ときのいわふね 12.迷い(2016年07月17日UP)

 高度成長期に増築された研究棟。
 当時の夢と絶望は跡形もない。漆喰の壁。古びて色褪せた壁に影が映る。
 学問の発展。
 科学の進歩に人の心が追い付かない。
 心を置き去りにして、(こころざし)だけが、行く末の見えない道をひたむきに走ってゆく。
 高みと足元を見詰めて、脇目も振らず、結果だけが積み重なってゆく。若者は心と志が同じものだと錯覚する。或いは、心と志を忙(せわ)しい日々に流され、見失う。
 ただ、時間に追われて一日が過ぎ、一月(ひとつき)が過ぎ、一年が過ぎる。
 数十年の時と結果の積み重ね。
 多くの人の足跡(そくせき)……功績。

 ……どうしてあんなところに接点があるんだろう? まぁ、どこだって変と言えば、変なんだけど。

 思考が頭の中で同じところを巡るだけで、進まない。
 カーテンの隙間から、月の光が漏れていた。三軒置きにある街灯は、(てる)の家の前にはない。
 布団を出て、カーテンを開けた。
 高く昇った月が、夜空に低く流れる雲を光で淡く描き出している。雲は、街明かりに照らされ、地の側の方が明るかった。

 ……龍は、どこでタイムマシンを起動させたんだ?

 雲の切れ間で、星が弱々しく瞬いていた。
 大型トラックの走る音が、遠くから聞こえてくる。振動は伝わってこないが、エンジンの音、風を切る音、アスファルトの国道を行くタイヤの音が重なり合う。重なった音は、遠吠えとなって低く高く長く尾を引き、絶え間なく、住宅街にまで届いていた。
 (てる)は物心つく頃から、この遠吠えに不安を掻き立てられていた。
 寝静まった街に長く尾を引いて届く国道の遠吠えは、物悲しく耳に残り、眠れない夜を一層長く感じさせた。
 いつまでも、いつまでも耳に残って離れない、絶え間なく続く遠吠え。

 ……接点? 同じ場所……なのか? 移設した古墳が「ときのいわふね」だとしたら、辻褄が合うよな。

 あれから調べてみたが、文系の(てる)には、タイムマシンの原理はよくわからなかった。
 寝付けない夜が増えただけだったが、今夜は早々に資料から離れ、布団に入った。

 ……「ときのいわふね」は単なる目印で、肝心なのは、そこにある時空の歪(ひずみ)だかなんだか、よくわかんない「接点」なのか……?
 昔の人がどうしてそんなこと知ってたかなんて、どうでもいいけど、いや、知ってた訳じゃないんだろうな。きっと、不思議なことがあるから、取敢えず目印を置いてただけで……

 「火のない所に煙は立たずって知ってる?」

 噂がいつも、根拠のないデマとは限らない。
 少なくとも、研究棟の廊下で(あるじ)のない影が、特定の時期の特定の時間にだけ現れることは、確かな事実だ。その影に手を触れれば、影の(あるじ)の声が聞こえることも。

 ……影と声しか時間を超えられないのか? これが、光子(フォトン)の捻(ね)じれって奴なのか? 何とかして、龍の本体を「今」に呼び戻せないかな? 行くことはできたんだ。同じ条件が揃えば、戻れる筈なんだよな。時間を遡るよりは、簡単そうな気もするし。

 隣家はここ数日、慌ただしくしていたが、今はひっそりと、龍の帰りを待っている。
 何故もっと早く届け出なかったのか。
 警察に咎められるより先に、龍の両親は後悔していた。夫婦がどちらからともなく、そのことを口に出し、お互いを責めていた。それもほんの僅かな間で終わり、今は二人とも、我が子の悩みを見過ごしていた自分自身を責めている。
 「(てる)ちゃん、うちの龍がどこに行ったか知らない? 行き先の手掛かりになるようなこと、言ってなかった?」
 隣のおばさんの縋(すが)り付くような眼差しに、(てる)は答えられなかった。
 その頃は、まだ、あの影が龍のものだと確信が持てなかったから。
 それを警察に伝えたところで、相手にされなかっただろう。

 大学も当事者と言えば、当事者だが、まともに取り合ってくれないか、仮に(てる)の言葉を信じたとしても、龍が実験台にされるような気がして、説明したくなかった。
 影の声が、(てる)にしか聞こえなかったなら、「生まれてからずっと一緒だった幼馴染が行方不明になって、精神的に参ってしまったのだろう、可哀そうに……」などと、適当にあしらわれてしまうのも嫌だった。

 常盤(ときわ)を龍の影に引き合わせたのは、賭けだった。
 内容こそ、彼女にとっては気の毒な返事だったが、お蔭で、龍の声が(てる)以外にも聞こえることが確かめられた。
 龍の話では、村人の中にも、影の声を聴いた者が居るとのことだったが、「今」の人間にも聞こえるのか、それだけではわからなかった。一方通行の可能性もあったのだ。
 検証の結果、影と声は双方向で時を超え、誰とでも会話が成立することも確認できた。

 ……どうしよう。明日はおばさんにも……

 龍の母親のやつれた顔が脳裡を(よぎ)り、(てる)は隣家に顔を向けた。

 ……待てよ。そんなことしたからって、どうにかなるのか? あいつ、帰るつもりはないって言ってたのに。おばさんが余計に悲しくなるだけなんじゃないか?

 常盤(ときわ)の泣きそうな笑顔を思い出した。

 ……どうなんだろう? 声だけでも聴けたら、少しは安心できるのかな? 常盤さんみたいに、生きてるのがわかっただけでも、幸せだと思えるのか?

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