ときのいわふね 17.村長(2016年07月17日UP)

 春になり、隣のおばさんは、メンタル系の病院に通い始めた。
 水上晶(みなかみてる)は遅ればせながら、就職活動に着手した。
 悩んでいても、龍が帰って来る訳ではない。
 それよりも、就職して資金を貯めて、龍と同じ分野の研究者にもっと精度の高いのタイムマシンを開発してもらい、自分で迎えに行く方が早いと思い始めたのだ。

 既に常盤(ときわ)が、どこかのゼミで話したのか、「夕方の幽霊」の調査をする者が増えていた。
 古文書の記述が確かなら、今は時期が終わっているので、事象の観測はできない。
 それでも、調査対称やその手法は、鴇之依渡浮根(ときのいわふね)に関する文献調査と、大学の噂話や卒業生への聞き取り、太陽高度と影の角度の計算、重力や磁場の探査など、多岐(たき)(わた)る。
 (てる)たちも、龍の影と話した時の状況を幾度も聞かれた。
 教授や学生に問われる度に、正直に答え、協力を惜しまなかった。

 再び秋が巡って来た。
 (てる)は何とか、一社から内定を取り付け、久し振りに研究棟を訪れた。
 研究棟周辺の木の葉は色付き、既に落ち始めた樹種もある。
 常盤の姿はない。彼女も、就職活動などで忙しいのだろう。
 別の学生が、壁に映る自分の影に聴診器を当てている。教授は廊下に置いた作業台の上で、ノートパソコンを触っていた。
 「あぁ、君か。そろそろ、時期だと思うが、どうだ?」
 「そうですね。上手く観測できればいいんですが……」
 すっかり顔見知りになった教授が、期待に満ちた目を壁に向ける。
 (てる)は、初めて龍の声を聞いた日を思い出した。
 あれは確か、肌寒い晩秋だった。去年より十日程早いが、計算で得られた「鴇之依渡浮根(ときのいわふね)内部に光が射す」条件では、今もその時期に当たるらしい。

 影が、秋の夕日に淡く染まる壁に落ちている。
 ひとつ、ふたつ、みっつ……三人の影とは別に、シミのような物が漆喰にじわりと滲む。
 三人が見守る中、(てる)の影に、誰のものでもない影が重なった。
 その影は、杖を突き、背を丸めている。
 「龍、どうしたんだッ? 怪我したのかッ?」
 (てる)は壁に掌を押し当て、叫んだ。
 影は、杖を起き平伏した。そのまま、石の影のように動かない。
 教授と学生が、漆喰の壁に観測機器を押し当てる。
 (てる)は屈んで、黒々と(うずくま)る影に手を触れた。影は尚も沈黙を守っている。
 「……ムラオサか?」
 影は(かしこ)まって何度も頷いた。
 「俺は、ミナカミ・テル……龍はどうしたんですか? 何があったんですか?」
 村長の肩がひとつ大きく揺れた。深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出している。村長は意を決して一度、顔を上げ、再び(おもて)を伏せて話し始めた。
 「ミナカミさまに申し上げまする」

 龍は村人たちに詳しい指示を与えていた。
 どこをどれだけ掘り、どこに土砂を積み、どこに水路を開くか。村人のひとりひとりに持ち場を与え、役目を割り振った。
 工事区画毎に責任者を決め、いずれ居なくなる龍自身は、その統括はせず、村長に任せていた。
 今年の分が終わっても、毎年溜まる土砂を同じ深さまで掘るように、岩に印を刻み、川を治めることを忘れないよう、繰り返し、村人ひとりひとりに説いて回った。

 「……それで?」
 (てる)の唇から、棘のある声が漏れた。
 一緒に聞いていた教授と学生が、無言で顔を見合わせる。
 村長は、その声に(おそ)れ、しばらく声も出せない様子だったが、ミナカミの(てる)に再度問われ、口を開いた。

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