■碩学の無能力者-07.取り説 (2014年12月10日UP)

 作戦開始三日目の水曜。
 どうやらオカンは外泊したらしく、朝になっても玄関に靴はなかった。
 どうせなら、このまま帰って来てくれなくていい。
 教室に入ると女子に囲まれた。
 「ちょっとちょっと! 何で巴君のお母さんの事知ってんの?」
 「いつの間にそんな仲良くなってたの? どうして?」
 「あんたばっかりズルい!」
 何これ、怖い。
 巴はまだ来ていない。
 赤穂の姿を見つけて、目で助けを求める。赤穂は激しく首を横に振った。
 まぁ、そりゃそうだ。昨日、知らずに地雷踏んだ張本人じゃなぁ……
 教室を見回すと、包囲網に加わっていない女子もいた。須磨春花と塩屋さん、網干副委員長を含む真面目で大人しい系と、三次に無関心なオタ系と、彼氏アリのリア充達だ。
 他の男子は、とばっちりを恐れてか、目を合わせようともしない。俺は腹をくくった。
 「偶然……なんだ」
 「は?」
 「立ち聞き?」
 「うわ、盗み聞きとかサイテー」
 「あんただけ聞くなんてズルい!」
 いやいや。何でそんな発想になるんだよ。どういう超理論だよ?
 「フリマで偶然、巴に会ったんだ。その時に」
 「キャー! 私もフリマ行けばよかったぁ!」
 「その時に、辛い話もできる仲になったの?」
 「ズルいズルい! あんたばっかりズルい!」
 最後までちゃんと聞けよ。人の話。俺は強引に説明を続けた。
 「……その時に、巴んちの人に言われたんだよ。引越して来たばかりだから、色々教えてあげて、とか……まぁ、その……アレだから、仲良くしてあげて、とか……」
 「家族公認のお友達じゃん!」
 「えぇーッ!?いいな! いいなー!」
 「私も言われたいー!」
 「いやー! ズルいズルい! あんたばっかりズルい!」
 阿鼻叫喚。女子が大騒ぎしている中、西代が登校してきた。
 「はいはい、ちょいとごめんなすってよ」
 わざわざ、女子の囲みをおっさん臭い会釈で崩しながら、席に着いた。女子を遠巻きにしていた付近の席の男子も、西代班長に倣って着席する。
 女子は数人ずつで、チラチラと視線を交わし、何かブツブツ言いながら散って行った。
 巴は予鈴直前に入ってきた。

 家に近付いただけで、オカンが居るのがわかった。
 ステレオの音がダダ漏れ。それに釣られた近所の犬が、遠吠えを繰り返している。
 近所迷惑この上ないが、直接注意すると、何をされるかわからないので、周辺住民も俺と姉ちゃんも、泣き寝入りする他なかった。
 玄関を開けると、爆音に圧倒された。耳が潰れるどころの騒ぎではない。音と言うより、大気の振動と言った方がいい。最早「音の暴力」だ。
 素早くドアを閉めて、少しでもご近所さんへの迷惑を軽減する。
 デーレヴォを見られるとマズイので、今日は俺一人で家事をする。自室に戻って耳栓をして、黙々と味気ない作業に取り掛かった。
 腹と床に響く大気の振動は、ほぼ音響兵器。耳栓は気休めにしかならない。
 家事を終え、部屋に戻ってドアを閉めても、まだ全身に響く。
 窓ガラスがビリビリと共鳴して、その内、割れるんじゃないかと不安になる。何でオカンは、平気で爆心地に居られるんだ?
 音の暴力の中では宿題も休憩も不可能だ。
 体育の着替えの時、巴にそっと渡されたメモを開く。

 友田君へ
 昨日はありがとうございました。委員長がいじめっ子にされなくてよかったです。
 宗教(むねのり)叔父さんが「腕環を使って問題が起きていないか見たい」と言っていました。
 都合がいい日にうちに来てもらえるとうれしいです。
 巴より

 巴は、先生の名前に仮名を振ってくれていた。巴先生の名前「宗教」って書いて「むねのり」って読むのか……
 巴のケータイのアドレスも書いてあった。
 学校のあの状況では、会話もままならない。それはわかるが、巴とは、もう引き返せないくらい「友達」になってきてる気がする。
 赤穂のメルアドすら知らないのに、巴のメルアドゲット……。
 巴は単に俺を利用してるだけ、巴先生も腕環を研究したいだけで、友達扱いじゃない方が、気楽なんだが……参ったな……
 ノーパソを起動し、WEBメールを開く。プロバイダのメールは、家族全員使える上に、メインユーザがオカンなので、危険だ。
 友達っぽい誰かにメールするなんて、生まれて初めてだ。何を書けばいいのか……
 マウスを握る手が、じわじわ汗ばみ、頭がクラクラしてくる。
 音の暴力で身心にダメージを受けながらも、何とか用件だけ返信した。

 件名:友田です
 本文:こちらこそ、先日はありがとうございました。お昼ご飯おいしかったです。ごちそうさまでした。今週は金曜日の夕方なら大丈夫です。ケータイは持っていません。電話は無理です。レス遅くなります。すみません。友田より。

 金曜日はライブがある。
 台所のカレンダーに「♪18時〜FB」と書いてあった。意味は「ライブ、十八時開演。会場は湊区のライブハウスFireBird」。
 この日がダメでも、「♪日曜14時」や「♪水曜夜」など、オカンのライブ予定は、いちいち赤ペンで書き込んであった。だから、姉ちゃんは終わった月のページも、証拠として保管している。
 姉ちゃんが帰ってくる少し前になって、ようやく、大気の振動が止んだ。近所の犬も黙り、突然戻ってきた静寂に空気が張り詰めた。
 恐る恐る耳栓を外す。
 音の暴力から解放され、全身から力が抜けた。
 オカンは、やたら上機嫌で夕飯を終えた。
 機嫌が良くても、何かでスイッチが入ると豹変するので、一切、気を抜けない。こっちとしては、全く気が休まらない事に変わりはなかった。
 オカンが風呂場に行った事を確認し、部屋に戻る。
 「姉ちゃんゴメン。今日はオカンが家でステレオ掛けてたから、家事しかできなかった」
 「いいよいいよ。あんたのせいじゃないんだし。その分、夜に頑張ろう」
 昨日中止になった作戦を再開する。
 俺が、腕環を外すまで、姉ちゃんの指示に従うように言うと、デーレヴォは、いつも通り「かしこまりました」と返事をした。
 姉ちゃんが腕環を着けた方が話は早い。でも、バイトで疲れてる姉ちゃんに、こんな体力を消耗するマジックアイテムを使わせるなんて、とんでもなかった。男で、体力のある俺が使った方が、いいに決まってる。
 姉ちゃんは、透明化したデーレヴォを連れて、階段を下りて行った。
 ディスプレイに目を戻して、リロードする。巴からレスがあった。

 件名:Re:友田です
 本文:了解。金曜5時半に家で待ってます。

 ドライヤーの音が聞こえて暫くしてから、二人は戻ってきた。
 「今日、家事手伝ってもらってないんだっけ? 余裕ある? 大丈夫?」
 「えっ? あっああ、うん」
 「今夜、お母さんが眠ったら、メールを転送させたいんだけど、いい?」
 「うん」
 「一晩中だけど、いい?」
 「……うん?」
 「朝六時に返しに行かせる。それまで、腕環着けたままだけど、いい?」
 「うん」
 確かに、今夜はチャンスだ。俺は躊躇なく同意した。
 姉ちゃんは、オカンケータイについて、半笑いで語ってくれた。
 ロックのパスは、オカンの誕生日まんまだったので、あっさり解除。
 アドレス帳で、父ちゃんのメルアドその2に、例のフリメのひとつを登録した。
 新規メールの送り方がわからないらしく、来たメールへの返信ばかり。きっとアドレス帳がいじられた事にも、気付かないだろう。
 振り分け方がわからないのか、メールは、全て受信ボックスと送信ボックスに入っていて、最初からあるフォルダは、どれもこれも空っぽだった。
 「どうせフォルダ見ないし、過去のメールも見ないでしょ。こっちの作業がやりやすいようにしてやればいいのよ」
 姉ちゃんはそう言って、デーレヴォに指示を出した。
 透明化してオカンの部屋で待機。
 オカンが眠ったら、携帯電話と充電器を衣裳部屋に持って行き、充電しながら作業する。
 父ちゃん発・父ちゃん宛のメールは、何もせずにフォルダ1に移動。
 その他のメールは、古い物から順にフリメに転送。転送の履歴はすぐに削除。
 転送後、浮気相手らしき個人のメールはフォルダ2、通販とかの業者のメールは、フォルダ3に振り分ける。
 転送作業が進んでも、一昨日のメールまでで止める。終わらなくても、翌朝午前六時で作業終了。携帯電話と充電器を元の場所に戻し、腕環に戻る。時間までに作業が済んだ場合も、終了して同様に戻る。
 デーレヴォは、姉ちゃんにも俺に言うのと同じように「かしこまりました」と応答して、任務に就いた。
 俺は腕環を着けたまま、ベッドに入った。

 作戦開始四日目の木曜。
 姉ちゃんに起こされるまで、全く目が覚めなかった。
 目覚ましはどうした……時計を見て跳ね起きる。ギリギリだ。
 姉ちゃんは「腕環とお弁当、鞄に入れといたよ。じゃ、戸締りよろしく」と、先に出た。俺も制服に着替え、すっかり冷めた珈琲で食パンを流し込み、家を飛び出した。
 予鈴一分前に着席。
 授業中、起きているだけで精一杯だった。いや、ちょっと寝てしまった。頭がガクッとなって、足がビクッとなった。ダメ過ぎる。
 意識して背筋を伸ばし、黒板に注目する。先生の声が右から左に抜け、頭に入らない。
 昼休み、弁当を五分で飲み下して、後は寝て過ごした。
 体育のない日でよかった。そう言えば、ここ何日か筋トレしてない。そんな気力も体力も、残っていなかった。
 寝てるのか、起きてるのか、よくわからないまま、ふらふら家に帰る。横になると、そのまま明日の朝まで寝てしまいそうなので、気合いを入れて家事をする。
 体を動かしていると、少し目が覚めてきた。その勢いのまま、衣裳部屋でバッグ類を撮る。残りは化粧品とアクセサリー。これは明日以降にしよう。
 デーレヴォに会いたい。でも、それ以上に眠い。
 結局、睡魔に負けて、布団に潜り込んでしまった。

 暗い部屋で目が覚めた。ぼんやり明るい。寝返りを打つ。
 光源はノーパソの画面だった。
 22時56分。
 プリンタが次々と紙を吐き出している。
 姉ちゃんの姿はない。
 俺の机にラップの掛かった皿が載っていた。海老フライとオムライスとサラダ。スプーンとフォークも皿の中にある。
 ディスプレイに給紙のエラーメッセージが表示された。プリンタにA4用紙を補充する。
 皿の下にメモが挟んであるのに気付いた。

 晩ごはん

 姉ちゃんの字だ。そっか、寝てて遅くなったから、オカン達に食い荒らされないように、部屋に持って来てくれたんだ。やっと思考が働きだした。
 晩飯を口に運んでいると、階下からドライヤーの音が聞こえてきた。
 姉ちゃん、風呂か。
 食べ終わった食器を持って、台所に降りる。廊下の奥から姉ちゃんが出てきた。
 ドライヤーの音は続いている。
 「あ、起きた。それ洗っとくから、お風呂入んなさい。お母さん、もうすぐ終わるから」
 「今日……」
 姉ちゃんは、シーッと言って俺を黙らせ、親指で風呂の方を指差した。俺は無言で頷いて、トイレに行った。オカンと入れ替わりに風呂に入る。
 「鯉澄まだだったの? さっさと入って寝なさい」
 「はい」
 機嫌がいいのか、オカンは普通の母親みたいに言って、自分の部屋に引き揚げていった。
 今夜もシャワーだけで済ませて、部屋に戻る。
 姉ちゃんは更に何か印刷しつつ、フリメに転送した不倫メールを別のフリメに転送して保険を掛けていた。
 メールは……何かの暗号っぽかった。小文字と顔文字が乱れ飛び、誤変換だらけ。所々■なのは、絵文字の文字化けだろう。
 「到底、四十代のオバンのメールとは、思えないわ……」
 姉ちゃんが溜息を吐いた。
 「俺、こんなの解読できない……ってか、直視できない」
 「ギャルっぽくて痛いだけで、暗号ってワケじゃないから、私、読んどくね」
 「うん」
 頭はまだぼんやりしているが、体は大分マシになってきた。
 「ごめんね。一晩中無理させて」
 「えっいや、大丈夫」
 「メールの転送、お母さんがお風呂に入ってる間にやっといた。あの子、凄い処理早いのね。これで一昨日の分まで終わったから、今夜はもういいよ。ゆっくり休んでて」
 「何か……ごめん」
 「何で謝るの。腕環、私が着ければよかったのに、大変な事、あんたに押し付けて」
 「そっ……そんな事ない! ないから!」
 「……休むのも大事よ。倒れたら、何にもならないんだからね」
 「うん。……あ、明日の夕方、巴の家に呼ばれてるんだ」
 「えっ? 何で? 行くの?」
 「腕環の調子とか見たいって、巴先生が」
 「そうなの……じゃ、気を付けて行ってね。おやすみ」
 「うん、おやすみ」
 姉ちゃんは再びノーパソに向かい、俺は丸一日デーレヴォに会えないまま眠りに落ちた。

 作戦開始五日目の金曜。
 放課後、一旦帰って家事を済ませてから、巴の家に向かった。丁度いい頃合いに到着。
 玄関先で眼鏡も三つ編みもない巴の拡大コピーが、ポテ子を鎖に繋いでいた。
 「友田君?」
 「は……はい! あの、お邪魔します」
 「どうぞどうぞ、ごゆっくり。政晶がお世話になったみたいで、ありがとうね」
 「あ、いえ、その、お世話とかそんなんじゃ……」
 「うん。でも仲良くしてくれて、ありがとう。政晶と宗教、部屋で待ってるよ」
 推定・巴の父ちゃんは、笑いながらドアを開けてくれた。
 まともな親だ。羨まし……いや、これが普通だ。親子は、こういう会話が当たり前なんだよ。
 お礼を言って中に入る。
 「ようこそお越し下さいました。ご主人様達がお待ちでございます」
 玄関ホールで黒江さんが待っていて、巴先生の部屋に恭しく案内された。
 日曜と同じメンバーが揃い、俺と巴は軽く会釈した。
 「ごめんね、わざわざ来てもらって……」
 「いっいえっ! とんでもない! こちらこそ嬉しいです」
 巴先生に言われて恐縮する。一日デーレヴォなしで過ごして、かなり回復していたが、先生の顔を見た途端、残りの疲れも吹き飛んだ。先生に勧められて、日曜と同じ椅子に座る。黒江さんが紅茶を淹れてくれた。
 巴が心配そうに聞く。
 「友田君、大丈夫? 今日はマシっぽいけど、昨日は居眠りしてたし……」
 「あ、ああ、大丈夫。ちょっと夜更かししちゃっただけ」
 ……最低だ。本当の事を言ったら、先生に「腕環を返しに行きなさい」って言われそうな気がして、咄嗟に嘘を吐いてしまった。
 先生の言いつけを守らず、デーレヴォに表情を付けているのも気マズい。
 「腕環、もう少しよく見せてくれる?」
 俺は、腕環をポケットから出して先生に渡した。
 先生は真剣な表情で腕環を調べる。暫く色んな方向から見ていたが、何か見つけたらしい。内側の一点を見詰めて何か呟いた。
 腕環全体がぼんやり光って、空中にお盆のような光が浮かび上がった。
 「なっ……何ですか、それ!?」
 「んー……取扱説明書……かな? 内側に書いてあるコマンドワードを言ったら、展開するようになってたみたい。ちゃんと読むから、ちょっと待ってね」
 巴先生は、黒江さんに隣の部屋からルーズリーフとペンを持って来させた。ベッド付属のテーブルに腕環を乗せて、光の中に表示された文字を書き写す。
 少し時間が掛かりそうなので、金髪の女性に話し掛けてみた。
 「あ、あの、質問、いいですか?」
 「どうぞ」
 「失礼かもしれないんですけど、このお家の方とは、どういったご関係ですか?」
 「警備担当者です」
 「あ……あぁ、そうなんですか。ありがとうございます」
 何それ、怖い。
 【急降下する鷲】の警備が要るって、この家は一体、どんな魔物に狙われてるんだ!?
 「友田君、この間、鷲がどうとか言ってたけど、何の話?」
 「えっ? あれっ? 巴、知らないの?」
 巴の意外な質問に驚いて、問い返す。
 「自分が何を知らないのかも、わからないんだけど、何か知ってるの?」
 「ん? うん。俺が知ってるのは、ペンダントの意味。魔術師連盟【霊性の翼団】の身分証で、その人が専攻してる魔術の系統を示してるんだ。巴先生のは【舞い降りる白鳥】で、呪いの解除や術の解析、警備のお姉さんのは【急降下する鷲】で魔物退治の専門家」
 「へぇーそうなん……えぇッ!?この家、魔物に狙われとん!?」
 方言に戻る巴。
 うん。俺と同じ感想で安心した。
 「この家は、結界があるので安全ですが、念の為に常駐しています」
 「そしたら、いっつもおっちゃんの傍に居るん、おっちゃんが狙われとうからなん?」
 「数年前に拉致され、魔物の餌食にされかけた事があります。その件は既に解決しておりますが、再びそのような事がないように、私がお傍に居ります」
 「あれっ? 黒江さんって、人間よりも強いですよね? 誘拐……」
 「魔法の武器で傷を負わされッ、ご主人様をッ、お守りできませんでしたッ!」
 俺は、また、黒江さんの地雷を踏んでしまったらしい。
 泣きそうな顔で睨まれ、言葉を失う。
 「クロ、おいで、だっこしよう」
 先生が翻訳の手を止め、優しく声を掛ける。
 にゃんこ形態になった黒江さんは、先生の腕の中に飛び込んだ。先生は黒猫を抱きしめて、背中を撫でながら言った。
 「よしよし。クロは人間に悪さしないいい子だもんね〜。そもそも、僕が大袈裟だと思って、警備を断ったのがいけないんだから、クロは気にしなくていいんだよ」
 先生にしっかりしがみついた黒猫は、落ち着いたのか、目を閉じて喉を鳴らし始めた。
 あやされてゴロゴロ言う姿は、猫そのものだが、先生の本で見た黒江さんの正体は、体長五メートルで、悪魔っぽい外見の魔法生物だ。アレを行動不能にするとか、どんな達人が、どれだけ強力な魔法の武器を使ったんだよ。
 「この種類の使い魔は戦う力を付与されておりませんので、護身用には適さないのです」
 警備のお姉さんが説明してくれた。
 「……ですが、直接戦う力がなくとも、身を守る方法はあります」
 「どうやってですか?」
 「まずは生き延びることを最優先に考え、落ちついて状況を判断し、行動する事です」
 魔法戦士の言葉に目から鱗が落ちた。相討ちで敵を倒しても、自分の未来はない。
 ……まずは生き延びる事……か。
 「そして、知識を持って知恵を使う事、一旦、安全な場所に逃げる事、自分より強い者や、自分とは異なる力を持つ者に、助力を求める事……ですね」
 流石に戦士の言葉は重みが違う。きっと実戦経験が豊富なんだろうな……
 「尤も、使い魔には、自ら判断して行動する事はできません。仮に戦う力が付与されていたとしても、主が適切な指示を与えられなければ、同じ事です」
 説明は途中から巴先生へのお説教になり、先生は暗い顔で俯いた。俺も気を付けよう。
 ……それにしても気マズい。
 巴と顔を見合わせる。巴は首を横に振って紅茶をすすった。俺もカップに口をつける。
 先生は使い魔をだっこしたまま、翻訳を続けた。黒猫は先生の脇の下に顔を突っ込んでゴロゴロ甘えている。戦闘用じゃないにしても、メンタル弱過ぎだ……
 ゴーレムのデーレヴォはどうなんだろう? 涙を流す事があるんだろうか?
 「友田君、この間はありがとう」
 「ん?」
 「弁当……」
 「あ、いや、俺、余計なコト……でしゃばっちゃって……」
 「そんなコトないよ。ありがとう。助かった」
 あれ以来、巴は腫れもの扱いと言うか、女子にやたら話し掛けられなくなった。前みたいにキャーキャー騒がず、かと言って、明白(あからさま)な同情は失礼だと心得ているのか、それとも、どう接していいかわからないのか、女子同士で牽制しつつも、巴からそっと距離を置いて、静かに見守っている感じだ。
 男子も、嫉妬が同情で緩和されたのか、教室の空気はかなり和らいでいた。
 「えっあっあぁ……うん。ど……どうも……」
 やべぇ……こう言う時、何て返せばいいんだ……
 真っ直ぐな目で感謝を伝えられて、俺は狼狽えた。こう言うの、初めてだ。
 学校の奴とか、姉ちゃんや親戚を手伝って言われるお礼は、礼儀として当たり前の言葉で、割と軽いノリだ。
 オカンとクソ兄貴は、俺と姉ちゃんが働くのは、当たり前だと思っているから、一言のお礼もない。遅い、不味い、これじゃない、と文句の類しか言われた事がない。
 「もし、友田君が困っとったら必ず助ける。何かあったら絶対言うてな」
 巴はそう言って手を差し出した。
 こんな深くて重い感謝、生まれて初めてだ。どうすりゃいいんだよ、これ……
 「援助の手は、罠や後難の惧れがない限り、拒む物ではありません」
 名前も知らない魔法戦士に諭された。
 魔法の国には、本名を他人に教える習慣がなく、家の紋章で呼ぶ。名前を尋ねるのは、プロポーズでない限り、失礼にあたるので、聞く事もできない。
 俺は、おずおずと巴の手を握った。巴は俺の手を固く握り返してくれた。

 その日は、取扱説明書の日之本語訳だけで、帰る羽目になった。
 俺が余計な事を言わなければ、他の話もできたのに……俺のバカ。
 姉ちゃんはまだ帰っていなかった。
 部屋で取扱説明書を読む。概ね、先生の予想と、デーレヴォが自分で説明してくれた通りだった。新しくわかった機能はふたつ。

 通常兵器による攻撃は無効。緊急停止には、使用者から腕環を奪うか、ゴーレムを魔法か魔法の武器で攻撃し、破壊する事。
 合言葉で動力源の切替えが可能。体力から魔力への切替えは【アルセナール】、魔力から体力へは【アルハイブ】と唱える。体力で使用する場合は、使用者が死亡する恐れがある為、用のない時は腕環を外す事。

 ……ひょっとして、俺、かなりヤバかった?
 心配するから、これは姉ちゃんに見せないでおこう。

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