ときのいわふね 08.追憶(2016年07月17日UP)

 中学二年の夏休み。
 (てる)は、龍の部屋で一緒に宿題をしていた。
 八月も半ばを過ぎ、(ヒグラシ)の声が響く。扇風機に飛ばされないようにプリントを筆箱で押え、二人で頭を抱えている。
 カルピスの氷が解けきって、乳白色の液を半透明に変えていた。
 (てる)は数学、龍は古文でそれぞれ詰まっている。朝から教え合っていたが、宿題の山はなかなか片付かない。
 いつしか二人は黙々と自分のプリントに向かい、黙って頭を抱え込んでいた。

 理系と文系。
 興味や得意分野は正反対だが、計画性のなさに関しては、何故か息の合う二人だった。
 龍の兄二人は、何でもコツコツ計画的にこなし、遊びに夢中になり過ぎて夕飯に遅れることもなければ、約束の時間に遅れることもなかった。
 龍は実の兄弟より、隣家の(てる)と仲が良く、周囲の大人たちも、この二人を兄弟扱いすることが多かった。
 龍の母はおおらかな人だが、父は厳格で、何かにつけ、兄二人を引き合いに出しては、時間にルーズな三男を叱りつけていた。
 そして毎年、こうやって二人揃って後悔しているが、小学生の頃からちっとも変っていない。
 こうして焦って額を寄せ合う日が、夏休み最終日ではなくなった分、少しは進歩しているのだろうか。

 「だぁ〜ッ! ちんぷん漢文だぁ〜ッ!」
 龍が畳にひっくり返った。(てる)もシャーペンを置いて、すっかり薄くなったカルピスを一口飲んだ。
 「こんなことしてる間にも、時間って流れて行くんだよな……」
 「時間が……流れる……」
 (てる)が何気なく呟いた言葉を繰り返し、龍は寝返りを打った。
 「何で時間が流れるのは、こんなに早いんだろうな?」
 「流れる? 流れ……」
 そう呟いたきり、何か考え込む龍を見詰めて、(てる)も黙り込んだ。
 窓の外では、夏の名残の入道雲が青空にむくむくと沸き起こっている。
 数学の宿題に視線を戻したが、脳みそが飽和状態で何も考えられない。
 朝夕は涼しくなってきたが、まだ夏の範疇だ。額から汗が滴(したた)り落ちる。

 カナカナカナカナ……
 カタカタカタカタ……
 チクタクチクタク……

 蜩(ヒグラシ)の声と、扇風機が首を振る音と、時計の針の音が重なる。
 (てる)は少しでも数学の問題を解こうと、プリントと睨み合い、龍は何を考えているのか、畳にひっくり返ったまま、天井を見つめていた。
 規則正しく刻まれる単調な音を聞いていると、眠気が誘発される。(てる)は音に抗(あらが)い、目をこじ開けてプリントを睨む。龍は虚空を見詰めていた。

 どのくらいそうしていたのか。
 蜩(ヒグラシ)はどこかへ飛んでしまったのか、部屋では時計と扇風機の音だけが刻まれていた。
 「流れには必ず源がある筈だ。その源を絶ってしまえば、時間は流れなくなる筈……だろ?」
 急に起き上がった龍が、(てる)に同意を求める。
 (てる)は黙って、ぬるま湯のようなカルピスを飲んだ。
 「川を堰(せ)き止めるみたいに……」
 「じゃあ、その源はどこにあるんだ?」
 当然の問いが口を()いて出たが、(てる)は答えを期待していなかった。
 龍が真剣に考え始めたので、釘を刺す。
 「龍……宿題やれよ」
 
 (てる)は枕元を手探りし、目覚まし時計を掴んだ。
 五時四十分。
 まだ秋の長夜(じょうや)は明けていない。目覚ましを置いて、布団を被り直した。

 チクタクチクタク……

 源を絶ってしまえば、時間は流れなくなる筈……

 カタカタカタカタ……

 朝日が昇るまでの微睡(まどろみ)の中で、(てる)は時計と扇風機の音と、龍の声を聴いていた。

07.彼女←前 次→  09.怪異
↑ページトップへ↑
【ときのいわふね】もくじへ

copyright © 2016- 数多の花 All Rights Reserved.