ときのいわふね 03.現況(2016年07月17日UP)

 (てる)は講義が終わってすぐ、昨日の場所へ足を運んだ。
 まだ日が高く、影は廊下の床を這っている。実験室に誰か居て、ガラスの触れ合う音などが廊下に漏れていた。
 昨日は()いていなかったので気付かなかったが、長く続く廊下のこの場所だけ、蛍光灯が切れかけていた。
 白い壁に龍の影はまだない。

 ……もう少し日が傾くまで、図書館かどこかで、時間潰ししてればよかった。

 廊下を行き交う他学部の学生の訝(いぶか)しげな視線に晒され、後悔したが、今更図書館に行ったのでは日が暮れてしまう。
 ちらちら瞬く灯の下で、時折通る白衣姿の学生を見送りながら、昨日の「影との対話」を改めて思い返す。
 (てる)が知っているどんな理論も通用しない。
 昨夜、布団の中でも龍の置かれている状態について、(てる)なりに考えてみた。

 数か月前の思い詰めたような、何かを見出したような複雑な光を宿した龍の眼。
 突然の失踪。
 ここに居ない筈なのに壁に映る影。
 影との会話……

 ……龍は、本当にタイムマシンを作って時間を超えたのか?

 そんな筈はない。
 数年前、龍が貸してくれた科学雑誌に、ワームホールによる時間と空間の移動の可能性についての論文が載っていた。
 論文を書いた学者自身も反論を予想していたのか、現時点では不可能だと断じていた。
 門外漢の(てる)は、論文の理論はほとんど記憶に残っていない。その学者が研究を始めた動機の方に半ば呆れ、半ば感心したのを今でも覚えている。彼の動機は、極めて子供じみた夢だった。
 「幼い頃に見たテレビアニメのタイムマシンを自分の手で創りたい」
 それが、彼が科学者になった動機であり、数十年に及ぶ研究の原動力だった。
 馬鹿馬鹿しいとは思ったが、夢を実現しようという心意気には強く魅かれた。

 ……科学者に成れたくらいなんだから、頭はいい筈なんだよな。博士号持ってるし……じゃなくって、龍だよ。
 何十年も研究してる人が「まだ無理だ」って言ってるのに、研究費用どころか、材料費だって……幾ら掛かるのかわからないけど、多分、そんなにない筈なのに……大体、どうやってそんな物、創れるって言うんだ?
 神隠し……なら、少しは分からなくもないけど、神様や神様を騙る妖怪の仕業ってのも、無理があるよな……大体、理屈になってない。
 遭難だか失踪だか、なんだかよくわからない行方不明者は、みんな神隠しだもんな。
 山狗に食べられたとか、病気や怪我で行き倒れたとか……じゃなくって、今は現代で、この国の狼は百年も前に絶滅してて、声しか聴いてないけど、龍は生きてる。多分。
 ……それにしても、なんで影だけなんだ?

 気が付くと、廊下の電灯は消され、(てる)だけが、夕日の差し込む廊下に立ち尽していた。
 実験室には誰も居ない。
 警備員が見回りもせずに消灯したか、省エネに熱心な学生が消したのか。
 古びた漆喰の壁は、昨日と同様、夕日に染まっていた。
 (てる)の影が壁に映っている。その傍らに、小さなシミが滲み始めた。そっと壁に近付き、影が現れる様子を焦れったい思いで見詰める。

 昨夜は考えながら寝てしまい、結論は出なかった。
 龍の家族には話していない。
 どう説明すればいいのか、わからなかったし、話したところで信じてもらえるとも思えなかった。
 影が完全に姿を現す。
 (てる)は影に手を触れ、一気に捲し立てた。
 龍の影は、黙って一通り聞いてから、状況を説明し始めた。
 〈俺は今、この時代の人たちに「ときのいわふね」って呼ばれてる岩の前に立ってるんだ〉
 「ときのいわふね……?」
 〈いつの時代って言うか、場所もわからないし、どうして大学の廊下に繋がってるのかも、上手く説明できない〉
 「うん……まぁ……」
 (てる)は曖昧に相槌を打った。

 〈俺がここに来たのは、俺の感覚では一カ月くらいなんだ。金がないから、中古屋で材料を買って創ったから、立派な物じゃないけど……一応、成功したらしいことは、わかった〉
 「そんなもんで成功する方が凄いって! 世界中の学者が何十年も、何百万ドルも注ぎ込んでも、理論の構築すらできてないってのに……!」
 (てる)は幼馴染の龍の話に、全身の血が逆流するような興奮を覚えた。
 「お前、早く帰って来いよ! それで論文書いたら科学賞だぞ!」
 早口に捲し立てる(てる)に、龍は静かに答えた。
 〈科学賞なんてどうだっていいよ。それに、来るだけで壊れてしまって、戻れないんだ。眼鏡が壊れなかったのは、不幸中の幸いだな。元々戻るつもりがないから、「不幸」でもないんだけど〉
 「帰れないって、そんなこと……家の人、心配してるぞ。何も言わないで……」
 〈心配なんてしてないさ。お前は……の家のことな……気にしな……よ……〉
 二度と会えないようなことを言われ、(てる)の脳裡を楽しかった思い出が駆け巡る。
 黄昏が夜に傾いた。
 龍の声が次第に遠ざかる。
 「あ、おい! 待てよ!」
 龍が何か言っているようだが、聞き取れない。
 辺りが夜に包まれた。
 木立の間の水銀灯が、(てる)の影だけを壁に映し出していた。

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