■薄紅の花 02.森の家-05.祖国は今 (2015年06月24日UP)
また時が過ぎた年の瀬、三人で街へ行った。
なめした獣の皮を保存食と交換し、いつもの食堂に入る。
双魚は豆のスープを食べながら、噂話に耳を傾けた。
どうやら、祖国は数年前、南の隣国に併合されたらしい。
「一応、形だけセリア・コイロスの王子とボスリオキルスの王女が結婚してただろ」
「あぁ、そう言えばそうだったかな?」
気のない返事をする相棒に、事情通らしき男が語る。
「あの王子さんよ、この間、子がないまんま、亡くなったんだとよ。とうとう、セリアもホントに亡(ほろ)びちまったな」
「そうか。まぁ、俺らには関係ないけどな」
それきり別の話題に移る。
三人いた王子の内、誰が生き残って結婚していたのか。知った所で、その王子はもう亡くなっている。
双魚は、祖国が亡くなった事よりも、あの王子が亡くなった事に胸が痛んだ。一度会ったきりで、もう顔も思い出せない。
「人間が人間の敵になるようでは、おしまいだな……」
王子のその言葉だけが、鮮明に焼き付いている。
家族の顔も、はっきり思い出せなくなっていた。
今の双魚にとって、目の前に居る養父母が、家族になりつつあった。
まだ、一度も「父さん」「母さん」とは呼んでいない。
養父母も、無理に双魚の真名(まな)を聞きだそうとはしない。
あの日、柄杓星が突然、連れて来た孤児を嫌な顔ひとつせず、育ててくれた。
養父母には感謝しているし、信頼もしている。だからこそなのか、遠慮が働き、自分から甘えることができなかった。ぬくぬくと養われている事こそが、甘えに感じられ、どうしても他人行儀になってしまう。
それにもう、親に甘えている歳でもない。
その年の冬は、雪が多かった。
三人は交替で、屋根の雪下ろしをし、畑の中に道を通した。術を行使する僅かな時間とは言え、外の風は身を切る程冷たく、吐く息は白く凍った。
アーモンドの枝は、若くしなやかで、降り積もった雪を自ら振り落としていた。
天気の良い日には、養父と双魚で森へ狩りに出掛けた。
雪上に残る兎の足跡を追いながら、養父がぽつりと言った。
「なぁ、坊や。儂らはもう親子だな? そろそろ、坊やの父さんとして、名乗ってもいいかね?」
「……そんな、他人行儀な聞き方するようでは、まだまだですよ」
「そうか。……そうだな」
それきり、ふっつりと黙り、何も言葉を交わさず、点々と残る足跡を追う。二人の吐く息が白い塊となって空へ昇る。葉を落とした枝が交叉する空は、雲ひとつなく、澄み切っていた。
その夜は、久し振りに兎のシチューを囲んだ。
【炉】の火が赤々と燃え、体が芯から温まる。
森の野草と兎、畑の野菜を煮込んだシチューは、双魚がここに来て、一番気に入った料理だった。
喜んで頬張る双魚を、養母が目を細めて見守る。
あの春の日に、風で鳴る窓にも怯えた小さな子供はもういない。
双魚は養父の背丈を越え、すっかり逞しい若者に成長していた。
植えて六年目の春、初めての花が咲いた。
まだ細い枝先に、小さな灯を点したように、ひとつ、ふたつ、みっつと薄紅の花が咲く。
失った樹が戻って来た訳ではない。それでも、再びこの花を見ることができた。故郷から遠く離れたこの森の奥で、薄紅の花と再会を果たし、懐かしさに胸が詰まった。
その日、双魚は若木の傍に立ち尽くした。
養父母は、そんな双魚をそっと見守り、翌日、街で手に入れたアーモンドで焼き菓子を拵えた。
三人でアーモンドの若木を囲み、お茶を飲みながら、菓子を食べた。
形も作り方も何もかもが、母の菓子とは違う。アーモンドの香ばしさは同じで、噛み締める度に、双魚は養父母の心遣いが胸に染みた。
「きれいねぇ……」
「うん。これから、どんどん木が大きくなって、そしたら、ここに花の雲が降りて来たみたいになるよ」
「ほう。そうかそうか。そりゃ楽しみだ」
「長生きしなくっちゃねぇ」
幼子に戻り、無邪気に喜ぶ養い子に、老夫婦は顔を綻ばせた。頬や目尻に深い皺が刻まれる。
双魚は、二人の時間が残り僅かであることに気付き、空を仰いだ。アーモンドの枝が、晴れ渡った空に薄紅の花を捧げている。
三人で一緒に見られるのは、あと何回くらいだろう……
双魚は養父母の齢を知らず、養父母もまた、養い子の歳を知らなかった。
まだ、何となく遠慮があり、互いに真名を名乗っていない。
双魚は、ひとつゆっくりと息を吸い、細く長く吐き出した。
胸の奥にまで、花の甘い香りが満ちた。
養父母に向き直り、口を開く。
「父さん、母さん、俺、今年で十七になりました。育ててくれて、ありがとうございます。……俺、近所の人には、生まれ日の星で『双魚(ドゥヴェ・ルィバ)』って呼ばれてました」
考えた末、呼び名で名乗った。
二人の目が大きく見開かれる。
唇は震えるが、言葉が出ない。
養母が双魚を抱きしめ、皺くちゃの手で背中を撫でる。頬ずりされた肩が濡れる。双魚はいつの間にか、随分小さくなった養母を抱き返し、養父を見た。
養父は、お茶を一息に飲み干してむせ、目尻を拭った。
「もう知ってるだろうが、儂は『六車星(プレイヤードゥイ)』。家紋が六車星だ。歳は今年で五十七。……双魚とは四十違い。カミさんより三つ若い」
「もう……あんたったら……私は『撫子(グヴァズヂーカ)』。この花の時期に生まれたから、そう呼ばれてるのよ。歳はまぁ、お父さんが言った通り、姉さん女房よ。ね、もう一度、母さんって呼んでくれる?」
養母は抱きしめていた手を放し、双魚の目を見詰めた。
改めてそう言われると、照れくさく、双魚は思わず目を逸らした。
養父が右手を差し出す。
双魚はその手を握った。
養父は何も言わず、強く握り返し、固く手を結んだ。