ときのいわふね 16.正月(2016年07月17日UP)

 「もう大分、日も短いし、工事が忙しくて、ここに来るのが間に合わないんじゃないかな? あっちじゃ、山の中って言ってたし」
 二人にはそう言ったものの、水上晶(みなかみてる)は同じ不安を抱いていた。

 ……病気になった?

 何日待っても、黄昏(たそがれ)る研究棟の壁に、誰のものでもない影は現れない。

 ……事故に遭った?

 悪い予感だけが、次々と浮かんでくる。

 ……工事が無事に終わって、それで、人柱にされた?

 なるべくいいことを考えようとしても、楽天的な想像は、絶望に蝕まれる。

 ……時の流れを下ったけど、別の時代に飛ばされた?

 生きていて欲しい。
 ただ、それだけを願って、三人は吐息が白く曇る廊下で待ち続ける。

 冬休みになった。
 (てる)にとって、生まれて初めて迎える龍の居ない正月。
 テレビの正月特番の賑やかさが心に刺さり、誰が言うともなく、電源を切った。
 隣の庄野(しょうの)家は、ひっそりと息を殺し、休み明けを待っている。実家に集まった龍の兄たち一家も、静かに過ごしていた。
 小さな子供たちも、大人たちのただならぬ様子に戸惑っている。
 初詣に出掛けた庄野(しょうの)一家は、恐らく初めて、全身全霊で神に縋(すが)っただろう。
 (てる)も、依渡浮根(いわふね)神社が現存していれば、そこで祈るつもりだった。常盤(ときわ)から聞いた秋の日に、すぐ。
 水上(みなかみ)家も、総出で近くの神社に詣で、一人息子の幼馴染の無事を祈った。

 三箇日(さんがにち)が過ぎ、龍の兄たちは、それぞれの家に帰っていった。龍の父も、仕事に戻った。
 龍の母は、一人で呆然としている。
 孫の顔を見ている間は嬉しそうにしていたが、帰った途端、何もしなくなった。
 今は、(てる)の母が、隣の家事などを手伝いに行っている。

 冬休みが明けてすぐ、(てる)は研究棟に向かった。
 常盤(ときわ)は、まだ来ていない。新春の弱い光に、(てる)の影が伸びる。重なる影はない。
 正月休み返上で実験に打ち込んでいたらしい学生たちが、怪訝な顔で、(てる)の傍を通り過ぎる。
 (てる)たちは、そろそろ就職活動を始めなければならないが、とてもそんな気にはなれなかった。
 生まれてから大学院まで、学校はずっと同じだった。
 (てる)と龍は、学部が違うので、就職先が同じになることはない。
 兄弟同然に育っても、いずれ別れが訪れることは知っていた。現に、龍の実兄たちは、高校も大学も龍とは別の所に進み、進学や就職を機に家を出て行った。

 ……でも、こんな別れ方ってあるかよ……

 事象を体験していない者に話せば、頭がおかしいと思われるに違いない。そんな突飛な別れだ。
 普通に就職したのなら、どこか遠くへ転勤しても、正月休みくらいは帰省できる。
 あんなに「時間」に囚われることを嫌がっていた龍が、過去に捕まってしまうとは夢にも思わなかった。

15.工事←前 次→  17.村長
↑ページトップへ↑
【ときのいわふね】もくじへ

copyright © 2016- 数多の花 All Rights Reserved.