■薄紅の花 02.森の家-09.涙もなく (2015年06月24日UP)

 森に戻った双魚は、我が目を疑った。
 見慣れた丸木小屋は無残に焼け落ち、炭化した柱が数本、細く白煙を昇らせている。畑は踏みにじられ、アーモンドの若木も、焼け折れていた。

 何が……あったんだ……

 理解することを心が拒むのか、呆然と立ち竦む。
 日暮れの風が焦げた空気を吹き払い、体を冷やした。足元を森の雑妖が取り囲む。
 双魚はふらふらと足を前に出し、折れた柵の中に入った。結界は失われ、雑妖が屯している。畑には複数の靴跡が入り乱れ、争った跡が残っていた。
 幹が折れ、焼け焦げたアーモンドに、幼い日の忌まわしい記憶が重なる。
 夕焼けが、景色を燃やす。
 ぎゅっと目を閉じ、拳を握る。肩の力を抜いて細く息を吐き、ゆっくり目を開けた。
 家だった所に入る。灰の上に足跡が残っていた。膝から力が抜け、その場に崩れる。
 小さな骨のかけらが散乱していた。灰には手で探った跡がある。
 そこに【魔道士の涙】はなかった。

 どのくらいそうしていたのか、気が付くと辺りは闇に包まれていた。
 何かの気配に顔を上げる。
 月明かりに獣の姿が浮かび上がった。
 僅かな光を反射し、無数の目が輝く。生臭い獣の息遣い。
 見回すと、狼の群に囲まれていた。
 勢いをつけて立ち上がる。狼の群は驚いて、数歩退がったが、すぐにそろりそろりと距離を詰めてきた。
 双魚は足元を見詰めたまま、小声で呪文を唱え、右拳を天に突き上げた。拳の上に光球が現れる。
 突然の閃光に目が眩み、狼達は甲高い悲鳴を上げた。雑妖が、音もなく消える。
 双魚は顔を上げ、狼の群れを睨みつけた。
 獣は目をつぶり、しきりに頭を振っている。前足で目をこすろうとする者もいた。
 「風よ、燃え上がる氷の上を渡れ!」
 力ある言葉で唱えた瞬間、双魚の足許から冷気が起ち上がる。冷気が鋸刃型の軌跡を描き、地を走った。冷気の刃は、悲鳴を上げる暇すら与えず、数匹を切り刻んで消える。
 双魚は立て続けに同じ呪文を唱えた。
 真昼より明るい光の中に鮮血が飛ぶ。
 「火の術は、落ち葉や森の樹に燃え移って、思わぬ害になることもあるからな、氷だったらそんなことはない」
 教えてくれた養父の声が、胸に甦る。
 「森の獣なら、これで何とかなるが、異界の魔物には敵わん。儂らは、そんな術は知らんからな。逃げるんだ」
 「でも、無闇に使わないでね。森は獣達のおうちなんだから、双魚が鉢合わせしないように気を付けてあげて」
 養母の注意を思い出し、声が震える。
 突風に灰が舞い上がる。
 狼が視力を取り戻す頃には、群の半分以上が動かなくなっていた。耳を伏せ、低く唸りながら一匹、また一匹と、木立の闇に消える。
 宙に浮かぶ光球が、地面にくっきりと物の影を描き出していた。

 双魚は乱れた呼吸を整え、井戸端に向かった。
 木の枝を拾い、井戸を中心に円を描く。地面の円を閉じ、四方に魔除けを意味する力ある言葉を記し、呪文を唱えた。
 簡易結界の発動を見届け、双魚は井戸を背に腰を降ろした。地面は冷たく乾いている。
 血の匂いを嗅ぎつけ、雑妖が集まって来た。暗がりから出てこず、様子を覗っている。
 遠くで梟が鳴いている。

 誰がこんな……

 虚脱感に涙すら出ない。
 明らかに、人の手による破壊だった。
 養父母は殺されてから焼かれたのか、焼き殺されたのか。野盗の仕業なのか、それとも誰か、二人に恨みのある人物なのか。
 知ったところで、養父母が甦ることはない。双魚は考えるのを止めた。
 激しい自責と後悔の念が押し寄せるのを、止めることはできなかった。
 
 俺がもっと早くに帰っていれば……
 街の医者に連れて行っていれば……

 養父母が死なずに済んだ可能性について考えては、こんなことを考えても二人は戻って来ない、と頭を振る。

 取り返しなんて、つかないのに……

 梢に掛かる初夏の星々は、地上の出来事になど頓着せず、刻々と移って行く。
 昔日(せきじつ)の災厄と今日の禍(わざわい)が交錯する。思考と記憶、自責と後悔が堂々巡りする。
 東の空が白み、術で作った光球が消えた。鴉が鳴き交わし、塒(ねぐら)から飛び立つ。
 雲ひとつない青空に向かい、いつもと同じ小鳥達の歌声が、森の上に揚がる。
 森が目覚め、雑妖が木立の奥へ消えた。
 双魚は立ち上がり、術で井戸水を起ち上げた。体を洗い、水を従え、簡易結界を出る。
 ふらつく足で灰を踏みしめ、家の焼け跡に水を這わせた。
 灰を含んだ水が、濁って重くなる。重ねて呪文を唱え、濁り水の中から遺骨を集めた。灰の中から選り分け、掌に残った骨は、思った以上に少ない。
 割れた食器でアーモンドの根元を掘る。僅かな骨のかけらを埋め、双魚は立ち上がった。
 家族とアーモンドの木を二度も、理不尽に奪われた。
 【涙】すらなく、涙も出ない。
 昨日のお使いに使った【無尽袋】を拾い、双魚は東に向かって歩き始めた。
 この辺りは人里から遠く、道らしい道はない。
 森の中で、よく知る木立の間、藪の脇を歩く。

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第02章.森の家
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