ときのいわふね 13.母親(2016年07月17日UP)

 (てる)は部屋に閉じ籠り、時が来るのを待った。
 昨夜は結局、一睡もできなかったが、眠気はない。
 今後どうすればいいのか、睡眠不足で却って神経が研ぎ澄まされ、思考は冴えていた。
 龍が再び時を超える方法は、わからない。
 大学に「接点」はある。
 いつまでも影との会話が、続けられる訳ではない。

 (てる)……そして、少なくとも、隣のおばさんと常盤(ときわ)は、龍に会いたがっている。
 龍は、戻ってくるつもりはないと言っていたが、それなら何故、(てる)と話したがるのか。
 本当は龍も後悔しているのではないか。それなら、おばさんに説得してもらえれば、龍も帰る方法を探すかもしれない。
 探してすぐに見つかるとは思えないが、何もしないよりはマシだ。

 昼食後、(てる)は午後の講義をサボって隣家を訪れた。おばさんは、少しやつれた顔で(てる)を迎えた。
 「こんにちは」
 「いらっしゃい。(てる)ちゃん……」
 「……あの、おばさん、今日の夕方って何か用事、ありますか?」
 「特にないけど、どうしたの?」
 「龍のことで……」
 その名を口にした途端、龍の母は複雑な表情を浮かべた。良い知らせなのか、悪い知らせなのか。(てる)を見詰める目が、不安に揺れる。
 震える声でようやく一言。
 「玄関先じゃ、あれだから……」
 「あ、お茶とかいいですから、お構いなく」
 台所に行きかけた隣のおばさんを呼び止め、(てる)は茶の間に入り、結論から話し始めた。
 「龍は、生きてます」
 こたつで差向いに座るおばさんの瞳に生気が戻る。それをすぐ、落胆に変えてしまうことに気が引けたが、(てる)はゆっくりと言葉を選びながら事実だけを伝えた。
 「声だけしか聞けないんですけど……」
 「(てる)ちゃんのケータイに電話が掛かってくるの?」
 「いいえ。大学なんです」
 「学校に電話してくるの? でも、誰もうちにはそんな連絡……」
 おばさんが眉を顰(ひそ)め、首を傾げる。
 「大学の職員の人は、まだ、知らないんです。夕方に、研究棟で龍の声が聞けるんですけど、それ、知ってるの、俺と……龍と同じゼミの子の二人だけで……」
 「それで、一番におばさんに知らせてくれたのね? ありがとう! (てる)ちゃん……ほんとに……」
 おばさんの言葉は、涙でそれ以上声にならなかった。

 二人で連れ立って、研究棟に向かう。
 道々、隣のおばさんは、龍のことをあれこれ尋ねたが、(てる)は「直接、話してもらった方が早いから」と極力、説明を避けた。
 何を言ってもきっと、おばさんを悲しませるだけだ。
 静まり返った廊下で、壁に向かって佇(たたず)む人が居る。
 黄昏(たそがれ)の廊下は薄暗く、逆行を負うその人が誰なのか、すぐにはわからなかった。

 ……常盤(ときわ)さん? もう、ここ……って言うか、この時間には二度と来ないと思ってたのに……

 「あ、水上(みなかみ)さん、そちらは?」
 「龍のお母さん……です」
 「庄野(しょうの)でございます」
 丁寧に挨拶するおばさんに合わせて、常盤も頭を下げる。
 龍の影は、既に壁に現れていた。
 常盤がそっと場所を譲る。(てる)は、おばさんが龍の影の傍らに立つように誘導した。
 おばさんは、常盤の携帯電話か何かに連絡が入ると思っているのか、じっと彼女を見ている。
 壁に映る影が、ひとつ余分にあることに気付かない。
 「おばさん、この影、ちょっと触って下さい」
 (てる)は龍の影に手を触れ、隣に立つおばさんに促した。
 怪訝(けげん)な顔をするおばさんに、もう一度繰り返す。おばさんは、何が何やらわからないまま、(てる)に倣(なら)って壁に手を付けた。

 〈(てる)、おばさんって誰だ? 昨日のコも結局、誰だかわかんなかったし……〉
 「龍ッ!」
 〈母さんッ? どうして……?〉
 「龍ッ! ホントに龍なのねッ? どこに居るのッ? 心配掛けて……この子は……」
 「多分、今と同じ場所です。ここ、私たちが今、立ってる……この場所に」
 常盤が、確認するように言葉を区切って、影に手を伸ばす。

 「庄野(しょうの)君は、私たちと同じ場所に立っています」

 その言葉は、龍への宣言だった。
 三人は彼女の言葉の意味を考えた。
 急に、おばさんが壁に縋り付いて泣き出した。おばさんがどう解釈したのか、想像に難(かた)くないが、それでは、龍が死んでいることになる。
 「おばさん、龍は生きてるんですよ。壁に塗り込められたんじゃないんです」
 〈母さん〜……しっかりしてくれよ。俺は今、違う時代に居るんだ。ずっと昔の、遠い時代に……〉
 「そんなこと言ったって……あんたって子は……なんにも言わないで飛び出したっきりで……いつ帰ってくるのッ!」
 声が聞こえるせいか、おばさんの立ち直りは早かった。
 〈それは……〉
 口ごもる龍に代わって、常盤がきっぱりと言った。

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