■薄紅の花 02.森の家-03.大きな街 (2015年06月24日UP)

 「あの街は、この国で二番目に大きいんだよ」
 二人は、その街から少し離れた丘の上に立っていた。
 周囲は畑が広がり、伸び始めた麦が風にそよいでいる。畑の中を白い石畳の街道が通り、街まで続いていた。街道を行き交う人々は屈託なく、暖かな日差しの中をそれぞれの目指す場所へ向かっている。
 丘陵地は見渡す限り、畑が続く。街の遥か北には、山々が朧に霞んでいる。ずっと東の彼方に、先程まで居た森が、影絵のように蹲っていた。
 双魚は西に目を遣った。
 王都は勿論、湖も見えない。
 見えた所で帰れるでなし、特に落胆することもなく、養父を見上げた。
 養父は双魚の手を引き、街道に降りた。

 厚い城壁の中には、双魚の故郷とは全く違う街並が詰まっていた。
 秋に集めた薬草や、それで作った薬などを薬屋に卸す。そこで麦粉や塩などを受け取り、服を繕う布や糸など、入用な物に替えに行く。
 この国も双魚の故郷同様、経済は物々交換で回っていた。
 魔法文明圏では、貨幣経済が失われて久しい。封印歴紀元前の古い時代には、金貨、銀貨、銅貨が世界の一部地域で流通していた。この辺りでは、ラキュス湖の湖西地方や、湖南地方より更に南、リンフ山脈以南の遺跡から発掘されることがある。
 三界の魔物との戦いが激しさを増すにつれ、それ自体は直接役に立たない貨幣は廃れ、物々交換に取って代わった。
 魔力を蓄えた水晶やサファイアが、貨幣のような扱いを受けるようになり、それが現在まで続いている。保存食や日用品なども、必要な者同士の間で直接、取引される。
 科学文明圏では、紀元後、しばらく時を置いて、貨幣経済が復活した。
 魔力の水晶は大変な高値で取引されているが、双魚達は知る由もない。
 店から店への移動中、養父は双魚の手をしっかりと握り、何くれとなく話しかける。
 初めての場所で不安はないか、気を遣い、故郷を思い出して泣きはすまいかと気を揉み、養い子の僅かな反応に一喜一憂した。
 双魚は初めての街にも、軒を連ねる店のにぎわいにも、珍しい物にも心動かされることがなかった。ただ、養父が自分に心を砕いてくれていることは察せられ、それに応える為、話に耳を傾け、示されるまま、街の名所に目を遣る。
 昼時、小さな食堂に入った。
 養父の行きつけの店らしく、店主がカウンターの中から親しげに声を掛け、すぐ調理に戻る。食堂は繁盛しており、二人が席に着くと満席になった。
 この時間、料理は一種類らしく、程なく皆と同じ物が運ばれてきた。
 周囲の客の世間話を聞くとはなしに聞きながら、炒め物を口に運ぶ。
 他愛ない話ばかりで、双魚の故郷の話は、断片すら聞こえない。
 耳にした所で、何ができるでもない。
 王子の教育係、柄杓星には、戻って来るなと言われた。
 世の中には取り返しのつかない事がある。
 双魚は最近、その事を強く思うようになっていた。
 諦めや絶望ではなく、単なる状況の確認。
 これは、まだなんとかなる。
 あれは、どうにもならない。
 些細な失敗も、日常の種々(くさぐさ)のことも、その二つに選り分けて考えるようになった。
 薬屋に納めた薬草は、店主が養父に返品できる。
 二人が食べた昼飯は、店主に返す事はできない。
 まだ、その先については、考えが及ばない。選り分けたからと言って、何がどうと言うのでもない。
 「美味いか?」
 「うん」
 養父に問われ、反射的に即答した。もう少し何か言った方がいいかと思い、初めて口にする野菜の切れ端をフォークで持ち上げ、付け足す。
 「これ、おいしい」
 野菜炒めの中でよく目立つ黄色い野菜は、肉厚で瑞々しく、少し甘みがあった。火の通りがいいように、一口大に切ってある。
 養父は頬を緩めて頷いた。
 「そうかそうか。じゃ、帰りに苗か種子を貰って、うちでも育てような」
 そんなつもりで言ったのではなかったが、特に害になるような事でもないので、双魚は野菜炒めを頬張ったまま、こくりと頷いた。

 帰り際、近郊の農家から仕入れた苗や種子を扱う店に寄った。
 街の中でも、中庭や窓辺で家庭菜園を営む家が多いのか、ここも賑っていた。
 養父が店主に野菜の種類を告げ、在庫を確認する。店頭にその苗はなく、奥へ種子を取りに引っ込んだ。
 店先で品定めする人垣の隙間から、苗木が見えた。
 双魚は立ち竦んだ。
 膝丈程に育った樹木の苗。根は麻布に包まれている。昼下がりの陽を受けて輝く若葉は、よく見知った形だった。
 無意識に養父の服の裾を掴み、歯を食いしばる。
 この一年近く、殆ど心を動かす事なく、漫然と過ぎゆく日々を眺めていた。今になって何故こんなにも、心を揺さぶられたのか、わからない。
 これが取り返しのつくことなのか、そうでないのか、考える事さえできず、双魚は苗木に目を奪われていた。
 「どうした? 坊や、何か気になる物でもあるのかい?」
 養い子のただならぬ様子に、養父が声を掛けた。
 双魚の目は、苗木に釘付けになっている。養父はその視線を辿り、苗木を指差した。
 「これが欲しいのかい? よしよし、じゃあ、これも分けて貰おう」
 養父は、初めて養い子が強い関心を示した事を喜び、苗木も追加して貰った。
 種子と共に水晶と引き換え、双魚に持たせる。
 【無尽袋】には生き物を入れることができない。双魚は、柔らかで頼りなげな若葉を傷めないよう、慎重に抱えた。
 養父に手を引かれ、街の外へ出る。
 丘の上で街を振り返る。通りが複雑に入り組み、先程まで居た店もわからなかった。

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第02章.森の家
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