ときのいわふね 11.接点(2016年07月17日UP)

 (てる)は途方に暮れて、廊下を歩き始めた。
 振り向きもせずに駆け出した常盤(ときわ)の後ろ姿が、頭から離れない。彼女が恐怖で逃げたのではないことくらい、(てる)にもわかった。
 龍は彼女の姿が見えないからか、記憶を辿ることに気を取られていたせいか、彼女の気持ちには全く気付いていなかった。

 ……まぁ、でも、常盤(ときわ)さんの片思いってだけで、俺のせいじゃないよな。龍があのコのこと知らなくたって、もう二度と会えなくたって……

 今日は、学食北側のベンチが空いていた。演劇部は舞台練習に入ったのだろうか。
 水銀灯の下に人影があった。
 俯(うつむ)いた横顔に長い髪が落ちている。ココアの紙コップを両手で包み、いつからここに座っていたのか、紙コップからは湯気が立たなくなっていた。
 「常盤(ときわ)さん……?」
 彼女は一瞬、身を竦(すく)ませただけで、何も言わない。(てる)は自動販売機で珈琲を買った。
 ことん。
 紙コップの落ちる音が、やけにはっきり聞こえた。ホット珈琲が注がれる様子を見守りながら、彼女に掛ける言葉を考える。
 「俺、庄野(しょうの)の隣に住んでるんだ。幼馴染って奴……」
 常盤(ときわ)の向かいに腰かけながら、(てる)は話し始めた。常盤は俯いて口を閉ざしたまま、紙コップを握り締めている。
 (てる)は珈琲を一口すすり、意識して軽い調子の声を掛けた。
 「ココア、冷めるとおいしくないんじゃない?」
 「…………」
 「……俺も、あいつがどこで何してるのか、最近まで知らなかった。あいつ、俺にも……家族にも黙って、一人で行ってしまったんだよ」
 (てる)は言葉を切った。
 常盤は何も言わない。晶はもう一口飲んで、言葉を待った。

 答えないので、仕方なく話を続ける。
 「……違う時代って言ったけど、具体的にいつなのか、俺にも龍自身にもよくわからないんだ。古い時代なのは確かで、ムラは竪穴式住居で、長老が豊穣を祈る祭りを仕切ってるような時代らしい」
 「違う……時代……? どうして『どこか遠く』じゃなくて『違う時代』なんて言うの?」
 常盤は冷めきったココアを見詰めたまま、詰問した。
 「あいつ、タイムマシンを自分で創ったみたいなんだ」
 「…………ッ!」
 絶句した常盤(ときわ)の射抜くような目が、(てる)に向けられた。
 「嘘吐(うそつ)くんなら、もっとマシなの吐(つ)けばいいのにって顔だなぁ……無理もないけど」
 (てる)はその目を苦笑で躱(かわ)した。
 「俺はあいつをずっと探してて、偶然、あそこであいつの影を見つけたんだ……俺も最初は信じられなかったけど、影と話す内に、認めざるを得なくなった。常盤(ときわ)さんも、龍の声が聞こえたんだろ?」
 幾分かやわらいだものの、凍りついた彼女の顔を見ていると、(てる)の胸はささくれ立った。
 龍にとって、彼女は実験室の風景と同程度のものだった。
 (てる)は内心、自分に舌打ちした。声に出してしまった言葉は、取り返しがつかない。それと知らず、形のない刃を抜いたことに気付いても、傷を癒すのは容易ではない。

 (てる)は、珈琲の香を胸一杯吸い込む。自分を落ち着け、静かに言葉を続けた。
 「龍は神様の使いだと思われて、村人に大事にされてるらしいよ。祭壇の前に現れたのが丁度、豊穣を祈る儀式の最中だったからだろうって」
 心配いらないことを最初に告げ、龍から聞いたことを説明する。
 「ムラの様子を知る為に近くの山に登ったら、地元の人に『ときのいわふね』って呼ばれてる石組を見つけたらしい」
 村人が恐れて滅多に近付かないことは、不安を煽るといけないので、伏せておくことにした。
 誰が何の目的で、巨石を山中に組んだのか、いつからそこにあるのか、誰にもわからない。
 「どう言う仕組みかわからないけど、その石組には、現在の……研究棟の廊下の影が、映ってるらしいんだ。影に触ると声が聞こえるって言うのは、村人から聞いたらしい」
 何日も試している内にようやく、(てる)の影と接触できた。
 「あいつが行った時代と、今を繋ぐ接点が、研究棟の廊下の影なんだ」

 慎重に言葉を選びながら、そこまで説明すると、(てる)は人肌に冷めた珈琲を口に運んだ。
 常盤(ときわ)も冷めきったココアに唇をつけた。
 遠くでジャズバンド部の練習が聞こえる。
 「夕方の幽霊の噂って、あの常盤(ときわ)ができた頃からあったんだって」
 常盤が抑揚のない声で、ぽつりぽつりと話し始めた。
 「あそこには、古墳か何かがあって、石組は他所に運んで復元したけど、中身はあの場所に留まったって言う噂」
 馬鹿馬鹿しい噂話だ。
 小学校なら、脈々と受け継がれるだろうが、ここは大学で、研究棟は主に理系の学部が使っている。
 「石組の中に『物』は何も入ってなかったけど、影が入ってたそうです。幽霊を信じる信じないに関わらず、誰のものでもない影が、廊下に映るのを大勢の人が目撃しています」
 常盤はそこで言葉を切り、顔を上げた。
 「特定の時期の、限られた時間帯限定で……。いつの頃からか、研究棟のあの階では、秋の夕方には、誰も居残りをしなくなったそうです」

 二人はしばらく無言で、冷え切った飲み物をすすっていた。
 それぞれの説明の共通点と、実際目の当たりにした事象を繋ぎ合せる。
 空の紙コップを握り潰し、(てる)は立ち上がった。

 「あ、あのっ、水上(みなかみ)さん、庄野(しょうの)君、もう、帰れないんですか?」
 「……わからない。あいつが創ったタイムマシンは、壊れてしまったらしいんだけど、接点はある……だから、全く望みがないって訳じゃないかも知れないけど、どうすればいいのか、わからない」
 何とも歯切れが悪い。龍に帰る石がないことは、言えなかった。
 常盤は「接点……」と呟いた。(てる)の存在を忘れたかのように、ひとり、考えに没頭し始めた。
 (てる)は水銀灯を見上げた。
 無数の羽虫が、光の輪の中を飛び交っている。肉眼では捉え切れないはばたきが、羽虫を光の珠にしていた。透き通った羽が、自ら虹色の光を放っているように見える。
 |光の精霊(ウィル・オ・ウィスプ)。
 昔の人は、沼などに発生したメタンガスや、燐(リン)の自然発火に光の精霊を見た。
 (てる)は、本当に自ら発光するガスの自然発火より、透き通った羽の反射光の方が、ずっとキレイだと思った。羽虫だとわかっていても。虹色の小さな光の珠。

 学食の灯が消えた。
 調子外れのサキソフォンの音も、いつの間にか聞こえなくなっていた。
 「常盤(ときわ)さん、もう遅いし、今日は帰った方がいいよ」
 「えッ? あ、あぁ……そう……ありがとうございます」
 紙コップをゴミ箱に押し込み、彼女は走り去って行く。
 何がありがとうなのか、よくわからない(てる)は、紙コップを握り締めたまま、その後ろ姿を呆然と見送った。

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