■リネンの下に 01.高架下(2015年10月31日UP)
強風が雲の衣を吹き払い、太陽が本気を出した。
梅雨の晴れ間は、一足早い夏日となった。地肌には、射られるような暑さで……痛い。
日射しを避けに高架へ入る。
古くからある猥雑な商店街だ。通路に品々山を成し、時と埃が降り積もる。醸された市(いち)の力に魅せられて、老いも若きも訪れる。古道具、舶来の品、中古、ジャンク屋、薬屋、飯屋、服屋、靴屋に化粧品。近頃は、画廊やライブ、素人フリマ、ただでさえ、雑多な場が更に混沌、濃密な欲と夢との坩堝と化した。
日の射さぬ高架下では、乾いた風が埃を纏い、妙な熱気を運んで溜める。
幸照(ゆきてる)は、ふと足を止め、ガラスケースに目を向けた。
帽子屋だ。
看板はない。ややくたびれた品ばかり。中古屋だった。
ここから家は、まだ遠い。値段も手頃。目を留めた淡い色、軽いリネンの帽子を買った。その場で被り、歩きだす。
外の陽はまだまだ強く、帽子はすぐに役立った。風通し良く、快い影。大きさも丁度良い。気のせいか、中古だからか、ややむず痒い。帰って一度、洗濯しよう。
風が吹き、帽子を押え、目を閉じる。
薄手のリネン一枚下に懐かしい感触がある。
目を開けた。
柳が揺れて幟がひらり、向きを変え、すぐに落ち着く。
幸照は、帽子を取って、頭に触れた。
地肌のままだ。
いつも通りの感触に錯覚だったと納得する。
帽子を被り、家路を辿る。
茂田(しげた)氏に出食わした。街路樹の影に入って立ち話。
同年代に似合わない黒々とした頭には、何か秘訣があるのだろうか。羨望の眼差しを向け、自己嫌悪。挨拶に帽子を取れぬ情けなさ。
茂田氏もそれを咎めず、世間話に花を咲かせる。
「その帽子、えぇなぁ。どこで買(こ)うたん?」
「そこの高架下や。安かったで」
「ほう、あっこ、ガラクタばっかりやけど、偶には掘り出しもんがあんねんな。儂もちょっと冷やかしに行ってみるわ」
それで別れた。
掘り出し物と褒められて、帽子を撫でる。
布越しに地肌ではない何かが触れた。心臓が跳ね上がり、足が震える。
ゆっくりと息を吐き出し、空を見た。目に染みる青を背に雨を降らさぬ綿雲が、風に流れる。
少し落ち着き、改めて帽子を撫でる。
いや、その奥の感触の正体を確める。
こめかみを汗が伝った。
わしゃわしゃと、布と何かがこすれ合う音と手触り。
短いが、確かにあった。
帽子を脱いで確める。うっすらと汗ばんだ素肌が触れた。
帽子の裏をまじまじと見る。染みひとつない布だった。毛羽立つような物はない。やわらかいリネンの内を撫で回し、首を傾げた。
先程は、確かにあった。
手触りは、錯覚なのか。
渇望の末、幻覚を生みだすまでになっただろうか。
再び被り、夢ならば痛くない筈とばかりに、布越しのそれをつまんで力任せに引っ張った。
痛みと共にブチブチと抜け、鼻の奥から頭の芯へとツンとした刺激が抜ける。
眦(まなじり)に滲む涙を拭きもせず、手の中の帽子を開く。
五、六本、黒々とした毛があった。その長さ、約三センチ。硬い直毛。
幸照は、戦(おのの)きながら見回した。
時ならぬ暑さの為か、人影はポツリポツリと街路を過る。茂田氏の姿はなかった。
一人では恐ろしくなり、足早に家を目指した。
帽子を握り、突き刺すような日射しも忘れ、足を急く。地肌を伝う汗がしたたる。