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■薄紅の花 03.カルサール湾-07.山中の里 (2015年08月23日UP)

 日当たりのいい斜面に小さな集落があった。
 腰の高さの土塀に囲まれた二十戸程の小さな村だ。周囲に細い踏み跡はあるが、道らしい道はない。
 山の民が、自分の額を指差し、何か言った。
 よく見ると、額に撒きつけた布の刺繍は、家紋の周囲に魔除けの呪文をあしらったものだった。
 山の民は、三本の矢が三角形を描く家紋を指し、もう一度、同じ言葉を発した。山の民の言葉で「三ツ矢」と言っているのだろう。
 双魚は小枝を拾い、足許に魚を二匹描いた。湖南語で「双魚」と言い、自分を指差す。
 三ツ矢もすぐに理解し、口の中で何度か「双魚」と繰り返し、頷いた。

 連れ立って村に入る。
 家々は、土と木でできていた。小ぢんまりとした平屋建てで、家とは別に家畜小屋がある。
 村の中央に広場があり、老婆達が井戸端でお喋りをしていた。二人に気付き、声を掛ける。
 三ツ矢が朗らかに応じ、双魚を紹介する。
 三人は皺が重なり、垂れ下がった瞼を大きく見開き、双魚を見た。深い年輪の刻まれた顔に、喜びと驚きが弾ける。口々に何か言いながら、双魚の手を握り、肩を叩き、歓迎する。
 熱烈な歓迎を受け、双魚は困惑した。
 辛うじて、「薬」「作る」の二語だけ聞きとることができ、この村が相当、医師の不在に苦しんでいることが察せられた。

 三ツ矢が何事か言って、老婆達を落ち着かせ、双魚を広場に面した家に案内する。扉の前で声を掛け、返事を待たずに中に入った。
 月光に似た【灯】に照らされた部屋で、三ツ矢と同年代と思しき男性が、作業台に向かっていた。盆のような石板に小型のノミで模様を刻んでいる。手を止め、顔を上げた。
 三ツ矢は、先程と同じ言葉で双魚を紹介した。
 男性は、満面の笑みで立ち上がり、相互を抱きしめた。双魚は思わぬ歓迎に戸惑い、男性の腕の中で身を固くする。

 どれだけ困ってたんだろう……まさか、医者としてずっとここに居てくれ、なんて言われないよな……

 双魚はあまりの喜び様に不安を覚えた。
 男性が、額の布を指差し、自己紹介する。八枚の葉が円を描く家紋。
 葉の輪は、カルサール湾西部の言葉を知っていた。船乗り同様、流暢に話す。
 「俺はこの村の長、葉の輪だ。暫くここに留まって、薬を作ってくれるそうだな。ありがたい。材料は村の者に採って来させるから、何でも言ってくれ」
 「えーっと、あのー……作るのはいいんですけど、暫くって、どのくらいですか?」
 「急ぐ旅ではないと聞いたが……急ぐのか?」
 「そんな急ぐ訳じゃありませんけど、俺、長命人種かどうかわかりませんし……」
 村長・葉の輪は、笑って答えた。
 「そう言うことか。流石に何年も引き留める気はないが……そうだな、期間は決めておいた方がいいな」
 少し考え、双魚に提案する。
 「村に【思考する梟】の魔道書がある。あれに載っている薬をできるだけ作ってくれないか? 全てできずとも、来年の今頃には出発してくれて構わん。どうだろう?」
 双魚は、村長の提案について考えてみた。

 【思考する梟】は、術の代わりに薬で傷や病を癒す。薬師が属する学派だ。婚姻で医師の資格を失った者が多い。
 薬の調合に術を用いる。無から有を創り出すことはできない。同じ素材でも、別の呪文で素材の霊的な組み合わせを変更することで、全く異なる薬を作ることができる。
 素材や薬学の専門的な知識がなければ、扱いが難しい。

 双魚は養父母から、断片的に教えられていた。体系的にまとめられた書物を読ませてもらえるなら、勉強になる。
 いい機会だ。
 本に掲載されている薬を全て作るのは、材料の調達の都合で、恐らく不可能だろう。
 一年で出発できるなら、悪くない話だった。
 「こちらこそ、よろしくお願いします。勉強になって、助かります」
 「ありがたい。それでは、よろしく頼んだぞ。必要な物は何でも言ってくれ」

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第03章.カルサール湾
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