■薄紅の花 02.森の家-12.森の食事 (2015年06月28日UP)

 狩人に半ば抱えられるように支えられ、家に通された。
 老婆が甕の水で顔を洗ってくれ、服を貸してくれた。少し大きいが、問題なく着られる。
 「大分、疲れてるね。いいから、お昼ができるまで寝てな」
 疲れきっているからか、何も考えられず、されるがままになる。老婆は双魚を寝かせ、寝室の戸を閉めた。
 一人になると、程なく泉の畔で中断された眠りが訪れる。久し振りに屋根のある所で、布団に包まれたからか、夢を見ることさえなく、泥のように眠った。

 物音が聞こえる。
 目を覚ますと、知らない部屋だった。
 木の天井を見上げていると、再び、遠慮がちに戸を叩く音が聞こえた。
 上体を起こし、見回す。
 窓の外は夕暮れで、黄金色に染まっていた。
 部屋の戸が細く開き、食べ物の匂いが流れ込む。焼いた肉の香ばしい匂い、野菜が煮える匂い。
 戸の隙間に体を滑り込ませ、娘が入って来た。双魚と目が合うと、頬を染めて俯く。
 「あっ、あのっ、おはよ……じゃなくって、えっと、こんばんは? あの、起しちゃってごめんなさい。えっと、お昼、起こしたんですけど、寝てて、おなか空いてますよね? ね? えっと、晩ご飯なんで、えっと、鹿とか好きですか? 私、鹿肉、焼くの得意で、今日も私が焼いてて、いつもより巧くいってて、えっと……」
 床を見詰めたまま、しどろもどろに捲し立てる。まだ、意識がはっきりしない双魚が、ぼんやり聞き流していると、戸が大きく開いた。
 「何、ワケのわからんこと、ごちゃごちゃ言ってやがる。……おう、起きたか。晩飯、食えるか? 何か腹に入れとかねぇと、身が持たんぞ」
 狩人は、ずかずか枕元に近付くと、双魚の顔を覗き込んだ。狩人の姿で漸く、ここがどこか思い出した。
 双魚が小さく頷くと、狩人は満足げに頷き返した。
 娘は、そんな父の背中を、恨めしげに睨んでいる。
 狩人に支えられ、ふらつく足を床に着けた。狩人の腕は、双魚の倍くらいの太さだった。厚い筋肉に覆われた棍棒のような腕に支えられ、食卓に着く。
 食卓には、森で採れる木の実と野菜を煮込んだスープと、鹿肉と、パンが湯気を立てていた。
 「お前さん、若いんだから、遠慮しないで、たんとお食べ」
 「……ありがとうございます」
 双魚が頭を下げると、老婆は満面の笑みで頷いた。娘は食卓に着くと、機嫌を直した。

 食事らしい食事を前にして、双魚は久し振りに空腹を自覚した。
 スープを少し飲み、肉を口に運ぶ。噛み締めると、脂が溢れた。森で採れる香草で臭みが消してあり、食べやすい。この香草が何か思い出そうと、吟味する。
 向かいに座る娘と目が合った。
 娘は慌てて目を逸らし、スープの匙を口に入れた。器と睨めっこして、一心不乱を装い、スープを食べる。

 ……あぁ、これ、胃薬の素だ。消化を良くする、あれ。

 養母も肉料理には必ず使っていた。
 懐かしさに零れそうになる涙を堪え、肉を飲み下した。
 すぐ満腹になり、手が止まる。ここ暫く、まともに食べていなかった為、胃が受け付けてくれない。
 折角の心尽くし、残しては申し訳ない。
 娘の期待に満ちた眼差しに押され、双魚は何とか、鹿肉とスープを腹に収めた。パンには手を付けず、そっと匙を置く。
 思わず、溜め息が漏れた。
 何か言おうとする娘を手で制し、老婆が一気に言った。
 「おや、もうおしまいかい? ……まぁ、碌に食べちゃいなかったみたいだし、そんなもんかねぇ。疲れたろ。顔洗って、もう寝ちまいな」

 翌朝、久し振りに髭を剃り、気持ちもすっきりした。
 「色々とありがとうございます。何か、お手伝いできることはありませんか?」
 「まだヨレヨレじゃねぇか。ゆっくりしてけ」
 朝食の後、狩人に寝室へ戻された。
 改めて見回す。

 亡くなった息子さんの部屋だったのかな……?

 ぼんやりそんなことを考える。
 椅子の上に双魚の荷物が置いてあった。無尽袋は手つかずで、ポケットから出された薄紅色の瓶もそのままだ。
 双魚が着ていた服は、まだ繕いが終わっていないらしい。少なくとも、補綴が終わるまでは、ここに居ることになるだろう。
 特に急ぐ訳でも、行く宛がある訳でもない。
 ただ、東へ行きたかった。
 薄紅色の瓶を上着のポケットに入れ、無尽袋を逆さにして振りながら、解除の呪文を唱えた。
 中身が落ち、重い音を立てる。
 小麦粉三袋、綿布一反、綿糸二巻、針十本、塩一袋、ラキュス湖で獲れた魚の干物十二匹、野菜の乾物一袋、チーズ一塊。

 繕ってくれたお礼に布と糸と針、泊めて休ませてくれたお礼に小麦粉、道案内のお礼に干物……かな?

 考えながら、自分が持って行く物を術が切れた袋に詰め直す。
 扉が勢いよく開いた。

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第02章.森の家
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