■薄紅の花 02.森の家-08.医者崩れ (2015年06月24日UP)

 翌月、養父が時期外れの風邪を引き、寝込んでしまった。
 ひとまず自作の薬で、熱が下がるのを待つ。養父母の薬は良く効くが、治るまで時間が掛かる。
 「納期だからな。すまんが今日は一人で行ってくれんか」
 養父に乾いた唇で言われ、双魚は頷いた。
 初めて一人で街へ行く。そのことは特に不安はない。
 年老いた養父を置いて行くことが、気掛かりだった。
 老いた養父の体力は、薬が効くまで、持つだろうか。
 街で医者に診てもらえれば、術ですぐに治してもらえる筈だ。移動に耐えられない程、衰弱してしまったのか。
 養い子の不安を察し、養父は笑って言った。
 「儂らは医者崩れだからな。大丈夫だ。自分のことはちゃんと診てわかっとる。さっき薬も飲んだ。なぁに、明日の朝にはピンピンしとるわい」
 「それより、双魚が一人で納品できるか、心配ねぇ」
 そう言う養母の目は、笑っていた。
 「もう子供じゃないし、大丈夫だよ……多分。それより、医者崩れって?」
 養父母は寸の間、見詰め合い、養母が困ったような顔で話した。
 「私達は若い頃、いつも行ってる街よりずっと西の街で、お医者さんをしていたのよ」

 生命に関する術は、大部分が未婚でなければ使えない。
 術理解析を行う【舞い降りる白鳥】の学者達は、もっともらしい仮説を立てているが、真相は不明だ。治療の術は、死すべき生命をこの世に繋ぎ留める。重ねて、新たな生命を創る行為を行えば、世界の霊的な均衡を崩してしまう。それ故、男女問わず、純潔でなければ術を発動できないのだろう、と言うのが、大方の見解だ。
 どんなに魔力が強くとも、一度「資格」を失えば、治療の術は殆ど使えなくなってしまう。
 結婚を機に、薬師に転職する者が多い。
 女性は、子を産んだ後、お産に関する術が使えるようになる為、男性医師程には、周囲から結婚を咎められることは少ない。
 男女問わず、【飛翔する梟】など医師の結婚は、余り祝福されず、時には医術の資格を失わせない為に、恋人や婚約者が殺害されることさえあった。
 人間とは身勝手なもので、医師は必要だが、自分は孫の顔を見たがる者が多く、我が子が医術を修得することをも、良しとしない。
 自然、身寄りのない子や、継がせる財産を持たない家の子や、子を残せば面倒なことになる妾腹の子が、医術を教え込まれることになる。
 医師の結婚が喜ばれないのは、そう言う側面もあった。
 古い時代には、身寄りのない子は術で成長を止められ、生涯、子供のまま、医師として過ごす場合が多かった。現在は人道上、成長を止めることは、大半の国で禁じられている。
 その為、医師につく「悪い虫」の排除と言う、新たな悲劇が生じた。
 元より成り手が少なく、医師の数が足りない。人々にとって、死活問題であるからだ。
 六車星と撫子は、どちらも末っ子だった。子だくさんで養い切れず、物心つく前に医者に弟子入りさせられた。
 「撫子、お前より小さい子が来たから、面倒見てやりなさい」
 四歳の六車星が来た日、師に言われた。
 それまで最年少だった撫子には、どうすればいいかわからなかったが、六車星が寂しくないよう、傍を離れないようにした。
 同じ師の許で【飛翔する梟】の術を修め、共に助け合い、仲良く育った。
 弟子入りしている間に、六車星の村は魔物に襲われ、撫子の村は疫病に見舞われ、家族は一人も残らなかった。
 長じて独り立ちし、それぞれ、故郷の村に戻った。
 最初は、師の許に居る時と同じ気持ちだった。術について教え合う為、定期的によく知る場所へ【跳躍】し、会っていた。
 いつしか、離れ難くなっていることに気付いた。
 術の勉強会は、互いに離れない為の口実だった。
 村人がこの気持ちに気付けば、殺しに来るかもしれない。

 「……それで、私達は駆け落ちして、この森に住んでるの。二人とも身寄りがなくて、探しに来る人も居ないんだけどね」
 「子宝には恵まれなんだが、有難いことに、こんないい子が息子になってくれた」
 寝床の中で、六車星が弱々しく笑う。
 「うちの子になってくれて、ありがとうな。儂らは、双魚を無理に医者にする気はないから、医術はあまり教えなんだ」
 「自分が一番したいことを、お仕事にできれば、それが一番だからね」

 養母に送り出され、双魚は初めて、一人で街へ行った。
 双魚は胸の奥に石を抱えたまま、淡々と用をこなした。
 苗屋に顔を出さず、いつもと違う通りの食堂に行った。
 知り合いには会いたくない気分だった。西門近くの食堂で、客の顔ぶれも全く違う。
 料理を待つ間、ぼんやりしていると、祖国の名が耳に飛び込んできた。久し振りに聞く名に、胸の石が重くなる。
 行商人らしき男達が、四人掛けの席で喋っていた。
 「最近、またセリアの難民が増えてきてな。西側は色々と大変らしいぞ」
 「へぇ、何で? また、何かあったのか?」
 「この前、王子様が亡くなったろ?」
 「あぁ、何か、地震で遺跡から出て来た化け物と相討ちになったとか」
 王子の死因が聞こえ、双魚はカウンター席で、耳をそばだてた。行商人は、その件についてそれ以上語らず、物資の不足や昨年の小麦の不足について、ひとしきり嘆いた。
 「身寄りを失くした子や、親が養い切れなくなった子が、医者に弟子入りさせられてるらしいな」
 「あぁ、それで王様は、難民を受け入れていなさるのか。ちゃんと考えがあってのことだったんだな。俺はてっきり、人情に流されてんだとばっかり……」
 「ちゃんと考えがあるなら、物資の不足も早いとこ、どうにかして欲しいよな」
 店が混み始め、四人はそそくさと食事を掻きこんで、出て行った。
 双魚の前に料理が置かれた。
 最近になってまた、祖国から難民が流出しているのは、どういうことなのか。想像すると、喉が詰まりそうになった。
 数年前に王子が亡くなったことで、完全に併合された。併合後の旧セリア・コイロス領の住民は、どんな扱いを受けているのか。
 双魚は、生き残っていた近所の人達の無事を祈って、食事を終えた。

 納品は昼食前に終えていた。午後は店を回り、薬や素材と引き換えに貰った物を、森での暮らしに必要な物と換える。
 素材などは、それを加工できる人や店でなければ、価値がない。その為、一般的で交換しやすい物に換えてから、日用品に換える。
 養父母に頼まれていた物を【無尽袋】に収め、忘れ物がないか、指折り数える。
 忘れ物はなかったが、行商人の噂通り、色々な物の換え値が上がっていた。
 いつもなら、小麦が一袋欲しければ、塩ならその十分の一の重量、魔力を蓄えた水晶なら、ラキュス地方共通の規格で一番小さい物三個と交換だ。
 今日は、塩なら八分の一、水晶なら四つと言われた。
 先に食堂で噂を拾っていなければ、双魚一人で来たせいで、足許を見られたのかと思う所だった。
 いつもより少ないが、節約するか、森で採る量を増やせば凌げるだろう。ない物は仕方がない。
 街を出て、いつもの丘に登る。
 遠目に見下ろした街は、いつもと変わらないように見えた。初夏の風が麦畑を撫でる。
 思ったより早く用が片付き、日はまだ高い。小さな溜め息をつき、【跳躍】を唱えた。

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第02章.森の家
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