■02-薄紅の花-雪とキノコ(2016年02月24日UP)

◆1.森の家
 アミトスチグマ王国は、半分以上が深い森。
 西のラキュス湖に面した辺りだけが、平野。国民のほとんどが魔法使いで、湖のほとりに住んでいた。

 広い森の中には、ほんの少し、住む人があった。
 樵、狩人、薬草採りといった、森の糧で暮らしを立てる人々だった。

 双魚(ドゥヴェ・ルィバ)少年も、そんなひとり。小さい頃、薬草採りの老夫婦にもらわれた。
 それから、ふたりに学んで、森の暮らしやたくさんの薬草のことを覚えた。
 養父母と双魚少年の家からは、一番近くの村でも、歩いてゆけば三日はかかる。
 森の村には、樵と狩人と陶工の家があるらしい。

 双魚少年は、その村が森のどこにあるのかも知らなかった。
 養父母と三人で、人里離れた森の奥、小さな丸木小屋に住んでいた。
 森の恵み、薬草を摘んで、薬を作る下ごしらえをして、それを街へ持って行って、入用なものと替えっこして、暮らしていた。

 森に来て、幾度目かの冬が巡ってきた。
 ちらちら雪が降り、葉を落とした木々や森の地面は、粉砂糖をふるったように白く染まった。
 「今日はキノコを採りに行こう」
 「キノコ?」
 養父に誘われ、双魚少年は驚いた。

 ……こんな寒い日にキノコが生えるのかな?

 養父はそんな双魚少年に笑って言った。
 「何もキノコはジメジメ蒸し暑い日ばかりに生えるもんじゃない。何年もかけてゆっくり育つ硬いキノコや、寒い日にしか生えないキノコもあるんだよ」
 双魚少年には、まだまだ知らないことがたくさんある。
 「どんなキノコ採りに行くの?」
 「今日は薬の材料ではなくて、ウチで食べる分を採るんだ。おいしいのをな」
 双魚少年は、養父と一緒に雪が舞う冬の初めの森へ出掛けて行った。

 ふたりが着ているのは、魔法の服だ。
 暑くないように、寒くないように、破れないように、魔物から守られるように、養母が一針一針、心をこめて守りの呪文を刺繍してこしらえた。
 ふたりは魔法の服のおかげで、森の寒さもへっちゃらだった。

 ふたりの吐く息が、ふわりと白く浮かんで消える。
 うっすら積もった雪の上に、たくさんの動物たちの足跡をみつけた。
 双魚少年も、あれはキツネ、これはウサギ、これはクマ、と幾つか見分けがつくようになってきた。
 それでも、まだまだ、知らない足跡が多かった。
 葉を落とした裸の木は、それだけでもう、何の種類かわからない。
 また春が来て、新しい葉が茂る頃、わかるようになるだろう。

 木立の間を吹き抜ける風は冷たい。
 その風に目を凝らすと、ぼんやりと風の精が視えた。
 あっと言う間にどこかへ飛んでゆき、その姿をしっかり視ることはできなかった。

 さくさく、さくさく。
 雪の下の地面には霜柱が立ち、歩くたびに靴の下で音を立てる。
 「今日、採りに行くキノコは、秋の終わりから冬の初め、沢の近くの枯れ木に生えるんだ」
 そう教えられ、双魚少年はうっすら白くなった倒木を見て回った。

◆2.キノコ
 常緑のヤブの中にウサギがいた。
 ふたりの足音に驚いて、飛び出すものもいれば、石のようにじっと息を殺すものもいた。

 ふたりはなるべく静かに、森を歩いた。
 日暮れの少し前、沢の近くの地面に横たわった枯れ木をみつけた。
 もうだいぶ、雪が積もって、誰かが毛布をかぶって寝ているように、こんもり盛り上がっていた。
 沢はまだ凍らず、ちょろちょろ流れる。
 養父が手招きして、枯れ木を指さした。
 雪の下から、茶色いキノコが顔を出していた。
 傘は双魚(ドゥヴェ・ルィバ)少年のてのひらくらいの大きさで、雪をのせていた。傘の下だけ雪がなく、薄い色の柄がよく見えた。柄は双魚少年の指くらいの太さだった。

 キノコの傘に積もった雪の上に、小さな生き物がいた。
 雪と同じ色で、猫に似ているような気がしたけれど、少し違うような気もした。
 枯れ木に積もった雪の上から、キノコの傘に飛び乗り、そこで滑って地面の雪に落ちる。
 落ちたら、次に待っていた雪の精が、枯れ木の上から飛び降り、キノコの傘へ。
 イチゴの実くらいの小さな生き物は、それだけ雪の上をはしゃぎまわっても、足跡ひとつ残さない。

 双魚少年が見とれていると、養父がその肩に手を置いて、言った。
 「雪の精だ。今頃くらいの冬の初め、雪が積もり出す頃に、こっちの世界へ出てくるんだ」
 「雪の精……」
 「今はこんな小さな生き物だが、もっと寒くなれば、また別のが出てくる」
 「どうして、足跡がつかないの?」
 「雪の精にはこの世の体がないから、この世の雪には足跡を残さないんだ」
 「視えてるのに?」
 「あんまり視てると凍えてしまうよ。さぁ、早くキノコを採って帰ろう」

 双魚少年は小さくうなずいて、キノコの柄に手をかけた。
 ぬるぬる滑る。
 傘の上で、雪の精もつるりと滑った。
 ぴょこんと飛び乗り、つるりと滑って降り積もった雪の上へ。
 雪の精は、降り積もった新雪の中に溶け込み、視えなくなる。
 枯れ木からキノコの傘へ、ぴょこんと飛んで、つるりと滑る。
 ぴょこん、つるり、ぴょこん、つるり。
 しっぽの先の小さな雪の結晶が揺れる。

 「ぬるぬるして、採りにくいかい」
 「うん」
 「ナイフを貸してごらん。片手で押さえて、こう採るんだよ」
 養父がお手本に一本、採ってみせた。
 キノコは根元からすっぱり切れて、カゴに入れられた。
 雪の精は、飛び移るキノコがひとつ減った。

 「さ、やってごらん」
 養父にナイフを渡され、双魚少年もマネして採ってみた。
 やっぱり、つるつるぬるぬる、手が滑って、片手で押えることもできない。
 ゆらゆら揺れるキノコもおかまいなし。雪の精は相変わらず、ぴょこん、つるり、ぴょこん、つるり。
 双魚少年は、傘に近い部分を指で挟んで、引っ張り上げながら、根元をナイフで切った。
 つるつるぬるぬる滑ったけれど、何とか落とさず、カゴに入れられた。
 「あとひとつ採ったら帰ろう。おいしいスープをこしらえてもらおう」
 養父と養母と双魚少年。ひとりに一本。
 その他は、森の動物たちの為に残して帰る。
 今日は、雪の精の遊び場にも、残して帰る。

◆3.スープ
 「じゃあ、帰ろうか」
 養父が呪文を唱えると、あっと言う間に家に着いた。
 双魚(ドゥヴェ・ルィバ)少年には、まだ帰る魔法は使えない。まだまだ、薬草も魔法も勉強中だ。
 養母が晩ごはんの支度を始める。
 双魚少年は、家の前の菜園で、今夜食べる分の野菜を摘んだ。
 緑の葉っぱは、雪に埋もれて甘みが増える。
 カゴに摘んで、戸の傍に植えたアーモンドの樹を見た。

 アーモンドの樹は、まだ小さい。小さな木も冬の装い。
 空から粉雪が、さらさら降りてくる。
 灰色の雲から、雪の精も降りてくる。
 小さな猫に似た異界の生き物。冬の使者。
 しっぽの先は、雪の結晶。しっぽを動かすたびに、小さな雪の結晶を辺りにふりまく。
 すっかり葉の落ちたアーモンドの枝が、白雪をまとう。
 風が吹くと、さらさら、雪は枝から落ちる。
 その雪の中にも雪の精。さらさら、雪と一緒に落ちてくる。
 落ちて、カゴの中へ。双魚少年の肩へ。

 双魚少年は、落ちてくる雪の精をてのひらで受け止めた。
 雪の精は、あたたかなてのひらから、ひょいっと飛び降りて、地面の雪に混じった。
 一匹落ちても、二匹、三匹、四匹、五匹……雪の精は、灰色の雪雲からどんどん降りてくる。
 双魚少年のてのひらは、どんどん冷たくなってゆく。
 魔法の服に守られて、体は寒くないけれど、頭にも肩にも、どんどん雪が降り積もる。
 てのひらも耳も、しんしん冷えて赤くなる。
 双魚少年は、風と一緒にくるくる踊る小さな雪の精をじっと視ていた。
 小さな雪の結晶をふりまいて、この世の雪との境目がわからなくなる。

 双魚少年は、お父さんとお母さんと、お祖父ちゃんと弟と妹と暮らした家を思い出した。
 ずっと遠く、ラキュス湖のほとりにあったセリア・コイロス王国。
 セリア・コイロスの家にはもう帰れない。
 庭のアーモンドの樹にも、もう手が届かない。
 春には薄紅の花をいっぱいに咲かせて、お母さんがアーモンドを粉にしてお菓子を焼いてくれた。
 みんなでその花を見ながらお菓子を食べた。
 あの庭ももう遠い。

 「早く入っておいで。雪の精に魅入られたら、凍えてしまうよ」 
 養母が戸を開けて呼ぶ。
 野菜を摘みに出た双魚少年が、なかなか戻らないので心配していた。
 双魚少年の耳とてのひらは、すっかり冷えて凍えていた。
 気が付くと、日もすっかり暮れていた。
 「いくら魔法の服でも、あんまり寒いと効き目がないからね。さ、早く入って、ごはんにしよう」
 最後の仕上げに摘みたての野菜を入れて、キノコ入りスープのできあがり。
 「たんとおあがり」
 「いただきます」
 スープのお椀を持つと、それだけで、すっかり凍えていたてのひらが、あたたかくなった。
 あたたかいスープをひとくち飲むと、体の中にポッと灯がともったように、ぬくもりがじんわり広がる。
 キノコの出汁でとろりとおいしい。体が芯からあたたまった。

 双魚少年は、今日一日で色々なことを覚えた。
 雪の日にも生えるキノコがあること。
 雪の精はこの世に足跡を残さないこと。
 ぬるぬる滑るキノコの上手な採り方のこと。
 魔法の服でも、あんまり寒いと効き目がないこと。
 キノコのスープは、凍えた体をあたためてくれること。

 窓の外では、しんしん、しんしん、粉雪が降る。
 雪の精が風に踊る。冬の夜が静かに更けてゆく。
 おだやかな冬の初めのある日の話。
 願わくば、このあたたかな日がいつまでも続きますように。


 深い森の奥での暮らし。
 薬草採りの養父母と、養子の双魚(ドゥヴェ・ルィバ)のお話。
 このお話自体はまぁ、何がどうと言うのでもない〈双魚〉先生の少年時代の一コマです。

 登場したキノコは、実在するナメコがモデルです。
 野生のナメコは、晩秋〜初冬にかけて、枯れ木や切り株に発生します。

 自室でナメコの菌床栽培をしたことがあります。
 極限まで育てたら、最大で傘の直径が掌サイズにまで成長しました。
 大きくなっても相変わらずぬるぬる。採りにくかったです。
 煮たら、ものすごく灰汁が出たので、2回ゆで零してから、バター炒めにして食べました。
 歯ごたえがしゃきしゃきして、味が濃くておいしかったです。

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