■薄紅の花 02.森の家-04.小さな木 (2015年06月24日UP)
夕飯の席、養父は街の出来事を面白おかしく語り、養母はころころ笑った。
双魚は、苗木のことを考えていた。
帰ってすぐ、養父が日当たりのいい場所に植えてくれた。
まだ弱々しく、少しの風でも倒れてしまいそうだ。萌え出たばかりの葉は柔らかく、数も少ない。この森にどんな毛虫がいるか知らないが、きっと王都よりも多いだろう。
……食べられないように、守ってあげなくちゃ。
翌朝、双魚は起きてすぐに外へ出て、苗木に水を与えた。
若葉はどれも傷ひとつなく、朝の光を受けて輝いている。
畑の隅、丸木小屋のすぐ前に植えられた苗木は、まだ、ここの風景には馴染んでおらず、弱々しく周囲を窺っているように見えた。
養父母は、毎日甲斐甲斐しく、苗木の世話をする養子をそっと見守った。その眼差しは安堵と喜びが溢れ、あたたかい。
王都では余程、恐ろしいことがあったのだろう。
六車星の夫婦は、柄杓星の短い言葉から、幼子の心の傷を知り、詳しい話は聞いていない。養い子は、一年経った今でも時折、悪夢にうなされている。
その子は森に連れて来られた頃より、表情と口数が増えた。
苗木を植えてからは、時折、笑顔も見られるようになった。
お互い、まだ名乗りあっても居らず、「父さん」「母さん」とも呼ばれない。それでも、六車星夫妻にとって、名も知らぬ養い子は、我が子同然に愛しく思われるのだった。
「坊やは、ホントにこの木が好きなんだねぇ。何て種類?」
夏のある日、畑仕事を終えた養母が、毛虫取りをしていた双魚に問うた。養い子は、苗木を見詰めたまま、ポツリと答えた。
「アーモンド。おうちの樹と一緒の種類」
「……………………そう」
養母は胸が詰まり、やっとそれだけ返した。後の言葉が続かない。声もなく、養い子の頭を撫でる手は、少し震えていた。
「凄く大きくて立派で、近所の人もみんな、大好きで、春になったらいっぱい花が咲いて、みんなで花を見ながらお菓子食べて、お菓子は母さんが焼いた奴で、うちのアーモンドが入ってて、みんな、おいしいおいしいって、喜んでくれて……」
堰を切ったように言葉が溢れ、止まらなくなった。
断片的な思い出が、次から次へと口をついて出る。
養母は黙って頷きながら、双魚の頭を撫で続けた。
不意に言葉が途切れ、大粒の涙が零れる。
それらが全て失われ、取り戻せない事を思い出してしまった。隣の老夫婦や職人の長女は、地蟲や外国の軍から無事に逃れられただろうか。
あれから一度も会えない友達は、みんな助かっただろうか。
記憶と思い出、推測と感情が入り混じり、坩堝のように渦巻いた。悲しいかどうかさえ、わからない。声もなく、ただ涙だけが、後から後から、頬を伝い落ちた。
養母は、そんな養い子をしっかりと抱きしめ、共に涙を零した。
幾つもの季節が静かに過ぎ、双魚の背丈は、養母を越えた。まだ、養父より低いが、このまま育てば、後数年で追い越すことだろう。
アーモンドの苗木もすくすくと育ち、養母の背丈に並んだ。まだ、花は付けないが、葉は青々と茂り、若い生命の輝きに満ちている。
双魚は養父と共になら、柵の外にも出られるようになった。
森の中で自分達が食べる木の実や野草、きのこ、街に卸す薬草などを採る。
時には狩りを行い、野兎や鹿なども獲った。肉は食卓に上り、皮は手袋や袋になった。また、小さく弱い魔獣を狩って、薬や魔術の素材も集めた。
養父は樹の下に立ち、幹を撫でながら説明した。
「これは、秋になったら、甘くて美味い赤い実が成る。若葉は水抜きしてから炒って煮出せば、薬になる」
「はい。実は美味しくて、若葉は薬になるんですね」
「実は体を冷やすから、あんまりたくさん食べると腹を壊す」
「はい。気をつけます」
双魚は樹を見上げ、幹の模様、枝ぶりの特徴、葉の形を覚えた。
食べられるもの、毒があるもの、薬になるもの、危険なもの、そうでないもの……乾いた砂に水が染み込むように、双魚は二人に教えられたことを覚えた。
まだまだ、養父には遠く及ばないものの、近頃では腕も上がり、普通の獣相手なら、自身の身を自分で守れるようになってきた。ちょっとした怪我は、街に居た頃に覚えた術で治した。
養父母の手ほどきで、薬の素材や簡単な薬の作り方も覚えた。
双魚は元々、祖父と実父に教えられ、薬草や魔法生物の素材について、ある程度、知っていた。
以前教わったことと、新たに教えられたことが繋がり、視界が開ける。学ぶことが楽しくなり、更に深く、広く知りたくなる。
そうして、日々が過ぎて行く。
アーモンドの苗は、虫や嵐にも負けず、丸木小屋の屋根に届くまでに育った。若木は、伸び伸びと枝葉を広げ、いっぱいに陽の恵みを受けている。
双魚は、自分の背丈を追い越したアーモンドを見上げ、陽の眩しさに目を細めた。
養父は街で、薬学書や魔道書等を手に入れ、養い子に与えた。養父母が双魚に教えられることは、なくなりつつあった。