ときのいわふね 11.接点(2016年07月17日UP)
振り向きもせずに駆け出した
龍は彼女の姿が見えないからか、記憶を辿ることに気を取られていたせいか、彼女の気持ちには全く気付いていなかった。
……まぁ、でも、
今日は、学食北側のベンチが空いていた。演劇部は舞台練習に入ったのだろうか。
水銀灯の下に人影があった。
俯(うつむ)いた横顔に長い髪が落ちている。ココアの紙コップを両手で包み、いつからここに座っていたのか、紙コップからは湯気が立たなくなっていた。
「
彼女は一瞬、身を竦(すく)ませただけで、何も言わない。
ことん。
紙コップの落ちる音が、やけにはっきり聞こえた。ホット珈琲が注がれる様子を見守りながら、彼女に掛ける言葉を考える。
「俺、
「ココア、冷めるとおいしくないんじゃない?」
「…………」
「……俺も、あいつがどこで何してるのか、最近まで知らなかった。あいつ、俺にも……家族にも黙って、一人で行ってしまったんだよ」
常盤は何も言わない。晶はもう一口飲んで、言葉を待った。
答えないので、仕方なく話を続ける。
「……違う時代って言ったけど、具体的にいつなのか、俺にも龍自身にもよくわからないんだ。古い時代なのは確かで、ムラは竪穴式住居で、長老が豊穣を祈る祭りを仕切ってるような時代らしい」
「違う……時代……? どうして『どこか遠く』じゃなくて『違う時代』なんて言うの?」
常盤は冷めきったココアを見詰めたまま、詰問した。
「あいつ、タイムマシンを自分で創ったみたいなんだ」
「…………ッ!」
絶句した
「嘘吐(うそつ)くんなら、もっとマシなの吐(つ)けばいいのにって顔だなぁ……無理もないけど」
「俺はあいつをずっと探してて、偶然、あそこであいつの影を見つけたんだ……俺も最初は信じられなかったけど、影と話す内に、認めざるを得なくなった。
幾分かやわらいだものの、凍りついた彼女の顔を見ていると、
龍にとって、彼女は実験室の風景と同程度のものだった。
「龍は神様の使いだと思われて、村人に大事にされてるらしいよ。祭壇の前に現れたのが丁度、豊穣を祈る儀式の最中だったからだろうって」
心配いらないことを最初に告げ、龍から聞いたことを説明する。
「ムラの様子を知る為に近くの山に登ったら、地元の人に『ときのいわふね』って呼ばれてる石組を見つけたらしい」
村人が恐れて滅多に近付かないことは、不安を煽るといけないので、伏せておくことにした。
誰が何の目的で、巨石を山中に組んだのか、いつからそこにあるのか、誰にもわからない。
「どう言う仕組みかわからないけど、その石組には、現在の……研究棟の廊下の影が、映ってるらしいんだ。影に触ると声が聞こえるって言うのは、村人から聞いたらしい」
何日も試している内にようやく、
「あいつが行った時代と、今を繋ぐ接点が、研究棟の廊下の影なんだ」
慎重に言葉を選びながら、そこまで説明すると、
遠くでジャズバンド部の練習が聞こえる。
「夕方の幽霊の噂って、あの
常盤が抑揚のない声で、ぽつりぽつりと話し始めた。
「あそこには、古墳か何かがあって、石組は他所に運んで復元したけど、中身はあの場所に留まったって言う噂」
馬鹿馬鹿しい噂話だ。
小学校なら、脈々と受け継がれるだろうが、ここは大学で、研究棟は主に理系の学部が使っている。
「石組の中に『物』は何も入ってなかったけど、影が入ってたそうです。幽霊を信じる信じないに関わらず、誰のものでもない影が、廊下に映るのを大勢の人が目撃しています」
常盤はそこで言葉を切り、顔を上げた。
「特定の時期の、限られた時間帯限定で……。いつの頃からか、研究棟のあの階では、秋の夕方には、誰も居残りをしなくなったそうです」
二人はしばらく無言で、冷え切った飲み物をすすっていた。
それぞれの説明の共通点と、実際目の当たりにした事象を繋ぎ合せる。
空の紙コップを握り潰し、
「あ、あのっ、水上(みなかみ)さん、
「……わからない。あいつが創ったタイムマシンは、壊れてしまったらしいんだけど、接点はある……だから、全く望みがないって訳じゃないかも知れないけど、どうすればいいのか、わからない」
何とも歯切れが悪い。龍に帰る石がないことは、言えなかった。
常盤は「接点……」と呟いた。
無数の羽虫が、光の輪の中を飛び交っている。肉眼では捉え切れないはばたきが、羽虫を光の珠にしていた。透き通った羽が、自ら虹色の光を放っているように見える。
|光の精霊(ウィル・オ・ウィスプ)。
昔の人は、沼などに発生したメタンガスや、燐(リン)の自然発火に光の精霊を見た。
学食の灯が消えた。
調子外れのサキソフォンの音も、いつの間にか聞こえなくなっていた。
「
「えッ? あ、あぁ……そう……ありがとうございます」
紙コップをゴミ箱に押し込み、彼女は走り去って行く。
何がありがとうなのか、よくわからない
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