■薄紅の花 03.カルサール湾-25.別れの宴 (2015年08月23日UP)
季節は巡り、再び夏が訪れた。
双魚は間もなく、ここを発つ。
魔道書の薬を全て作ることはできなかったが、材料がないのでは仕方がない。
背負い袋の荷を点検し、この一年で得た知識を整理し、まとめた。
出発前夜、村人総出で送別の宴を設けてくれた。
魔法使いの宴席に酒はない。
遠い、遠い昔、三界の魔物が産まれる前には、酒も供されていたらしい。現在では、薬の材料として細々と作られるだけで、楽しみの為に呑む魔法使いは居ない。
酔って居る時に魔物に襲われては、ひとたまりもないからだ。
魔力を持たない人々の間では、冠婚葬祭の折に、供されるようになってきたと聞く。
広場に集まり、灯を点し、色とりどりの敷物を広げる。心尽くしの料理と香草茶が、宴席を彩った。
満天の星々の許、村に伝わる陽気な歌や、山々の加護を願う歌が歌われる。
村人達は、次々と双魚の許を訪れ、感謝を伝えた。双魚も、村人達に同様の謝意を返す。
譲葉は、拗ねてぐずっていたが、祖父の三ツ矢に促され、双魚の許に来た。祖父の上着の裾を掴んだまま、俯いて何事かごにょごにょと言う。宴のざわめきに紛れて聞き取れない。
双魚が身を乗り出すと、一声叫んで泣きだした。
「行っちゃヤダッ!」
宴席が静まり返る。
三ツ矢が孫娘を抱き上げ、あやす。
「最初から一年の約束だろう。約束を破らせるようなことを言うでない」
村長が諭すが、譲葉は頑是ない。三ツ矢は小さく頭を下げ、孫をあやしながら、宴席の隅に移った。
双魚が腰を浮かせるのを、村長が手で制した。
「甘やかさんでくれ。もう、言い聞かせればわかる年頃だ」
「あらあら、すっかり懐いちゃって、うふふ」
老婆が豆菓子の鉢を手に、譲葉の所へ行った。老婆とは言え、三ツ矢の三分の一程の年齢だ。毎年重ねた年齢が、皺となって刻まれている。
老婆は、皺くちゃの顔をさらに皺くちゃにして、譲葉にやさしい笑顔を向けた。
「よしよし、お兄ちゃんとお別れするの、悲しいねぇ。おばあちゃんも一緒よ」
幼子は、涙と洟でぐしゃぐしゃの顔を老婆に向けた。
三ツ矢が何か言い掛けたが、老婆は目顔で黙らせる。
「お兄ちゃんにいっぱい教えてもらえて、よかったねぇ」
譲葉は、しゃくりあげながら、小さく頷いた。
「お兄ちゃんとお薬作るの、楽しかった?」
譲葉は、老婆をじっと見詰め、こくりと頷いた。
「そう。よかったねぇ。教わったこと、ちゃんと覚えられた?」
「うん」
小さな薬師は、しっかり頷いた。
「そう。お利口さんねぇ。譲葉ちゃん、お利口さんだから、お約束、守れるね?」
譲葉は再び顔を強張らせたが、泣き出しはしなかった。遠縁の老婆は、菓子鉢を手にニコニコしている。
三ツ矢は孫娘を抱きしめ、髪を撫でた。祖父の胸に顔を埋めて甘える譲葉に、老婆が話し掛ける。
「お兄ちゃんと作ったお薬、たぁっくさぁんあるねぇ。幾つ作ったの?」
「わかんない。いっぱい……お部屋の棚全部」
「凄いねぇ。棚いっぱい作ったの。頑張ったねぇ」
老婆が心底、驚いて褒め、譲葉の頬を撫でる。譲葉はくすぐったそうに横を向いた。
「それだけ出来たら、譲葉ちゃん、もう立派な薬師さんねぇ」
何も言わず、譲葉は祖父の胸に顔をこすりつけた。
双魚は村長の隣で、気もそぞろに見守っている。声を掛けていいものかどうかさえ、わからない。
老婆は返事がなくとも、お構いなしに話し続ける。
「お兄ちゃんが旅に出ても、譲葉ちゃん、一人でできるわねぇ」
譲葉は、祖父の服をぎゅっと掴み、何も言わない。
「遠くに行っても、譲葉ちゃんが覚えてる限り、ずーっと、お兄ちゃんが教えてくれたことは、消えないで、ここに残ってるのよ」
三ツ矢は孫娘を抱き直し、老婆に向き直った。譲葉は難しい顔で、老婆の話に耳を傾けている。
「お兄ちゃんの代わりに、お兄ちゃんが書いてくれたお薬の作り方、大事にして持ってようね」
「……うん」
「譲葉ちゃん、賢いコだから、ちゃんとわかってるよね? お兄ちゃんは旅の途中で、ここにはちょっと居るだけで、遠くにご用があるの、知ってるね?」
「……うん」
「ちょっと我儘、言ってみただけだよね?」
正面から言われ、譲葉は渋面を作った。
「譲葉ちゃん、これ、好きよね? お兄ちゃんに、これ『はい』して一緒にお食べ」
譲葉は、祖父の服から手を放し、だっこを抜けて滑り降りた。老婆から菓子鉢を受け取り、双魚の許へ駆けて来る。
「はい」
「くれるの? ありがとう」
双魚は何も見ていなかったことにして、小さな手が差し出す菓子を摘まんだ。
炒った豆に糖蜜を絡めた菓子だ。甘く香ばしい豆を噛み締める。素朴な味に思わず頬が緩む。
譲葉と目が合った。
「これ、おいしいな」
「うん! 赤いお豆がお日様の恵み、黒いお豆が大地の恵み、緑のお豆がお山の恵み。みっつの恵みがありますようにって、お豆さん」
「へぇ。そうなんだ。そんなに有難いお菓子なんだ」
「うん」
嬉しそうに笑い、譲葉は自分も豆菓子を頬張った。
ポリポリ、ポリポリ、ポリポリ……
幸せを願う味が、甘く口にいっぱい広がる。三色の豆を飲み下し、双魚は譲葉の頬に手を触れた。
「譲葉も、お日様と大地とお山の恵みを受けて、幸せになるんだよ」
「うん」