■薄紅の花 02.森の家-11.狩人の娘 (2015年06月28日UP)

 庭のアーモンドが、穏やかな日差しに新緑を輝かせている。
 葉擦れの音と、何かの気配に跳び起きた。幸せな夢が、跡形もなく消える。結界を張らずに転寝した迂闊さに歯噛みした。
 藪の影から現れたのは、若い女性だった。長命人種ならば、若く見えても齢数百年という場合もあるが、外見からはわからない。
 双魚はやや警戒を緩め、立ち上がった。
 女性が足を止め、緊張に強張ったぎこちない微笑を浮かべ、口を開く。
 「こ……こんにちは。あの、起こしてしまってごめんなさい。水汲み、いいですか?」
 「こんにちは。俺は……通りすがりの旅人で、泉の管理人じゃありません。好きに汲んで下さい。あなたは地元の人?」
 「はっはいッ。お父さんが狩人で、この近くに住んでるんです。あんまり村にも行かないし、家族以外の人と会うのも久し振りで、えっと……」
 女性は頬を染め、俯いた。どうやら外見通りの年齢らしい。
 「その村は、ここより東ですか? 徒歩だとどのくらい掛かります?」
 「はっはいッ。東! 東です! あの、遠くって、いつもお父さんに跳んでもらってるんで、あの、ごめんなさい……どのくらい遠いか、わかりません」
 勢い込んで答えた語尾が、申し訳なさそうに萎む。
 双魚は無尽袋を拾い上げ、泉を離れた。
 「東に村があるんですね。ありがとうございます。じゃあ」
 娘は口の中で「あのっえっと」と呟いていたが、意を決し、木立の間に消えかける旅人に声を掛けた。
 「あの、旅人さん、待って下さい! 村っ、あの、跳ばなきゃいけないくらい遠いですし、森、迷いますし、うちに来て下さい。あの、お父さんなら、道、わかりますし、えっと、今、狩りに出てるんですけど、夕方には戻りますし……」
 双魚は面倒なことになったと思い、そのまま泉から東へ立ち去ろうとしたが、道案内に惹かれ、足を止めた。
 若い娘が、どこの馬の骨とも知れぬ男を連れて帰れば、大抵の親はいい顔をしない。最悪の場合、激昂した狩人に殺されるかもしれない。だが、知らない森で、地元を良く知る狩人に道案内して貰えるとすれば、これ程、心強いことはない。
 親切に「正しい道」を教えて貰えるか、娘につく悪い虫として危険な道を教えられるか。
 双魚は可能性について考えるのをやめ、どうすれば、正しい道を教えて貰えるか考えた。
 狩人に小麦粉を支払って、道案内を乞えば、仕事として引き受けてくれるかもしれない。
 結論を出し、振り返る。
 娘は、手の中で皮袋を捏ね回していたが、双魚と目が合うと、瞳を輝かせた。
 「じゃあ、厚かましいんですけど、道案内をお願いしてもいいですか?」
 「あっいえっ、厚かましいだなんて、そんなッ! 父さん、この辺りは庭みたいなもんだって、いつも言ってますし、平気です。大丈夫! 厚かましくありません!」
 娘は力説し、先に立って歩き出した。双魚は少し離れてついて行く。娘は道々、この辺りで採れる甘い木の実や、きれいな花について取りとめもなくお喋りした。
 「あの、ごめんなさい。私、まだ【跳躍】使えなくて、使えたら、村までお送りできるんですけど、あの、お父さんに送ってくれように、頼んでみますね」
 「いえ、お構いなく。お忙しいでしょう」

 不意に木立が途切れ、拓けた場所に出た。六車星夫妻と暮らした家と同様、柵に囲まれた小さな畑の中に、丸木小屋が建っている。老女が笊に野菜を摘み、柵の外では、中年男性が鹿を解体していた。
 「あっ、お父さん、もう帰ってたんだ。よかった! あのね、旅の人が東の村に行きたいんだって。お父さん、跳んであげて欲しいの」
 「何だお前、藪から棒に」
 狩人は逞しい腕から鹿を放し、皮を剥ぐ小刀を近くの切り株に突き立てた。娘が連れて来た男を胡散臭げに睨む。老婆が腰を伸ばして旅人を一瞥し、孫娘に声を掛けた。
 「おかえり。水汲みは終わったのかい?」
 「あっ! 忘れてた!」
 娘は弾かれたように駆けだした。狩人が首を振り、零す。
 「いっちょまえに色気付きおって。のぼせ上がってんじゃねえぞ、全く」
 「あの、お忙しい所、恐れ入ります。東の村まで、道を教えていただきたいんですが、お願いできますか? 小麦でお礼しますが……」
 恐る恐る切りだす双魚に、狩人が歩み寄る。頭のてっぺんから爪先まで、無遠慮な視線を向けられ、居心地が悪い。
 狩人が結論を出す前に、老婆が口を開いた。
 「随分ボロボロだね。街道を通らなかったのかい?」
 「あ、はい。ずっと森を通ってきました。魔獣に襲われたりしたので、ちょっと……その、こんな恰好で失礼します」
 「行商人って風でもないね? 何しに行くんだい?」
 「特に、何も……この森のずっと西に住んでたんですけど……焼き討ちに遭って……」
 「逃げて来たのかい。身内はどうしたね?」
 「家族は……」
 両親、祖父、小さな弟妹、養父母の顔が、記憶の底から、今、目の前にいるようにありありと甦り、声が詰まった。
 本のページが風でめくれるように、在りし日の姿が目まぐるしく、次々と現れる。何でもない日々の一コマ、脈絡のない話の断片。記憶の奔流に押し流され、涙がとめどなく溢れた。
 双魚は膝から力が抜け、へたり込んだ。
 自分でも悲しいかどうかさえ、わからない。嗚咽を上げるでもない。ただ、涙が止まらなかった。
 狩人が老母と顔を見合わせる。
 「……急ぎでないなら、ウチで休んでお行き。孫に繕い物の稽古もさせたいからね」
 「まぁ、その、ウチも昔、女房と息子が魔獣に食われちまってな。男手も要るし、ちっとばかり、手伝っちゃくれねぇか」
 二人の声から、警戒が消えていた。

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第02章.森の家
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