■碩学の無能力者-01.新学期 (2014年12月10日UP)

 印歴二二一三年四月、中学生活の二年目が始まった。
 帝都の空はうっすらと雲に覆われ、晴れとも曇りともつかない曖昧な天気だ。
 「君たちは、先輩が卒業して後輩が入学した中堅の学年で云々……」
 始業式で校長先生が、新二年生に向けて何やら有難そうな話をしていたが、部活に入っていない俺には、ほぼ無関係な話だった。
 委員さえ押し付けられなければ、他学年との接点は、ほぼ無くなる。
 今年も空気に徹していれば、回避できる筈だ。
 俺は、他学年に上下を挟まれた事よりも、クラス替えの発表に戦慄していた。
 よりにもよって、決して同じクラスになってはならない者と、絶対に接触してはならない者が、同じクラスになってしまった。

 前者は塩屋七海(しおやななみ)。小学校は他校出身。去年同じクラスになった。
 誰もが思わず振り向くような美少女ではないが、充分可愛くて女の子らしい女の子だ。校則をきちんと守って長い黒髪を地味な色のゴムでまとめ、スカートは膝下十センチ。まじめで大人しい系の女子グループに所属している。去年はベルマークの集計をする厚生委員をしていた。
 どこのクラスにも数人は居る、目立たない普通の女の子だ。
 ほんの二か月前、バレンタインにチョコを渡されそうになって、全力でお断りした。
 俺には事情があって、塩屋さんの事を好きかどうかとは関係なく、誰からもチョコを受取る事ができない。
 事情が特殊過ぎて上手く説明できず、しかも生まれて初めて女の子に好意を向けられる事態に、狼狽えてしまった。

 「ダメ! 無理! オカンが怒るから! ヤバイ! ぜ……絶対ダメ! ヤバイから!」

 放課後、吹奏楽部のパート練習の音が鳴り響く校庭の片隅で、叫んでしまった。
 塩屋さんは、精一杯頑張ったのであろう、手造りらしき拙い包みを抱え、絞り出すような声で、ごめんね、と言い残して、俯いたまま帰って行った。
 冬の弱々しい夕陽を受けたリボンが綺麗だった事を、やけに鮮明に覚えている。
 翌日、塩屋さんは学校を休んだ。
 それ以来、俺は塩屋さんに避けられ、塩屋グループの女子に白い眼で見られている。
 女子グループに「マザコン」と罵られないと言う事は、塩屋さんは、俺が口走った事をみんなには、言っていないのだろう。
 いい子だ。俺には勿体ない。
 そして、申し訳なさ過ぎる。
 また一年間、俺と同じ教室で過ごす事に、塩屋さんの精神が耐えられるのか。心配だ。
 だが今の俺には、塩屋さんが早く他の奴を好きになって、俺を忘れてくれるように祈る事しかできない。
 自分の無力が歯痒い。
 俺なんかより、もっとイイ奴を紹介できればいいが、幼稚園から今まで辛うじて友達と呼べる奴は、オカルトマニアで有名な「変人」赤穂(あこう)しかいないので、それも不可能だ。
 俺は、外見も成績もスポーツも平均点くらい。
 ぼっちで、部活に所属せず、休み時間は予習か読書。昼休みは一人で弁当を食った後、図書室に入り浸り。授業で当てられた時以外は、喋らない。教室では空気だ。
 塩屋さんが、俺のどこをどう見て、チョコをくれようと思ったのか、謎だ。
 コミュ障のぼっちが可哀想だから、義理チョコくれてやるよ……
 という雰囲気ではなかったし、その後の反応からも、塩屋さんの本気が窺われる。
 こんな俺なのに、一日学校を休むくらい、本気で想ってくれた。
 そんな塩屋さんを危険から守れた事だけが、唯一の救いだった。

 後者……「絶対に接触してはならない」須磨春花(すまはるか)は、本気で洒落にならない。
 最悪の場合、死傷者が出るかもしれない。
 俺と須磨春花の家は隣同士。同じメーカーの建売住宅で、新築当時……俺達が生まれる前から住んでいる。
 何もなければ、幼馴染として育つ筈だった。
 事件は、俺達が一歳の冬。バレンタインデーに起こったらしい。
 経緯は、幼小の頃から折に触れ、祖父ちゃん祖母ちゃん姉ちゃんに説明されている。
 だが、俺の理解の範疇を超えていて、何度聞いても意味がわからない。
 言語的な意味は理解できても、何故そうなるのか……因果関係がさっぱりわからない。
 取敢えず理解できた事は、ウチのオカンがマジキチで、須磨さん一家や近所の人、姉ちゃん達が通っていた幼稚園に、迷惑を掛けまくった……という事だけだ。
 当時、俺の姉ちゃんと須磨春花の兄ちゃんは、幼稚園の年中組だった。他の幼稚園は遠かったり、費用が高かったりするので、この辺の子は大体みんな同じ園だ。
 祖父ちゃんには「女の子と仲良くなるのは、一人前になって独立してからにしなさい」と、噛んで含めるように言われた。
 祖母ちゃんには「女の子とお友達になるのは、大人になって家を出てからにしなさい」と、繰り返し何度も言い聞かされた。
 姉ちゃんには「男の子のお友達も家に連れて来ちゃダメ。教室とか、外から見えない所で遊んで、絶対、お母さんにバレないように気を付けて」と悲愴な顔で言われた。
 オカンには、姉ちゃんと俺だけ、交友関係にケチを付けられ続けて育った。
 父ちゃんは元々出張が多く、現在は単身赴任中。たまに家に居ても寝てばかり。
 クソ兄貴が俺に絡んでくるのは、八つ当たりする時だけなので、全く会話が成立しない。
 須磨春花の兄ちゃんは、国立大学附属小学校を受験し、現在は、附属高校の寮に入っている。
 須磨春花は、兄ちゃん程勉強が得意ではないらしい。小中と受験に失敗し、仕方なく俺と同じ瀬戸川区立に通っている。
 お互い持家でローンがあって、そう簡単には引越しできないからだろう。
 事件後、警察と弁護士の介入で、両家の間に不可侵条約のようなものが締結された。
 以来、俺達……友田家と須磨家の人々は、没交渉を守っている。
 須磨春花とは同い年で、幼小中と同じ所に通っているが、一言も喋った事がなく、挨拶すらした事がない。
 ある朝、通学路で距離を保つ為に、春花の動きを目で追っている所を見つかり、その場でオカンにボコられた。それ以来、春花の姿を直視する事も避けている。
 近所の人達も事情を知っている為、回覧板の順番やゴミ捨て場の掃除当番等、町内会活動では、配慮してくれていた。
 だが、自分の家の子が、俺達三兄姉弟(きょうだい)と遊ぶ事は、禁止しているらしい。
 俺と姉ちゃんには、友達と遊んだ記憶が、幼稚園のほんの一時期しかない。
 小学校の時にも一度、俺達は同じクラスになってしまった。俺は小二の始業式の日、担任に頼んで、電話で祖父ちゃんを呼び出して貰った。
 校長先生や他の先生とも話し合った結果、「書類ミス」という事にして、俺は翌日隣のクラスに移された。
 こうして不可侵条約が守られ、小二の惨劇は回避された。
 小学校からの引継ぎで、中学校にもこの事は伝わっている筈だ。
 瀬戸川(せとがわ)区立第一中学校は、十数年前の事件を「既に終わった事」として、処理してしまったのだろうか。

 俺は、溜息を吐いて窓の外に目を向けた。
 桜は三日前の雨で散り、花弁の残骸が、グラウンドの隅にこびりついている。
 教室では、お決まりの自己紹介が進んでいる。
 座席は出席番号順。
 男女各一番の赤穂潮(あこううしお)と網干翠(あぼしみどり)が、問答無用で学級委員に任命され、場を仕切っている。
 赤穂と同じクラスになれたのは、僥倖だった。
 俺と姉ちゃんは、バレンタイン事件とその後に起きた騒動で、色々と諦める癖がついた。
 誰かと仲良くなると、オカンに全力で潰される。
 恐怖と、相手への申し訳なさで、一人も友達を作らなくなった。
 遊びに誘われても断って、断って、断って、断って、断って、ぼっちを貫いている。
 姉ちゃんはトラウマになっているらしく、卒業アルバムや卒業生名簿も家に持って帰らず、学校で捨てていた。
 「私なんかとは、少しでも接点残さない方がいいから」
 そう言った姉ちゃんは、怖いくらい無表情だった。
 俺も姉ちゃんに倣って、小学校の卒アルと名簿は捨てて帰り、幼稚園の卒アルも大掃除の時に捨てた。修学旅行や遠足では、常にカメラマンの背後に回り、集合写真以外、全て回避したので、そもそも俺は最低限しか載っていない。

 赤穂潮は、小五の時に同じクラスだった。
 俺は誰とも遊ばず、会話もしなくていいように、休み時間は、都立図書館で借りた本を読んで過ごしていた。
 ある日「魔術師連盟 霊性の翼団概要」という国際機関のガイドブックを読んでいたら、赤穂が食いついてきた。
 「友田君、魔法に興味あんの?」
 俺は本から目を上げもしなかった。普通の奴はここで退く。
 「俺も超! 興味あるんだ! 魔力がなくても使える術もあるんだって! 俺達でも頑張ったら魔法使いになれるとか、夢広がりまくりだよな!」
 「えっ」
 そんな事は初耳だった。
 ここ……日之本帝国(ひのもとていこく)は科学文明の国で、魔力を持っている国民は、ごく僅かだ。それも魔法文明国の人とのハーフとかで、純粋な日之本帝国人では、皆無といってもいい。
 俺も赤穂も純日之本人だ。
 「俺さ、中学になったら、魔術士検定受けるんだ。友田君、魔検知ってる?」
 「え……? あぁ、うん」
 霊性の翼団とは別の魔術士連盟「蒼い薔薇の森」が実施している検定だ。
 初歩的な魔術を使う技能や、魔法の知識レベルを認定する初心者向けの検定試験。ぶっちゃけ、ガチの魔法文明国では、お子ちゃまレベル。
 主に魔法と科学を折衷している両輪の国と、科学文明国向けの検定だ。
 日之本帝国で魔検を受けても、就職とかで有利になる訳ではない。知る人ぞ知る趣味系のマイナー検定扱いだ。
 「うおぁあぁ! 知ってるッ! 初めてだッ! 魔検知ってる奴! 初めて会ったよ!」
 「俺に関わるな」
 俺の肩をバンバン叩いて大喜びしている赤穂に、なるべく冷たく言ってやった。
 「何で? オカルト仲間じゃん。あ……霊性の翼団しか認めないとか?」
 「違う。そうじゃなくて……」
 俺は事件の詳細は伏せて、俺と関わり合いになると、酷い目に遭う事だけを説明した。
 それでも、赤穂はめげなかった。
 「平気平気。災難除けの護符持ってるから、大丈夫だって」
 仕方なく「会話は学校内のみ、絶対にウチに来ない、電話もしない」と約束させた。
 小六と中一は別のクラスだったが、放課後に三十分程、教室に残ってオカルト話に興じた。
 俺にとって、その三十分はギリギリの自由時間だった。

 同じクラスになった今年は、もう少し赤穂と話せるかもしれない。
 瀬戸川区立第一中学校二年三組。
 小学校の時と同じ手段を使えば、俺はこのクラスに居られなくなる。
 だが、須磨春花達の命には代えられない。
 赤穂、塩屋さん、須磨春花。三人をオカンから守るには、そうするしかない。
 俺は無力だ。
 大人になんとかしてくれるように、頼む事しかできない。
 自分の無力が歯痒い。
 魔法か何かで、オカンを大人しくさせられればいいのに……
 それが、俺のオカルト研究の最大の動機だ。
 それが可能なら、姉ちゃんも助けられるのに。

 自己紹介の順番が近付いてきた。
 前の席の茶髪野郎が、教卓の前に出てこちらに向き直った。
 俺は「選択ぼっち」なだけで、空気が読めなくてナチュラルに友達が居ない訳ではない。
 茶髪が、モデルかタレント並のイケメンで、こいつが前に立った途端教室の空気……特に女子の目の色が変わったのが、わかった。それに対して、男子が一瞬殺気立ったのも、ひしひしと肌で感じた。
 塩屋さんは一番後ろの席だ。俺の席からは見えないので、反応は不明。競争率は高そうだが、好きになるのは自由だ。是非とも、このイケメンに一目惚れして欲しい。
 「巴政晶(ともえ まさあき)です。春休みに商都(しょうと)から引越してきました。宜しくお願いします。それと、髪の色は生まれつきです」
 外見はよかったが、雰囲気は最悪だった。
 ぼそぼそと滑舌が悪く、全身に負のオーラを纏っていて、死んだ魚のような淀んだ目をしている。髪の色と男子の嫉妬でいじめられ、女子の醜い争いに巻き込まれて、もううんざり……ってとこか。どうせ転校の理由も、その辺にあるんだろう。
 馬鹿馬鹿しい。
 本人にとっては大変な事だろうし、不幸だろう。でも所詮、相手は同年代の子供だ。
 俺みたいに大人……それも自分の母親が敵で、隣人や同級生を守る為に孤独を強いられ、戦わなきゃならない訳じゃない。
 父ちゃんは、単身赴任。
 クソ兄貴は、オカンの味方で、つまり敵。
 祖母ちゃんは、三年前に亡くなった。祖父ちゃんは、今年の一月に倒れて入院。今は退院して、愛子叔母さんの家で介護を受けている。
 愛子叔母さん達……都内に住む親戚には、これ以上迷惑を掛ける訳にいかない。
 俺の味方は、姉ちゃん唯一人。
 巴は少なくとも両親が味方だから、いじめられても、遠くに引越せたんじゃないか。
 「ハーフじゃなくて十六分の一だけど、こんな色です。脱色とかはしてません」
 巴は、ちょっと商都訛のある発音でそれだけ言うと、席に戻った。前の学校で何の部活やってたとか、言わないんだな。
 入れ替わりに、同じ出席番号の女子が前に出る。本当は全然違うキャラなのに、明らかに巴を意識した「大人しくて優しくて家庭的な女の子」アピールをして、女子に引かれていた。普段の姿を知っている男子も、ニヤニヤしている。
 俺の番が回ってきた。
 「友田鯉澄(ともだりずむ)です」
 一応、小さくお辞儀して席に戻る。
 誰とも友達になってはいけない俺には、みんなと仲良くなる為に開示できる情報なんて、何もなかった。

 放課後。
 俺は職員室で、担任の明石(あかし)先生に、これまでの経緯とクラスを替えて欲しい旨を伝えた。
 途中、何度も噛んだり詰まったりしながらも、何とか話し終えた。
 鼓動は激しく、椅子に座っているのに膝が笑い、顔は熱いのに、背中には冷たい汗の川が流れていた。
 明石先生は、手帳にメモを取りながら最後まで黙って聞いて、口を開いた。
 「小学校からの引継書は読んだよ。もう十年以上経って、当時とは状況もかなり変わったと思うが……心配か?」
 「その時、俺はまだ、赤ちゃんでしたし、他にも色々ありましたし……」
 「最近のお母さんの様子は、どうかな?」
 「最近……いえ、小一の頃から、母は留守がちで……よくわかりません」
 「まぁ、何かあったら、お父さんや須磨さんのお家の人と、相談しよう」
 お人好しで穏やかで「仏の明石」と呼ばれる数学教諭は、俺の肩をポンと叩いた。
 「心配する気持ちはわかる。でも、お母さんは、校内を見られないじゃないか。須磨さんとも、学校では普通に話しても大丈夫なんじゃないか?」
 仏の明石、わかってねぇ!
 世の中、性善説で見てたら、命が幾つあっても足りないよ!
 須磨家の人達が、どんだけヤバイ目に遭ったと思ってんだ!
 引継にも載ってるだろ! 警察沙汰だよ! 事件なんだよ!
 俺の心の声に気付く事なく、担任はお茶を一口飲んで、穏やかな声で言った。
 「わざわざ、お母さんに告げ口する子が、居ると思うか? 同じクラスでなくとも、小中と、同じ学校に通う事については、も言ってないんだろう? 大丈夫だよ」
 仏の明石の慈愛に満ちた微笑みに、うっかり和みそうになり、気合いを入れ直す。
 おっさんは他人事だから、余裕で笑ってられるんだよ。
 大丈夫の根拠を教えてくれよ、先生!
 「あ……あの、でもホント、マジで、迷惑掛けたくないんで……」
 「友田君はしっかりしてるんだな。子供なんだから、大人の……保護者であるお母さんの行動の責任なんて、君が背負わなくてもいいんだよ」
 大人も子供も関係ない。今ここで誰かが何とかしないと、また警察沙汰になる。
 今度こそ、刑事事件として、起訴されるかもしれない。オカンが犯罪者になる。
 そうなったら、俺と姉ちゃんの人生は詰む。
 「これからは、お母さんのご両親とお父さん、それと、先生に任せておきなさい。君の仕事は勉強や部活を頑張って、中学生らしく恋や遊びを楽しむ事なんだ。わかるね?」
 俺は尚も担任に食い下がった。
 「あの……でもホント、ウチの母マジでヤバくて……!」
 「何かあったら、先生が責任を取る。大人だからな。……腹減ったろ? 今日はもう帰りなさい」
 何か起こってからじゃ……誰かの人生が終わってからじゃ取り返しがつかないのに……
 仏の明石は、引出しからバタークッキーの小袋を出して、俺の手に握らせた。
 今日は……いや、子供の俺が、一人で食い下がっても無駄らしい。
 仕方がない。誰か親戚に言って、話を付けてくれるように頼もう。
 俺は礼を述べて、職員室を後にした。

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