何も問われない。初老の夫婦は、友から託された子を、ただ受け容れていた。
 夕暮れ時になると、訳もなく不安にかられ、声もなく養父母にしがみついた。
 夫婦どちらかが家事の手を止め、養い子を抱きしめ、あやす。甘やかすでもなく、突放すでもなく、ただその不安を受け止める。

 森の時は穏やかに過ぎ、木々が装いを変える頃には、大分落ち着きを取り戻した。
 柵の外へは出られないものの、粗相はなくなり、訳もなく涙することも少なくなった。話し掛けられれば、一言二言、声に出して応えるようになり、手伝いの手も増えた。
 今は、養父が森で拾ってきた木の実の殻を割っている。
 壁際の調理場で【炉】の炎が赤々と燃え、部屋を暖めていた。茹で栗の殻を剥きながら、双魚は庭のアーモンドを思い出していた。
 春になると毎年、近所の人や友達と一緒に、庭でおやつを食べながら、薄紅色の花を見上げた。
 菓子に入れたアーモンドは香ばしく、皆に喜ばれた。菓子を焼いた母だけでなく、双魚達兄弟も誇らしかった。兄弟は、水遣りや毛虫取りなど、毎日、樹の世話をしていた。
 アーモンドの樹は、物言わぬ家族だった。
 家族を焼いた炎は、庭のアーモンドさえ焼き焦がし、双魚から奪った。
 遊びに行って難を逃れ、やっとの思いで再会できた弟も、恐らく、地蟲の巨大な口に呑まれただろう。
 家族や故郷での日々を思い出しても、涙が出なくなっていた。
 泣き尽したのか。
 すり減ったのか。
 心が、動かない。
 双魚は、自分の薄情さに驚くことすら、なくなっていた。
 養父母に言われるまま、何某かの作業を手伝い、問われれば応える。自分の為に、自ら何かをする気力が湧かなかった。
 初めて見る森の鳥や獣、美しい花々、色付く木々は、ただ目に映るだけで、双魚の心には届かなかった。

 心を失ったまま時が過ぎ、冬をどう越したのかさえ、定かでないまま、春を迎えた。
 背が伸び、窮屈になった服を養母が仕立て直してくれた。
 分厚い雪が消えた畑では、今年の作物が芽を出し、森の木々は萌え、若葉が穏やかな日を返し、輝いている。
 柵の外では、色とりどりの花が咲き乱れていた。蝶や蜂が訪れ、蜜を集めている。冬の間、息を潜めていた鳥達が、春の訪れを歌い、梢の間を飛び交う。独り立ちした若い獣が、畑を覗いては、去って行く。
 「街に行く用ができたんだが、一緒に行くか?」
 養父に問われ、双魚は頷いた。
 明確に街に行く意思があった訳ではない。断る理由を思いつかなかったから、否定しなかったに過ぎなかった。
 養父は顔を綻ばせ、双魚の頭を撫でた。
 養母に見送られ、養父が【跳躍】する。
 「鵬程を越え 此地から彼地へ駆ける 大逵を手繰り 折り重ね 一足に跳ぶ この身を其処に」
 瞬く間もなく、風景が一変した。
 森に来て初めて、柵の外に出た。

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第02章.森の家
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