ときのいわふね 02.廊下(2016年07月17日UP)

 それから半年余り、(てる)は龍の姿を見ることがなかった。
 新緑だった木々は、もうすっかり赤や黄色に色を変えている。

 龍の家族によると、大学に行ったまま、帰って来ないらしい。
 以前から研究室に泊り込むことが多かったので、連絡がなくても、龍の家族はあまり気にしていない。
 当初は母親が心配して大学に連絡していたが、本人に「恥ずかしいからやめろ!」と凄い剣幕で怒鳴られて以来、何もしないようにしている。
 研究室に籠っている間、龍はケータイの電源を切っている。
 今ではすっかり慣れてしまい、龍の不在は今回も、早い段階で誰も気にしなくなっていた。

 ただ、(てる)は龍と最後に会った日のことが、気に掛かっていた。
 夕暮れ時の校舎の中、他学部の教室や、実験室、研究室の灯を頼りに、虱潰しに龍の姿を求めて歩く。
 真っ先に、龍が所属するゼミの研究室に行ってみたが、そこに幼馴染の姿はなかった。指導教官やゼミ生も、行方を知らない。
 龍の家族にそのことを伝えてみたが、軽く流されてしまった。

 ……例えば、俺の知らない彼女の家に居る……とか……だったら、まぁ余計なお世話だよな。

 大学の校舎は、山腹に建てられていた。
 同じフロアでも、下から数えた階数が異なる。(てる)は、他学部の校舎を探し歩く自分が、今、何回に居るのかわからなくなっていた。
 さっきまで三階を歩いていた筈なのに、気が付くと廊下の表示が四階に変わっていた。階段やエレベーターを使った覚えはない。
 渡り廊下の真ん中には、「A棟2階/G棟3階」と言う案内板がある。
 山肌に階段状に建てられた校舎は、いつの間にか変わっている階数表示だけでなく、曲がりくねった廊下の左右に、面積の異なる教室や実験室が並んでいる。実験用の温室への一方通行の扉や、資料室に突き当る袋小路、大講義室に続く緩やかに傾斜した長い廊下が、(てる)の方向感覚を惑わす。立体迷路の方がマシに思えた。
 廊下で知り合いと行き会えば、龍の行方を訪ねるが、彼らも首を傾げていた。

 ……龍ももう大人だし、本人が探すなって言ってんだし。自殺するようなタマでもないし。

 大学の構内を何時間も歩きまわり、どこにも見当たらないことが分かると、そのことをもう一度、龍の家族に告げたものかどうか、思案に暮れた。
 (てる)がこうして、龍を探すようになって、もう何カ月にもなる。考えが堂々巡りする。

 ……でも、もし、何かの事件に巻き込まれてたら……? 俺が警察に言っていいのか?

 今日も古い漆喰の壁が夕日に染まり、(てる)の影を淡い橙色のスクリーンに映し出している。廊下の窓越しに見える夕焼けが、遙か遠くの雲にその日最後の輝きを添えていた。
 (てる)は窓にもたれて、廊下の壁に映る影に目を落とした。
 長く伸びた影が廊下を這い、壁に張り付いている。その影の右肩に別の影が触れた。
 横を向いたが、まっすぐに続く廊下には誰も居ない。鳥か何かかと、振り返ったが、窓の外にも何もいなかった。
 彼方の山に向かう鴉の群が、小さく見えただけだ。
 (てる)の右に現れた小さな影は、シミが広がるようにじわじわと大きくなり、人の手のような形になった。
 相変わらず、人の気配は感じられない。
 影だけが大きくなりながら、その存在を主張している。
 手の形だった影は、僅かの間に腕と肩、上半身を形作っていた。

 「……りゅ……う?」

 呟いた自分の声に驚いた。
 何故そう思ったのか、(てる)自身にもわからない。いや、何か思う前に口を()いて出たのが、龍の名だった。
 自分の声を耳にして、初めてそう思ったのかもしれない。
 (あるじ)のない影が、頷いた。
 動悸を抑え、もう一度、今度ははっきりと影に呼び掛ける。
 「龍! 龍なのかッ?」
 影は、(てる)の影の肩に手を触れた。既に人の姿が完全に揃っている。
 もう一度、振り返った。やはり(てる)の隣には、影の(あるじ)は居ない。
 龍の影は、(てる)の影に手を触れたまま、もう一方の手で自分を示し、手招きした。
 少し横を向いた鼻の影の上に、四角く薄い影が乗っている。

 ……これ……眼鏡の影だ。

 気付いた瞬間、(てる)は身体の芯が熱くなった。
 息を殺して、そっと壁に近づく。
 長く伸びていた影が短くなり、龍の影と同じ縮尺になった。
 龍の影は(てる)の影から手を離し、今度は(てる)の影を手で示し、自分の影を指差す。
 (てる)は宙に手を伸ばし、自分の手の影で龍の影の肩に触れようと試みた。
 龍の影は、首を左右に振り、もう一度、先程と同じ動作を繰り返す。
 「……どうして欲しいんだ?」
 影はもどかしそうに同じ動作を繰り返し、壁を叩くような動きを付け加えた。
 「……壁に、閉じ込められてるのか?」
 そんな馬鹿なと思いつつ、(てる)は恐々壁に手を伸ばした。
 龍の影は首を左右に振って、「壁の中ではない」と訴えている。(てる)の手が、壁の影に触れた。
 壁のひんやりした感触と共に、安堵感のようなものが、(てる)の指先に伝わる。

 〈壁の中じゃない。外に居るんだ〉

 「龍ッ? 外ってお前、どこに居るんだ? 何カ月も……」
 どこから聞こえるのかと、廊下を見回す。(てる)の声が廊下に虚しく響いた。
 〈山の中だよ。そうか……もう何カ月も経ってることになるのか……〉
 何か考え込むような口調が懐かしい。
 ほんの数カ月なのに、とても長い間会えなかったような気がする。
 「山の中って一体どうなってんだよ? 心配してたんだぞ。何の連絡もなしに、急に居なくなって……」
 〈すまないな……でも、連絡のつけようがなかったんだ……〉
 「どう言うことだ?」
 〈今日は……う遅…………あまり長く話せ……だ〉
 夕闇が次第に濃くなり、影が薄れてゆく。受信状態の悪い携帯電話のような声に、返事を待つ。
 〈明日の……またこ……くれないか……?〉
 日は完全に山向こうへ沈み、夕日の残滓が辛うじて影を映していた。この棟には、実験室が入っているが、今日は誰も残っておらず、照明は点いていない。
 「なんだかよくわからないけど……わかったよ」
 〈ありが……また……〉
 「うん。じゃあな」

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